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Channel: マドモアゼル・愛 オフィシャルブログ「水瓶座時代」Powered by Ameba
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お金の要らない暮らしのプランと実行

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SHOPマドモアゼル・愛のある世田谷区では、今夜一時間に110ミリという猛烈な雨を記録したようです。家の中にいたのでよくわかりませんでしたが、時折、バケツがひっくり返ったような音がしていました。雷もすごかったです。日中の異様な暑さといい、このところの気象は極端です。

 

気象操作の人為性もあるのかもしれませんが、地球がおかしくなりつつあるのも事実でしょう。ただ地球がおかしくなった、、、というのは、地球に失礼な言い方で、人間がおかしくしただけの話しです。

 

わずか100年の間に、人間は豊かな地球、自然な地球を破壊したことになります。何万年、、、何千万年、、、という長い営みの中で、寒暖の時代はあったものの、地球の自然は保たれてきました。それがわずか100年で人間が破壊したのです。

 

しかし、宇宙の法則は唯一、作用があれば反作用が起こるわけで、人類の横暴な営みは残念なことに必ず自分に戻ってきます。地球は失ったエネルギーを補充し、再び力ある豊かな自然に戻すために、様々なギャップをこしらえるしかありません。

 

地球のエネルギー不足は、地球自身がギャップを作ることで解消できます。しかしその上に生息している人間は、そうなったらひとたまりもありません。

 

海が汚れれば、海は嵐や台風を起こしてギャップをつくり、エネルギーを得ようとします。台風一過の街が、ピカピカに光って見えるのは、台風がエネルギーをもたらしたからです。

 

チューナー音を金属や宝石類にあてると、数分もするとピカピカに光り出してきます。チューナーから出た音を、宇宙は元に戻そうとしますので、その元に戻そうとする力が本当のエネルギーなのです。

 

台風一過のピカピカも、この原理と同じです。台風が巻き起こした風やが様々なギャップを空間と地上に起こします。すると宇宙はそれを元に戻そうとしますので、台風が暴れれば暴れるほど、そこには、元に戻そうとするエネルギーが訪れますので、台風はエネルギー与えながら移動するように働いていくのです。

 

台風で海にエネルギーがもたらされて、海が活気ある姿に戻ればいいのですが、陸地の台風ではエネルギー補充が間に合わない場合があります。大地が大至急エネルギーを得る方法は残酷です。海が陸になり、陸が海になるような天地引っくり返りは、史上何度も起きています。それらは、すべて、何等かのエネルギー枯渇のために地球がとった方策だった可能性が高いのです。

 

人間の活動が地球環境に与える影響が最も大きいのですから、地球に異変が起こるのは、人間の抱いた意識の反作用として起こります。

 

自然災害、、、地震、、、極移転、、極端な寒暖、、このままいけば、作物はどうなるのか、ミツバチの生息はどうなるのか、、、水のくみ上げ農業が続くとどうなるのか、、、、

 

かなり危ない未来が見えてきます。これから起こることは、これまで人間が行ってきたこと、私たちがもってきた意識の反作用の到来です。

 

人類が行ってきた数々の不自然を地球と自然は元に戻そうとしますので、不自然を壊すための変化がこれから起きてきます。これは仕方ない面があるのです。

 

自然が寛大である間に私たちは考え方、意識を変えて、新しい生き方を模索し実際にそうしていく以外にありません。自然は私たち人間よりもはるかに寛大です。我慢に我慢を重ねている大地や自然。しかし、これ以上は無理だよ、、、というポイントがあると思うのです。反作用がいつ訪れるか、、、

 

これは自然や地球に対してばかりではありません。人類が行ってきたあらゆる蛮行に対する反作用も同時に起こる可能性があります。

 

彼らははじめ、わざとひどいことを行い、その罰が神から下らないことを認識したのです。罰が下らないと知ると、彼らは自分らの勝手なやり方をさらに追求していきました。そして時代はいつしか、まるで悪魔が動かしているような時代になっていったのです。

 

しかし、それは罰が下らなかったのではなく、反作用は物理的真実でもあるので、間違いなく、確実に原因をもたらしたところに戻ります。それが唯一の宇宙の法則ですので、誰も避けることはできません。

 

巧みに人をだまし、自分たちが儲けることを企んで大成功しても、反作用も巧みにおとずれます。だましが上手な人には、表面の成功はそのままに、いくら成功しても絶対に埋められない不幸となってその人に戻ります。誰にもきづかれないズルで儲けたなら、誰にもわからない形での不幸がその人を襲うでしょう。罰ではなくて、反作用なので仕方ないのです。神は誰も罰したりはしません。

 

すべて反作用となって戻るのです。人を騙して権威を得ても力を持っても、自分も騙される形でその地位を失うでしょう。反作用ですので、確実なのです。

 

時空間を人工的に変え、反作用の方向をいじって自分らにもどらないような仕組みをおそらく考えた大悪党グループもいるはずです。今のところうまくいっているようにみえても、反作用の法則は絶対ですので、思いもよらない形で戻ってくるものが必ずあります。

 

人間の存在の原点は喜びです。悪の大成功者はそれを失うことになります。喜びと自己保身は逆相関になりますので、自己保存がうまく、成功すればするに従い、喜びが少なくなります。

 

毎日何もしないでも1000万円以上収入が自動的に入ってくる人の紹介記事を読んだことがありますが、毎晩、ズタ袋に100万円の束を沢山詰め込んで飲みに行くのですが、足取りは重く、何も楽しくなさそうなのです。たまに100万円の束が道に落ちるらしく、落ちても決して取りにいかないので、それを知っている人が常に後を追いかけているとか。

 

一般人のわれわれは、そうだと知ってもやはり収入に憧れてしまいますが、本人は本当に楽しそうではありませんでした。

 

お金は実は人が作ったものです。作った人だけが儲かるシステムですので、お金に力を入れない方が本当はいいのです。大したことないと思う、、お金なんて大したことない、お金が無くても大丈夫な暮らしを得ること。

 

将来、老後はいくら必要だとか色々と計算があるようですが、本当に安心なのは、お金がなくても楽しく暮らせる内容があればいいわけです。お金は神ではないのです。しかし私たちがお金をまるで神のように扱い、信奉してしまうので、お金がそのように図々しく振る舞うようになっただけなのです。

 

早く、お金に依存しなくても生きていける方法を私たちは取り戻さなくてはいけません。お金がない時代には、皆そうして生きていたのですから、本当は難しいはずはないのです。どうすればお金なしでも暮らせるか、、、そのプランと実行を成功させ、いくつかの成功例を真似ていいので、大勢の人が段々と移行していく。

 

地球と自然が忍耐してくれている間に、私たちはそれを成さなけれいけないと思うのです。

 

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時代は2から3へ

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対立の時代、二元論の時代は終わろうとしています。ただし、終わる前は最悪です。夜明け前はもっとも暗い、と言われるように、この悪の時代が永遠に続くような気持ちに誰もが陥ってしまうのです。決してだまされないように。

ピークを打ったものはトンボが一匹とまっても逆方向に動きだします。悪の力は平和に見せている時に前に進みます。日本で言えば、王選手や長嶋選手がホームランを放ち、国民が絶叫しているような時に、悪のシステムはもっともうまく行っていたのです。

二元論の時代の次に来るのは、当然3に現される第三の道です。生死、男女、善悪、良否、上下、、、こうした二極の構造ですべてができているように感じますが、二極のどちらが正しいか、、、では、もう私たちの社会は維持できなくなりつつあります。

二極から次なる3の道が始まろうとしています。それはイエスが約束していた時代の到来でもあります。

今、すべてが行き詰っています。悲しいことに人の不幸と不安と防衛による原理ですべてのことが進行しています。そのため、企業や政治は人を不安に落とし入れ、無力感を抱かせることで、人を働かせ続けることができます。

これだけ医学が発展しても、癌患者は増える一方です。しかもその治療方法は、日本独自のもので、世界のスタンダードから考えたら恐るべき内容です。

3人か2人に一人が将来癌で死ぬらしいです。政府もこぞって癌検診を受けろといい、早期発見早期治療を推進します。なのに、癌患者は増える一方。何かがおかしいのでしょうね。

癌は普通の人がかかる病気のようです。口うるさい人や個性の強い人はあまりかからないといいます。この世が、この社会が、特におかしいものと思わず、常識をそのままに受け入れるようなまじめで、普通の人が癌にかかる確率が高いといいます。

そうした人は、大体はまじめに働いてきていますのでお金を蓄えているものです。そして最後に癌になって、高価な特別な治療を求めるのでしょう。それが悪いというのではありませんが、なんだか寂しい人生を感じます。

昔、水素洗濯機というのが、戦後まもなくあったという話しを聞きました。「えっ、、そんな昔に水素で洗濯する機械があったの、、、」と私もビックリしました。今ではマグちゃんという、水素発生マグネシウムを利用した洗剤なしの選択方法が、一部で流行していますが、まったく同じ原理だったようです。

50年以上も前にあった水素洗濯機があれば、かなり海や川は汚れずに済んだはず。なぜか消えてしまったようです。今はやっているマグちゃん洗濯は、汚れがよく取れるというのもそうなのでしょうが、イヤなにおいがまったくしないので使う人が多いとか。ジメジメした湿気のある時になかなか洗濯物が乾かないと、イヤなにおいがしますが、それがないので、はやっているそうです。

私は洗濯では使っていませんが、マグネシウムにその日の気分でクエン酸を入れるか、もしくは重曹を入れ、マグネシウムからブクブクと水素を発生させて、お風呂でマグネシウムが入った袋をかけ回しています。

水素の大量発生のため、お風呂はあっという間に濁りますが、温泉気分が出るので気に行っています。水素洗濯機と同じ原理で、自分の体を洗っていることになりますね。

確かに気持ちが良いけど、でも、大量発生した水素は大丈夫なのか、ちょっと心配。爆発したら怖いですのものね。

汚れたら、とにかく汚れを落とす、、、とムキになるのが洗剤ですが、なぜ汚れるのか、、、どうすれば平和的に汚れが退散するのか、、、と、簡単に言えば、視点が平和的に変わるのが、3の時代の特徴でしょう。

死が怖い、、、確かに怖いです。でも、もし人は死ぬことがなかったとしたら、死の恐怖は違ったものになってきます。死の捉え方が違ってくれば、生き方も当然違ってきます。

3の視点は2の強行突破的、無理強いする生き方と違った視点を私たちに与えてくれます。

対立するふたつの概念で苦しんでいる人、悩んでいる時、もうひとつの3の視点から考えなおしてみると面白いかもしれません。

3の親にあたる数が153であるとの説明はこれまでに何度かしていますが、下記の二本の動画で、3の時代と153について、詳しくお話しいたしました。

153Hzに関連した動画二本を下記します。コピーしてURLに張り付けてリターンキーを押してご覧ください。

https://youtu.be/zsTUrnkVWag

https://youtu.be/7mBPkLQey04

 

 

 
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現代の総合ストレスに打ち勝つ道

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大変なストレス社会になっています。何がストレスなのか、、ではなく、総合的な形でのストレスが現代人を襲っています。

その中で一生を生きていくのですから、大変なことです。と言って、何が大変なのか、、、何がストレスなのか、、、と尋ねられても、これです、と一言で言えない場合が多いと思います。

本当にストレスにさらされ、ストレス耐久度を失うと、自分が何をどう悩んでいるのかも、どう感じているのかさえ分からなくなってしまうからです。

要するに、ストレスは正しい判断力を失わせるように働くからです。

なぜこのようなストレス社会ができてしまったのでしょう。ここでは原因を探ることはしませんが、ストレスに打ち勝つ道だけは、各自持っていた方が良い気がします。

まず、ストレスの種類ですが、哲学的形而上学的なものとして、生死観があると思います。現代では、人は物質でしかありませんので、肉体が死ねばすべてが終わりになるというのが常識となっています。そのため、生きている間に少しでも得したい、自分に有利に生きたい、、、と、がむしゃらになりがちです。

あの世があると思えば、生きているのも、旅のようなものとして捉えることができるでしょう。

生死観は個人にゆだねられていますので、人は死んだらおしまいか、人は死んでも死なないのか、、、は、ストレスの大きな分かれ道になります。多くの人は死んだらお仕舞いと思っていますので、ストレスにはどうしても弱くなりがちです。

次に社会の価値観について考えると、働くことが唯一の価値の方向性であることに気づきます。そして、年を追うごとに働くことが重視され、強制され、巧みな形で労働強制化が進んでいます。待遇が良いのはほんの一部の企業だけで、ほとんどの企業では、待遇悪化が見て取れます。

とくにこの数十年の待遇悪化は意図的で労働者に負担を強いるものが多く、労働者の奴隷化が進んでいます。

ある服飾メーカーのボスなど、年収100万円で良い、、というような発言も。まるでバカそのものです。バカなくせに自分を利口だと思っているのですから、どうにもなりません。下で働く人は本当に着の毒です。

時給で働く人も多くなっていますが、昔の時給と今の時給の中身はまったく違うのです。今から30年ほど前の時給内容は、ラジオを聞きながら、お菓子を誰かがもってきて、和気あいあいとやるような職場が沢山ありました。

そういう職場にストレスを感じる人も多かったのは事実でしょうが、働くことが楽だった点は今とまるで違っていました。今の時給一時間は本当にみっちり働かせられる、、、そんな印象です。

5人でやっていた仕事を今は2人でやる、、、、その分のストレスもかなり多くなっていると思います。

時給が安いのでどうしても長時間労働になります。個人の楽しみの時間はどんどん削られ、働くだけの人生になっていきます。

そしていつかは、体を壊します。栄養は不十分、食べ物は毒物のような塊、野菜も昔の野菜と違って新鮮に見えるが実は生きていない、、、栄養も不十分。

こうやって、色々なストレス例を上げていこうとおもいましたが、沢山あり過ぎて書ききれないです。

家の事、将来の事、進路のこと、夫婦仲のこと、家族関係のこと、心配はお金のことだけではありません。

ことに病気になったら悲しい事態が訪れます。とくに重病の癌などは、命の危険を抱き、人や家族を不安に陥れます。

なんでこんなに病気が多いのでしょう。癌などは異例の増え方が続いています。癌検診を広め、医療も進み、早期発見早期治療が良いと言って、政府や企業もそうした方針で協力しあっているのに、なんで癌が増えるのでしょう。わけがわかりません。

一方では、財政難で病院がなくなった町では、病人数が激減しているなど、世の中は分からないことだらけです。

まるで誰かが何かがわざと私たちの社会をストレス社会にしている、、、そんな気にもなってしまいます。もちろんそんなことは無いのでしょうが、人を不幸に陥れる、もし、いくつかのキーポイントがあるとしたら、、、と私は考えたのです。

さて、ここからが本題です。

これまでも言ってきましたように、今の私たちの社会、世界は、人の不幸が増大することで経済運営が発展するようになっています。

一生快適に住める家が安くできたら、住宅メーカーが儲かりません。年齢に合わせて増改築したり、あっちを修理、こっちを修理、家具も数年で捨てて新しいものに買い替える、、、そうした消費、ポンコツ化するものの方が業者にとっては何かと良いのです。ただし、自然は気の毒です。企業は儲かるけど、自然や踊らされる個人はいつになっても消費者でいなければならなくなり、厳しいです。

それでいて、いつも二流の物や品を購入するしかないのです。最大購入させてすぐに壊してまた買う、、、、企業は儲かりますし、その行き着いた先が戦争なのかもしれません。戦争は無数の家を壊し、その後、無数の家を構築できます。儲かるんですね。

ストレス社会にしておけば、人は無駄遣いしたくなります。生きてる証しや喜びを消費に置き換えてしまうからです。さらに見栄の心理を強化する広告があり、欲望を持たせ、消費に向かわせます。

ストレス社会は物や品を売るのに適しているのです。そこには、必ずそうなるための、キーポイントがあるはずです。

都市化は流行を作り、こうした生き方、生活の仕方が良い、、、という価値を押し付けます。都市化をすすめれば、そこに投資した人は確実に大きな利益を作れます。これが全国均一ですと、どこに投資してもうまみがありません。小投資で大きな利益を上げるには、都市化は非常に有利であり、実際にそうされてきたのだと思います。

また都市化自体で、そこに暮す人はストレスをこうむりやすくなるので、その意味でもオーケーなのです。ストレスが高じれば病気にもなるでしょう。

病気になれば、またそれを治さない治療でいれば、いくらでも儲かります。病院がそうしていると言っているのではありません。あくまで、ストレス社会が儲かる原理を説明しているのです。

生れて教育を受け、就職し、結婚して家を作り、子供を産む、、、このサイクルも今ではもう一般的でなくなりつつありますが、一応のこうした流れの中で、人にストレスを生じさせるためのキーポイントがあるはずです。

教育信仰 健康信仰 医学信仰 金銭信仰 物質信仰、、、ここら辺をうまく使えば、人をストレス社会に閉じ込めることができると思います。

いい学校を出なくちゃいい就職もできないよ。
病気になる前に検診を受けて安心したいね。
病気になったら一流の病院できちんと診てもらいたいね。
お金がなくちゃ生きていけないよね。
人は死んだらお仕舞いだから、生きてる間に楽しまなくちゃね。
何と言ってもやっぱり東京だよね。

このうち、ストレスを生じさせる最大のキーは何だと思いますか。私は健康だと思うのです。健康への理解と正しい認識がないと、私たちはいち早くストレス社会に飲み込まれることになるからです。

なので、ストレス社会の最大の功労者は健康に関した誤解であり、間違った健康信仰が今のストレス社会のキーポイントにあるはずです。

そのほかでは、潜在的に人を支配する音楽や音、周波数、はありますが、それを言い出すと、きっと訳が分からなくなると思いますので、生死観と共に今回は触れずにおきます。ただし間違った生死観と周波数支配は潜在的であり、最大のキーであることは間違いないと思います。

しかし、それにも劣らないキーが健康に関したことにあると思うのです。

もちろん、誰かが意図的に行っているなどとは思いませんし、自然な時の流れの中で生じてしまった悲劇であると思うのですが、、本当に人を健康にすることは難しいのでしょうか。もしかしたら、本当は簡単なのではないでしょうか。

もちろん、素人の考えですが、私は確信的にそう思ってしまうのです。

昔の医者の処方は何かというと、大げさに言うと薬はたった一つしかなかったのです。どんな病気にでも、そのたった一つの薬を処方するのが一般的だった時代があったのです。その薬とは何でしょうか。

答えは後でお話しするとして、その一つの薬で、大体の病気は治った、、、という証言を私は医者から聞いたことがあります。7割は治ったよ、と。7割、、大変な確率です。そのため、よくわからない症状にでも、処方する際には、最後にその薬を付け加えておいたとか。

しかもその薬には、副作用がまず無い、といいます。いくら飲んでも大丈夫なようなのです。

もしもの話しです。そんなよく効く薬があるとしたら、病気で儲けることはできなくなります。医療は儲からないことになってしまいます。

また、さらに悪魔的に、この世からその薬の成分に当たる栄養素を無くしていけば、大勢の人の体調を狂わせ、大勢の病人を作ることもできるはずです。

まさか、そんなことを考えた人や組織があるとは思いませんが、あくまで論理的な可能性の話しをしているのです。

7割の病気を治せる薬、、、ならば、その薬の成分をこの世から失くしていけば、誰でも病気にすることができると言っているだけです。そんなことをした人はいないでしょうが、現代が実際にそうなっていることは事実なのです。

それは必須栄養素ですが、著しく現代人に不足しています。カルシウムや鉄も重要ですが、それが不足したからと言って、たくさん摂取したら逆効果が出てきます。カルシウムを沢山とったのに、骨が弱くなってしまった、、、、貧血なので鉄をとったら、さらに悪くなった、、、という人が大勢います。なのに、カルシウムや鉄は不足しているので、、、、と情報は踊ります。もっと大事な栄養素についてはほとんど語られることはありません。

確実に日本人の不健康のキーになっているものがあるのです。その成分はまったく不足しているといいます。それが不足すると、色々な不調と病気が出てきます。戦後確実に増えている成人病のほとんどが関係していると思います。

それなのに、重要感が稀薄なのです。マスコミも言いません。昔の医者の唯一の処方箋だったのに、それが今では消えているのです。だからキーなのです。

その栄養素は鉱物であり、唯一、人間が体内に取り入れても問題を起こさない鉱物と言います。

病気を治すだけでなく、それは無数に存在し、そこから建材を作ることも、水素を取り出すことも簡単にできます。また、リチウム電池の数倍の能力を持ち、この鉱物で電池をつくれば、電池一個で家の電源を賄える夢もかなうでしょう。

要するに、悪い時代が終えた後、必ず、人が注目し、この鉱物による新たな文明を起こすことになる、それは「マグネシウム」なのです。

この世にあるもっとも安価な鉱物。海中に無限にあるマグネシウム。にがりがほとんどの病気を治した時代があったのです。人間が何百年ですべてが変わるわけがありません。昔治ったものは、今の人間にも効くはず。そこらへんは私のような素人が言える内容ではありませんので、あくまで歴史の中の出来事を紹介しているのですが、私の予言として、良い時代が訪れるなら、その文明の中心に、間違いなくマグネシウムがあるということは言っておきたかったのです。

そんな凄いものが、日本ではたった二つの研究所でしか研究されていません。キー隠し、、、、まだまだ悲しい時代は続いていますが、夜明け前が一番暗いのです。

マグネシウムに限らず、キー隠しは色々な場所で行われています。あなたに本当に必要なもの、あなたを本当に幸福に導いてくれるものを、決して恐怖や不安から選ばないこと。それが悪のシステムだからです。恐怖と不安、、、それが商売道具になってしまった悲しい時代を私たちは生きているのです。
 


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命の来た道

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  私の話しは科学的な根拠も医学的な根拠もない、あくまで個人の考えであり、個人的な確信に過ぎないことをあらかじめお伝えしておきます。

 

常識や通常の概念と異なると思われる方がきっといらっしゃると思いますが、個人的な話しとしてお聞きください。また、勝手ではあるものの、私個人は自身の考えに確信を抱いていますため、それを知っていただきたいと思う気持ちがあり、そのためにこうした文章を書いているわけです。

 

先日のマグネシウムの話しがけっこう広がりを見せ、質問や賛否が寄せられています。そこでもう少し詳しいお話しをさせていただこうと思いました。とはいえ、前回の内容も今回の内容も、あくまで私の考えであって、皆さまに強要しようとか、これが正しいのだ、、、というつもりはまったくありません。その上で書き進めさせていただきます。今の医学や科学を否定するものではなく、あくまで私の考えを聞いていただきたい、、、との立場です。

 

私は現代人のほとんどがマグネシウム不足に陥っていると思うのです。また、マグネシウムが必須な栄養素であることは事実です。これが不足すると、様々な体の不調が生じます。これは医学的な根拠として言っているのではなく、私の考えですことを再度念押ししておきます。あくまで私の考えを続けます。、

 

現代人のマグネシウム不足は長期化、そして慢性化していると考えています。マグネシウムは聞くところによると、体内に必要な酵素の働きを潤滑にさせる働きがあるといいます。マグネシウム不足は必要な酵素の働きを阻害すると言っていいと思います。酵素が働かないのです。酵素不足とよく言いますが、酵素をとることも大切かもしれませんが、いくら摂取しても、酵素が働かなければ意味は薄くなります。

 

次にカルシウムが不足すると骨粗しょう症になると言われます。ではカルシウムを沢山とればそれが治るかというと、話しはどうもそんなに単純ではないようなのです。カルシウムはマグネシウムと一体となって働くようで、マグネシウムが不足している時にいくらカルシウムを摂取しても逆にマグネシウムを減らし、バランスを崩すといいます。医学的に正しい表現かどうかはよくわからないので、私の勝手な言い分なのですが、要するに、カルシウム不足といいつつ、実際にはマグネシウムが必要であり、両者のバランスが取れて初めて骨粗しょう症が良くなるらしいのです。

 

そのため、最近では、カルシウム剤の中にほとんどマグネシウムを配合し始めました。12でカルシウムが2となっているものが多いです。そんなことは最初からわかっていなかったのでしょうか。なんだか非常に無責任なものを感じますが、今ではカルシウム不足の常識が変わり、マグネシウムがないとカルシウムだけじゃダメなんだ、、、とご老人の方も思いだしているようです。

 

次に、カルシウムもそうですが、マグネシウムは精神の安定に非常に大きい力を発揮します。牛乳を飲むと眠くなるのはカルシウムが精神安定に寄与したわけですが、マグネシウムを摂取しても同様のことが起こります。

 

私の体感では、マグネシウム摂取によるゆったり気分と精神の安定感は、カルシウムよりもはるかに高度で気持ちが良いと感じます。お店にいらっしゃってくださった方に、今、ほぼ全員に試していただいていますが、精神のゆったり感を抱かなかった方は皆無でした。みなさん、気持ちが良くなったとおっしゃいます。

 

気持ちが楽になるため、とにかく会話が弾むようになります。お店はまるで喫茶店の様そうとなってしまいます。心がゆったりするのもそうですが、筋肉が緩むのです。これはマグネシウムの特徴の中に、はっきり書かれていました。筋肉弛緩剤のような働きがあるらしいのです。実際に全身がゆったりします。そして体が温かくなるといいます。実際に体温が上がっているかどうかはよくわかりません。

 

ストレス社会なので、マグネシウム不足がなければ、かなりストレス耐性が出てくるのにな、、、と思わずにいられません。みなさん、ゆったりと楽しそうになさっていきます。私はそれが嬉しくて、いらした方にマグネシウムドリンクをつい無料サービスしてしまうのです。

 

全身の筋肉が適度に弛緩するというのは、心筋にも良いようなのです。マグネシウムは心筋の突然の緊張や問題を防ぎ、良い影響を与えるらしいのです。心筋梗塞の予防に良いということですね。そう書いてある本が沢山ありました。あと、ふくらはぎのツレ、、、こむら返りを防ぐともいいます。これは本当にそうだと思います。ご老人に多いこむら返りですが、マグネシウムをとった晩からツレなくなった方が何名もいらっしゃいます。今のところ、こむら返りで困っていた方は全員良くなりました。と言っても、まだ4名ほどですので、偶然なのかもしれませんが、専門書にもマグネシウムはこむら返りを予防すると、はっきり書いてあります。

 

心筋梗塞と言えば、糖尿病から来る心筋梗塞で亡くなられる方が多いと思います。糖尿病は今では国民病と言ってもいいくらいです。あと、筋肉との関係からでしょうか、、片頭痛もマグネシウムで効果あるとする解説が沢山ありました。

 

実はこの糖尿病は、血中の糖度が抜けない状態が続くわけです。そのため、血がドロドロ化したり、巡りが悪くなったり、血管を詰まらせたりするわけです。さて、これは一部の医者が言っているのですが、血糖を吸収する際にマグネシウムが必要だというのです。一部の医者の考えであって、医学界の常識とは違っていますので、私は何とも言えません。しかし、そうした考えがあり、マグネシウム摂取により、血糖は劇的に下がるという医者がいるのです。

 

となると、糖尿病は病気ではなく、マグネシウム不足がもたらす症状ということになります。あまりに大それた話しなので、私にはコメントなどできませんが、心情的に一部の医者を支持したくなります。

 

ざっとあげただけでも、現代人とマグネシウム不足の関係は明らかな気がします。マグネシウムの働きは本当に重要で、そのほとんどを食物から摂取するといいます。海藻や魚や野菜にやはり多いのですが、きくらげや玄米にもかなり入っています。おおざっぱに言って、伝統的な日本の食事では、マグネシウムは理想的に取れたようです。

 

確かに昔の日本人は異様に健康だったといいます。戦争をした敵方兵士は皆日本兵の異様とも思える体力、タフさに驚いたのです。明治の始めごろに日本にいたべルツというドイツ人は、人力車で箱根までの道のりを夫婦二人を乗せて大して休まずに軽々と行ってしまう車夫の強健さに驚きます。そのことが日記に書かれています。

 

しかし、太平洋戦争に負けた日本人は、以降、今度は驚くほど体力を消耗し始めた印象で、今では、みんなどこかしら体調が良くない、、、疲れる、、、元気ない、、、という暮らしぶり。戦前と戦後で変わったのは、何と言っても食生活です。それも一言でいうと、マグネシウムが十分だった食生活から慢性マグネシウム不足に至る食生活に変容したのです。

 

もしかしたら現代人の体調の悪化と疲れやすさの大本には、実はこの慢性マグネシウム不足があるのではないかというのが、私の推論なのです。

 

こういうと、「ああ、それも一つの原因ですよね」と、平板な印象にまとめられてしまいます。しかし、大きな物事の展開には、キーとなる原因が必ずあるというのが私の考えです。これは素人だから言えることでもあるのですが、私は現代人の体の不調のほとんどの原因が、慢性マグネシウム不足にあると思っています。

 

必要な栄養素が他にも不足しているとか、ストレス社会であるとか、色々理由は他にもあるとは思うものの、キーとなるポイントがあるはずなのです。

 

戦後、欧米化した食事のおかげで、体も大きくなりました。寿命も延びましたので、決して悪いばかりではないのですが、あまりに体調不良の人が多すぎます。その原因はきっとマグネシウム不足です。(もちろん例外は多いはずです。あえてキー探しをするため、断定的に言わせてもらっています。ここで上げ足をとられると、大本の原因究明という推理ができなくなるのでご辛抱ください)

 

戦前に満たされていた栄養素がマグネシウム。戦後不足した栄養素がマグネシウム。戦前の日本人はおおむね強健。戦後の日本人は段々と虚弱化、疲労化。戦後の日本人は体も大きくなって欧米の食事の恩恵は受けているのですが、それは外見だけで、体の芯は弱体化しているとも言えます。こうした国民的疲れを生じさせている原因は、欧米化の食事が悪いというのではなく、ただ大きな一点、マグネシウムの量が戦前と戦後では極端に違ってきたのです。

 

欧米化の食生活が進むほど、それは顕著になっています。なので、私たちは段々段々と、慢性マグネシウム不足に陥る生活に、今、誰もがなりやすいのです。

 

もちろんストレスも体調に大きく影響することは確かです。ここが重要なのですが、実はストレスはマグネシウムを消耗させるのです。そのため、ストレス社会であるほど、マグネシウム不足が進行します。

 

私がたったひとつの栄養素に固執することを異様に思われる方も多いと思いますが、キーポイントはあると思うのです。マグネシウムは最初に書いたように、ほとんどの酵素の働きに必要なのです。全酵素がうまく働くかどうかは、マグネシウムと関係するのです。通常の日々の体調の良否と関係しないわけがありません。

 

慢性マグネシウム不足=慢性的な疲れや倦怠=やがては病変

これが現代の問題の一つの公式ではないでしょうか。

 

マグネシウムが豊富に含まれている場所は海です。海、、、命が生まれ、育った場所。私たちの命のふるさと。私たちは海から来た命なのです。海すなわちマグネシウムではないですか。

 

生命が通常の働きをする際に、海の要素、マグネシウムは絶対に必要だったのです。イルカは陸に上がらず、海にいることを選択しました。人間もイルカも海で遊んでいましたが、人は海を離れ、陸に再上陸していきました。イルカと人間の方向は分かれることになりましたが、どちらにも海は今に至っても産みの親なのです。イルカにとっても人間にとっても。

 

マグネシウムの豊富な海で楽しそうに泳ぐイルカ、、、海から切り離された陸地でストレスをこうむる人間、、私たちは進化を間違えたのでしょうか。そうではなく、きっと意味があるのだと思いますが、私たち人間にとって海を忘れることは、命を忘れることにつながると思うのです。

 

すべての母、すべてのふるさと、命の大元である海。私たちの体は海とつながっています。血潮であり、体液であり、その元であるマグネシウムは私たちの体の中にある海なのです。

 

この命の源である海と切り離されれば、私たちの体も心も病んで来て当然でしょう。私がマグネシウム不足にこだわる理由がここにあります。

 

マグネシウムは元母であり、命の活動の大元。これを慢性的に不足させられている現状があります。

 

では、どのようにしてマグネシウムを摂取すればいいのでしょう。これも素人の考えであり、医学的根拠も科学的根拠もない私個人の考えをお話しするだけであることをご承知ください。通常は錠剤などで摂取すると思います。

 

私は物質には何の力もないと思っています。マグネシウムと言えども物質ですので、それ自体には何の力もありません。しかし、物質はエネルギーを呼び込む条件作りに使えます。無からエネルギーを呼び込む際の条件作りに、マグネシウムは非常に有効なのです。

 

私のマグネシウムを使ってエネルギーを取り込む条件作りは簡単です。お店にいらしてくだされば、お飲み物として差し上げられます。(普通の水です)問題のない摂取法についてはまたまとめますので、お待ちください。

 

昔の医者が処方したマグネシウムはおそらく数グラムという量だったでしょうが、私は物には力がないという立場ですので、実際には計測できない微量を独特の方法で飲み物にします。危険な物は一切使用していません。また、違法になるような飲み物ではなく、お茶としてお出しする類の単なる水で、しかも無料サービスです。しかし、その水には吸引力があるのです。何度も言いますが、医学的科学的根拠のある話しではありません。私が勝ってに、そう思っているだけです。ただ自分は確信しているだけです。

 

その水には、マグネシウムが発する電子が豊富に含まれていると思っているのです。(これも科学的な話しと多少異なります)意識から物が生じる際に、まず発生するのが電子だと思っているのですが、マグネシウム媒体の電子を元母と捉えます。

 

体調がよくない細胞類に元母である電子が触れると、シャキッと元に戻るイメージがあります。これは私の勝手なイメージです。元母なので、そこから作られたものは、すべて従うわけです。まるでトンチのようになってきますので省きますが、マグネシウム不足といいつつ、マグネシウムを大量に摂取する方向とは異なる方法でマグネシウム不足を解消するのです。

 

測定できるマグネシウムは入っていないが、マグネシウム電子は入っている、、、そんな状態でしょうか。それでマグネシウム不足を急速に賄えると、私は思っているのです。何度も言いますが、医学的、科学的話しではなく、私の考えに過ぎません。しかし、私の周辺では今、異常とも思えることが起こりつつあります。

もちろん良いことでです。

 

それについてはまたご紹介していきたいと思いますが、いずれにしても、私たちの今の生活、社会は不自然です。もう一度、命の来た道、、、海をそれぞれの体内に取り戻す必要があると思うのです。

 

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物質よりも姿勢と状態に意識を向けることで開かれるこれからの未来

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物質より状態 形より状態 物には何の力もない

 

私たちはつい物やお金が手に入れば目的が達成されたと思いがちです。それも手に入ればまだしも、欲しい物が手にはいらなければ、さらに物への欲求にしばられたりします。

 

しかし、本当に物に価値があるのでしょうか。物は結果であり、結果物を欲しがるという矛盾が実は存在します。物が欲しければ、それが入るような原因をつくるしかありません。

 

本日は動画を下記しました。この動画は、これまで二回にわたってお話しさせていただきましたが、マグネシウムをどのようにして取り込むか、その方法を動画にしたものです。

 

具体的な方法は動画をみればすぐにわかりますので、ご覧ください。ここでは重要なエッセンスについて、改めて語らせていただきます。

 

動画の内容からマグネシウムを得るには、物理的には少量で計測できないくらいの量しか体内に取り込めないと思います。

 

しかし、マグネシウム棒から水素が発生する際に、微量ですがマグネシウムが水に溶けていることは推察できます。それは水素発生の量と比例するはずです。

 

水素発生分に比例するマグネシウムが水に溶けるわけです。ただし、それでも微量です。問題はマグネシウムの量ではなく、マグネシウムが発生させる電子にあるのです。電子不足が生命活動を弱めると私は勝手に思っていますので、電子をともかく発生させたいのです。

 

それには、物としてのマグネシウムやクエン酸が必要であるという物レベルの考え以外に、それ以上に重要な動作があるのです。かきまわすことです。かきまわすことで、水素の発生量が増えるという物理現象が当然生じるのですが、実はかきまわすことには、それ以上の意味があるのです。

 

かきまわすことが、ある一定の姿勢や状態を作るからです。物には力はないが、姿勢や状態には本質的な力があるのです。

 

人は物や結果ばかりを求めて、姿勢や状態の維持に目を向けません。

 

マグネシウムとクエン酸が水で溶けあうことで、化学変化としては条件が同じでさえあれば、何度やっても同じ結果の水素が発生しますが、電子の発生はまた別だと思います。電子も物質なので、あるいは、それ以前の問題かもしれませんが、それを発生する際のかきまわす姿勢や状態が重要なのです。計測できる世界と計測できない大源の世界があるからです。

 

これはスタップ細胞にもおそらく言えることだったと思います。叩く、、、ことの重要性。しかし、どこかの研究者が冷たい気持ちで懐疑的に叩いても、結果がでないのです。当たり前なのです。意識が優先されて物ごとが作られるからです。太源の計測できない世界へ働けないものが、結果である現実を作ることなどできません。

 

しかし悲しいことに人は物と結果を求め、決して姿勢や状態に目を向けようとしないのです。

 

叩く、、、それも楽しく叩く、、、喜んで叩く、、、、きっと電子、または電子に置き換わる元物質が豊富にこの世にあらわれるのです。意識に反応して無から有が作られるからです。その原点にあるものが、喜びなど、一定の姿勢と状態を維持した動作に反応するからです。陳腐な自己保存の冷たい気持ちで叩いても、表れてくるものは失望の結果しかありません。心の姿勢や状態が悪いのです。

 

心の姿勢や状態が悪いのに、良い結果を出そうとしても無理です。人はいつでも、物や結果ばかりおいかけ、いらいらし、冷たくなり、焦り、不安になったりしますが、それは物や結果を追いかけているからです。物よりも姿勢や状態が大事なのです。お金のことばかり四六時中考えていると、体を壊します。物からはエネルギーを得ることはできないためです。

 

また悪い姿勢や状態でいる人が、命あるものなど作れません。自分が今、どういう姿勢と状態でいるか、、、それを常に意識すること。そして、良い姿勢や状態を選択すること。そうすれば私たちを取り巻く外界の変化は早くなります。求める物も結果的に手に入ると思います。

 

姿勢や状態の中で特に大切なのは、喜びです。それによって私たちはエネルギーを得られます。喜びが大元のエネルギーだからです。喜びがなければ誰でも生きられないようになっています。それが宇宙の、無の、本当のエネルギーだからです。

 

肉体の健康状態も大切ですが、たとえそれが悪い時でも、意識をあかるい喜びの心にむけることができたら、エネルギーはそこに入りますので、肉体も良くなる可能性が高くなるのです。常に意識が優先されるためです。

 

それでも人には苦しくつらい時があり、やがて、死が訪れる時もあります。それでもなを、「ああ、面白かった、、、いい人生だったよ。死にたくないけど、とてもよかったよ。」と言われたら、もうどうしようもない。何も言えない。天国に行ってもらうだけです。意識はあの世にも直結ですので、死に際に幸福だと言われたら、天国に行ってもらう以外にないのです。

 

たとえ、短命で薄倖で病弱で貧乏で親も冷たい、体も痛い、、、そんな人が死を迎えた際でも、ああ幸福だ、、、と思われたら、どうしようもない。意識が天国なので、もう天国に行ってもらうしかない。

 

悔しい、試合に負けた、、、これまでの練習は何だったんだ、、、と思っても、それでも、「結構楽しかった、、うれしかった、、、試合できてよかった、、、練習も幸福だった、、、」と言われてしまったら、誰も何も言えない。

 

社長に首だ、、、と言われてもそれでも幸福、、、という心の状態があれば、首は自分と何の関係もない。この世的な損失は、自分が物ではないことに気づく時なのです。姿勢や状態が本当の自分だったと気づく。

 

貧乏でも、「ああ、楽しい」そうした心の状態を維持されてしまったら、どうにもならない。実際、私たちも子供時代は貧乏なくせに楽しんでいたはず。あれが本当。金がない、、、といらだつ今の自分の方が物信者で、不幸。金がないからと言って良い状態を失っているから不幸なのです。金がないから不幸なわけではありません。一見、引き寄せいの法則みたいですが、引き寄せの法則は、この世的な価値のためにつかわれやすく、原理がその分希薄化しています。

 

要するにできるだけ良い姿勢や状態を維持することに目を向ける。体にも心にも。そこに意識を向けたら、意識が見ていることに沿って現実は作られますので、物理的な物は意識の副産物として物質化するのです。

 

意識が物を作り、物は意識の産物という順番を忘れてはいけません。なので、物に真実はなく、姿勢や状態にこそ真実があることになります。

そしてそれが、私がマグネシウム電子を取り込む方法でもあるのです。初音おばさんのおむすびのようなものです。体に悪いと思われている工業的にできた塩を使っているのに、そのおむすびを食べた人を健康で幸福にしてしまう。

 

マグネシウムを体内に取り入れる方法がやけに難しくなってしまった印象ですが、動画をご覧いただけたら、すぐに理解できると思います。

 

何回かきまわせばいいのですか、、、右周りですか、、、左の方がいいですか、、、一日に何回飲むのがいいですか、、、こうした質問はすべてこの世的な質問です。そうした物質的な質問には、答える意味がありません。そうした質問をする心の状態がすでに物と同じなので、何言っても無理なのです。

 

ヨガも舞踏も武闘も、形よりも、それを行っている際の姿勢と心の状態が大切なはずです。意識が形に向かっているのを凡人ヨガ、凡人武闘といい、心の状態や意識に向かっているヨガや武闘や舞踏が理想で、意識が無の姿勢を見つめれば、達人に達するのだと思います。

 

マグネシウムをかけまわしている際の、あなたの姿勢や状態こそが、鍵を握っています。

 

ぜひ、喜びの思いで、マグネシウムをかき回してください。

 

「まぐちゃん、頑張れ。水素ちゃん、凄い凄い、、、まぐちゃん偉い、、、」

 

それによって計測以前の元物質がこの世に出現し出すのです。

思えば、民謡に残る労働の歌なども、同じ原理です。「やーれん、ソーラン」も「エンヤートット」も、それを歌うことで、苦しいはずの労働が喜びのエネルギーワークともなり、捕れた魚も体に悪いものにならないのです。見えない本当の物理の扉が、開こうとしている時代です。





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エネルギーの法則から生まれた金銀ハマグリン 

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 エネルギーがすべてを作りすべてを動かしすべてを維持しています。状態が一定の物はこの世には存在せず、すべてエネルギーの状態を反映して存在しています。

 

物は物ではなく、エネルギーの状態を示しているだけですので、壊れることも崩れることも立派になることも腐敗することも消滅することもあるのです。

 

それは、物が変化したのではなく、エネルギーの状態が変化したにすぎません。

 

すべてのことを物質から見るのと、エネルギーから見るのとでは、似ているようでいて、まったく異なった世界にアクセスすることになります。エネルギーを見ることは、実体の世界を見ることであり、物質を見ることは、幻想の世界や幽界を見ていることになるのです。

 

物質は結果であり、肉体も結果です。エネルギーの状態を表現している表現物質です。

 

物に変化があるように、肉体にも様々な変化があります。エネルギーの状態が変わるからで、年を取るからではありません。

 

睡眠不足や年齢や食事の影響により、肉体が変化しているように見えますが、睡眠不足や年齢や食事がエネルギーに対して何等かの条件づくりをした結果、肉体や物質が変化しているのです。

 

実際、恋に夢中になっている少女は睡眠不足でも肉体に問題を起こしません。多少問題ある食事をしても、エネルギーに直接かかわることではないので、すぐに体調に変化がでるわけではないのです。物には何の力もないからです。

 

問題あると言われる食事が何等かのエネルギー阻止の条件づくりをするケースが多くなるので、それを問題ある食事と言っているに過ぎないのです。エネルギー豊かな塩酸に私は指をつっこまれましたが、痛くもかゆくもありませんでした。その塩酸を10円玉につけると一瞬にして色が変色しましたので、塩酸の性質を失うことなく、私の指には無害だったわけです。

 

物質はエネルギーの状態が問われるわけで、物質に良い物も悪い物もないのです。

 

物には何の力もありません。エネルギー状態に意味があるだけで、エネルギーの変化が、あたかも物の変化を生み出したように誤解しているだけです。

 

癌にかかっても、それは結果であって、どうなるものでもありません。結果を変えようとしても、結果に出てしまったものは、どうにもならないのです。受け止める以外にない。しかし、なぜ、癌になったのか、、、それには、必ず、そうなる条件があったはずなので、それを見つめる以外にありません。

 

日ごろの考え方に、癌を生じる条件づくりはなかったか、、、、

日ごろの生活態度の中に、癌を生じる条件づくりはなかったか、、、

日ごろの気づかない意識の中に、癌を生み出すものはなかったのか、、、

 

そうやって考えていけば、必ず、何かのヒントが得られるはず。それを変えれば、癌を形成した条件が外れますので、新たな結果が生じることになり、奇跡も起きるわけです。このうちもっとも大きな間違いは、自他をことさらわける考えや意識です。命がひとつ、との意識にかなうものはなく、ついに行き詰った際にあなたをどんな状態からも助け出してくれるものは、命はひとつ、の意識になります。

 

しかし、癌になったら、運が悪かったと思い、なんで自分が、、、と考え、早く治してまた元の生活に戻ろうとする、、、、ので、治らないわけです。

 

元の生活や意識や考えがきっかけになっていたのですから、元にもどったら治らない。再発のメカニズムに入ります。

 

何かを変えなくちゃいけない。順番としては、食べ物、生活態度、考え方、意識という順番で重要になります。より微細な条件が大きな現象を生みますので、意識が変わればすべては変わり、食べ物を変えた程度とは異なります。

 

もちろん食べ物を変えることは重要ですが、意識がそのままでは発病のメカニズムは越えられません。

 

癌に限らず、開運的なことを目指すなら、「私が悪かった、、、私が間違っていた、、、」と、心底思えたなら、すべての現象が変化を早める。もっとも微細な作用、すなわち意識を変える以外に新たな結果は生み出せないのです。私が悪かった、、、、と言われてしまったら、もう外界は変化する以外になくなります。

 

健康法も大事だし、食事も大事だし、運動も大事。確かにそれらは健康への条件づくりではあるので、大事なのですが、意識が変わらなければ、大した変化は訪れないことを、私たちは知っておくべきです。

 

このうち、もっとも大きなものは、命はひとつであり、外界のものと異なる点を探すのではなく、共通点を常に意識して生きることに他なりません。自分は彼であり、自分は大地であり、自分は外界であるとの認識に立つことで、あらゆる問題は解決し、またあらゆる問題は共通意識の不足から生じてきます。

 

共通意識を最大に取り去ったものが、戦争という状態を生むのです。

 

このように、エネルギーに働きかける最良の条件が意識であるということが分かったと思います。あとは実践あるのみです。

 

さて、次にエネルギーの法則として、圧が高い方にエネルギーが集まることを知る必要があります。海は汚れてエネルギー不足に陥ると台風を起こし、あえてギャップを作ります。ギャップが作られれば、それを元に戻そうとする力が訪れますので、海はエネルギーを得ることができます。

 

ギャップがあれば宇宙は必ずそれを元に戻そうとしますが、それが本当のエネルギーです。その際に、エネルギーが流れる方向があり、圧が高い方にエネルギーが訪れるのです。ギャップはそのために必要になります。

 

ギャップとは変化です。変化があれば、変化条件となっている圧の高い方にエネルギーが訪れます。というより、変化自体が圧が高くなった現象そのものなのです。このうち、意識が変化すること自体が最大のエネルギーを呼び込みます。

 

世界の中央で愛を叫ぶ、、、という本のタイトルが確かありましたが、それは劇画的な面白さであって、エネルギー的に言うと、愛はささやいた方がベターかもしれません。

 

その分、意識圧が伴いやすいからです。絶対と思ったことより、ふっと気づいたことの方に、大体は真実があります。微細な意識にまさる作用はありません。小さな小さな自分の中にある意識が、私たちの運命を決めているのです。微細な動作などを重視する日本文化はその意味でも、この世がエネルギーによって動いていることを知る類まれな文化です。心の中にある意識とは、常日頃、私たちは本当は何を見ているか、、、ということであり、見ている方向へ圧がかかっているわけです。

 

 

お知らせ

完全手作りの品をご紹介させてください。

 

金と銀のハマグリン。私しとスタッフで作った完全手作り品の高周波エネルギーグッズです。

 

ハマグリの中に工夫を凝らして鈴が入っています。ハマグリというある程度密閉された閉鎖空間内は、外界よりも圧が高い状態に置かれています。

 

箱の中に入ったものは、何年たっても傷みません。それは箱内の圧が外界の圧よりも高いため、箱には常にエネルギーが注がれているからです。そのため、中に入ったものは傷まないわけです。蓋を開けてしまったら、外界と箱内の圧は同じになり、エネルギーは途絶えますので、箱内の物にもすぐに劣化が始まります。

 

ハマグリ内の圧を利用し、さらに鈴を鳴らすことで、音圧が高まります。それはエネルギーを集める機能として高度なものとなります。しかも音は微細な2万ヘルツ以上の音が豊富に出ます。それ以下の音は耳に届きますが、届かない音が肌に当たるのです。

 

耳に届く音は音で、肌に届く音は音で、どちらもエネルギーを集めます。ハマグリンを体に置くだけでも暖かく感じられる人が多くいます。さらに音を鳴らしながら揺らす、さする、、、楽しいエネルギーグッズとなることは間違いありません。

 

敏感な方は、ハマグリンの映像や写真を見ただけで、何か、尋常でない力を感じると思います。それは私やスタッフが楽しんで、原理を知りつつ作ったからでもあります。はっきり言って、ほとんど利益のない商品です。しかし、これは世界に一つしかない、高周波グッズであり、わかって下さる方には、必ずお守りとなると信じています。動画もぜひご覧になってください。





ハマグリン ひとつ3800円
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あっちの世界とこっちの世界、、、独り言

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私たちが暮らすこの世界、地球、宇宙があります。もう一つ、目に見えない、測ることもできない、認識できない世界がなくてはおかしいのです。

 

私たちが暮らす世界をこっち。見えない認識できない世界があっち。

 

目に見える世界があるということは、それを生じしめた見えない世界がなければおかしいのです。有から有が生まれることはありません。有は無からしか生まれないからです。

 

こっちの世界には、人が住み、動物も植物もあり、食べ物も水も音も電気もある、私たちが実在と思っているものすべてがそろっています。

 

その中には、一見、あっちの世界に属するように見えて、実はこっちの世界の物であるものがほとんどです。例えば、思考や思想や宗教。そして、霊や高次元の世界と呼ぶ一見形而上的なことまで、実はこっちの世界のものです。

 

なぜなら、それは認識できるものであり、何等かの定規で規定できなくないものだからです。神は高次元の世界にいる、、、という話しはよく聞きますが、こっちの世の低次元もこっちの世の高次元も同じこっちのことになります。

 

認識できるもの、認識の対象にしようとするものは、すべてその時点において、こっちの世界に属しているのです。

 

では、私たちはあっちの世界を認識することは永遠にできないのでしょうか。認識できるものはすべてこっちの世界のものなので、できないといえますが、認識できないまでもひとつだけ、あっちの世界と共通するものがあります。

 

それは「命」です。こっちの世界で命を失うことを死と思っている私たちですが、命は死ぬことはありません。命はあっちの世界のものだからです。命をこっちの世界のものだと思うところに、根源の間違いがあります。

 

命はあっちのものなのです。あっちは命そのもの。私たちはこっちの命が死んだように見えて、あっちの世界に戻るだけ。もともとあっちから来た命なのです。

 

こっちとあっち。ふたつの世界を本当に知るには、命を通す以外にありませせん。

 

本来、こっちの世界とあっちの世界は重なって存在しています。すべてはあっちからくるのですが、こっちはあっちと重ならない限り、継続できません。

 

常にエネルギーはあっちからしか流れてこないので、それが途絶えたらこっちの世界で一秒たりとも生きることはできないのです。私たちの命に限らず、すべてのものを存続させるエネルギーはあっちから訪れます。

 

あなたもあなたの服も、手にしているペンシルもプラスティックの下敷きも、家もビルも道も、あっちのエネルギーを得ない限りすべては一瞬にして消えてしまうのです。

 

すべてはあっちが生み出した命です。人にも物にも命が宿っています。その命はあっちのものですから、あっちと関係が途絶えたらすぐにこっちの世界の命は消滅します。

 

元々、命しかなかったということでもあります。有りて有りて有るあっち。要するに命です。こっちの世界の事柄もすべて、あっちの命あってのものですから、こっちのあらゆる現象や存在の意味なども、命という視点から捕えることしかできないのです。

 

幽界も霊界もこっちの世界です。お化けの世界もこっち。こっちでの命のこじれ方として捉えるとわかりやすいです。霊界もそうです。すべて認識しようとした時点でそれはこっちのものとなります。

 

命だけはわからない。命の出どころも、なぜそうなるのかも、命は何かは永遠にこっちの世界ではとらえられない不思議なのです。

 

では、認識できないのなら、あっちにアクセスすることは不可能に思ってしまいます。しかしそうではないと思います。あっちは認識できない世界。すなわち無の世界です。こっちの世界で言う無は、あったものが無くなる無ですが、本当の無はすべてを生み出す無です。その無は、思うことでも希望することでも考えることでも到達できない無。

 

しかし、こっちの世界でも共通する無はあるので、無になりきれば、その時、私たちはあっちの世界とかさなる地点にいることになります。あらゆる病気はその無と一体化することで治ると思います。もちろん私にはできないことなので偉そうには言えませんが、死んだらあらゆる病気が治るように、無になれば同じことが起こるはず。無はエネルギーそのもの、命そのものだからです。

 

何も考えない、無の意識圧よりも高いものはありません。命は一つの意識圧も同じことです。命はひとつ、、、あっちは命だけの世界、、、無。

 

考えてばかりいる人はエネルギーを失うのです。無、無、こっちの無ではなくてあっちの無。命がどこから来たかなんて、誰も分からないように、無は命と同じ。私たちは誰一人も欠けることなく、あっちの無、命によって生かされていることになります。

 

無になりきる、、、命になりきる、、、命そのものになりきる、、、子供が比較的元気でいられる理由です。

 

誰でも赤子のようにならなければ天国に入ることはできない、、、、イエスの言葉です。命の世界に入るには、無しかない。命に成りきるしかない。

 

永遠性の体現された芸術から学ぶのも良いかもしれません。意識改革です。意識は無や命とどう関係するのか、、、また、次回お話しさせてください。

 

もう一段上の健康情報 マドモアゼル・愛の「健康&長寿法則」セミナー

1125() 午後1時から4

場所 マドモアゼル・愛アトリエ(尾山台)

参加費  14000円 (マドモアゼル・愛健康促進セット付き 非売品)

 

内容 健康の喪失の時代です。形だけの長寿者は増えましたが、お年寄りは皆、どこかお苦しそうにしています。老人に限らず、日本人には本当の健康が失われつつあるように感じます。

その原因は色々あると言われますが、やはりポイントとなるものがあるのです。


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属 あっちの世界とこっちの世界

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 あっちとこっち。あっちの世界は見えない認識できない世界。こっちの世界は、今、私たちが生きていて、存在していると思っているこの世界と、それに関連するあらゆる世界のこと。前回もお話しした通りです。

 

あっちの世界は一切認識できない世界であり、アクセスする方法もありませんが、あっちからすべてのエネルギーが訪れ、こっちの世界を動かし生かしています。

 

こっちの世界は、今、私たちが見ている、また考えられる世界のことで、地球だけでなく宇宙もこっちに入りますし、四次元とか5次元とか6次元とかいうものも含む、霊界をも含む世界のことです。

 

本当に5次元や6次元や7次元というものがあるかどうかはわかりませんが、そんなに難しく考えなくても、あっちとこっちで十分な気がします。高次元という概念が出てくると、どうしても存在自体に上下があるような、わかりにくいものとなりますのであっちとこっちでいいのです。

 

人間もいつかは高次元に達し、いずれは悟る、、、という考えもあると思いますが、どんなに崇高なものに見えても、それはこっちなのです。次元が低かろうが高かろうが、こっちはこっち。認識の対象になるものは、みなこっちのものです。

 

あっちは認識できない、計測できない、理解できない、どんなに人間が素晴らしく高次元になっても、それでも認識できない世界があっち。

 

一言でいえば、無の世界です。有りて有りて有りて有る無の世界。それがあっち。

 

あっちのことはわかりませんが、こっちは必ずあっちと一体となって存在しています。あっちからしかエネルギーは来ませんので、こっちはあっちがなければ一瞬にして消えてしまいます。

 

あっちの世界を私たちは見ることも触ることもできませんし、認識することも無理ですが、あっちの世界がこっちの世界をどう生かしているかを見ることはできます。こっちの世界を存在させている、こっちの世界を動かしているその背景様があっちです。

私たちを生かし、すべてのものを存続させる背景様、、、おかげ様でもいいかもしれません。こっちの世界の働きを見れば、その背景にはあっちの力があることがわかります。

 

一言でいえば、昨日も言いましたように、それは命です。

 

命は何によって存在しているかというと、喜びです。あっちの世界の実体は命であり喜びであり、それだけです。

 

私たちはそれをこっちの世界の働きを見て感じ取る以外にできませんが、私たちは死ねばあっちの世界に入れます。入ることはできるのです。命はあっちのもので、こっちで死ねば命は古巣のあっちに戻ります。しかし、その際、一元の世界に戻ることとなり認識する立場がなくなるので、体験としてあっちの命そのものに戻るわけです。またこっちで死んでも意識がこっちの世界に向いていれば、すぐにはあっちには戻りません。

 

通常は死ねば喜びだけの命の世界に戻るわけですが、こっちの世界にも様々な命のありようがあり、意識がこっちの何かにフォーカスしてしまうと、なかなかあっちにもどらない命もあると思います。幽界や霊界もそのひとつだと思うと、わかりやすいかもしれません。宗教も残念ですがこっちの世界のものです。

 

ともかくあっちとこっちに共通するのが、命と喜び。これ以外にありません。わかりやすく考えた方がいいのです。

 

命は共通です。命はあっちのものですが、こっちに来て色々なものを作り動かし存続させます。命にエネルギーがあり、意識がそれを運びます。喜びも命と同体であり、喜びの表現が命なのだと思います。

 

こっちの世界を存続させているのも命と喜びですが、こっちでもそれはあっちのものですので、こっちの世界での命と喜びは、あっちと同じものなのです。

 

ここに重要なプレゼントがあります。こっちの世で、私たちは泣いたり嘆いたり悲しんだりひがんだり恨んだりしていますが、それらはすべて嘘であり、実体がないのです。それはこっちの世界で劣化し崩壊に入った現象であって、すべて嘘です。不幸も嘘、悲しみも嘘、、、、そんなものは本当にはないのです。

 

しかし命の喜びはあっちと同じです。こっちの世界でも喜びと命は本物なのです。それによってこっちの世界も存在できているのです。なので、悲しみや不幸は嘘。命と喜びは本物という、まさに福音現象がこっちの世界でも起きているのです。

 

意識とは、何を見ているかに尽きます。喜びと命をみていれば、私たちはこっちにいながらあっちにいるのと同じです。意識は圧です。意識したものに従って反作用が訪れます。意識が喜びなら喜びが戻ります。悲しみと嘆き、恨みなどを見ていれば、こっちの世界に幽界ができるでしょう。実際にできているわけです。

 

そこで人はいかに生きるか、、、ということになるわけですが、喜びと命以外は嘘だと捉えられるようになることです。その視点でこっちの世を生きれば、こっちの世もあっちと同様になるはずです。はず、、、というのは、私も到底まだ達していないので、はずと思っているわけです。そこらへんはみなさんとまったく同じか、むしろわかってない方かもしれません。

 

私も皆さんも、これからもきっと、こっちの世界で悲しいことに出会ったり、不幸な出来事に遭遇したり、どうにもならない恨みを抱いたりすると思います。しかし、そんな際にでも、それは嘘であると知りつつそう思うならば、ずいぶんと違ったものになっていくと思います。逆に喜んだり嬉しかったり命の躍動を感じた時は、それは嘘ではないのです。実体なのですから、くったくなく喜びそのものになればいいわけです。

 

悲しんでもいいけど、苦しんでもいいけど、どこかでそれを嘘と知りつつ、嘆く。喜びの時は素直にあっちの世界を味わう。そんな風に生きていけば、私たちはそんなには道を大きく間違わない気がします。

 

 


健康立国

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藤原直哉先生はこれから日本人が目指す方向性の、もっとも重要なものとして、国民の健康を取り戻すことに主眼を置いています。健康立国と言っても良いかもしれません。藤原先生がおっしゃる健康立国には、個人の健康はもちろん、働き方や社会制度、企業組織などを含む広い意味での健康との観点です。ここでは、私は個人の健康に絞ってお話しさせていただきたいと思います。

 

 これから自分を含む仲間や家族が、しいては世界の人がどのようにして健康を取り戻していくかを、私は構造的に考えてきました。

 

健康を取り戻すためには、なぜ不健康になったのか、、、の視点に立つ必要があります。病気になったら治すことに力点が置かれてしまい、医者に任せきり、、、というのがこれまでのパターンですが、本当にそれで良いのでしょうか。

 

病気になるには、なった理由があるはずです。そこに視点が置かれれば、なぜ自分が病気になったのかが理解でき、それとは異なる考え方や生き方に力点が置かれていくはずです。

 

病気は神様がくれた白紙の手紙、、、という言葉を聞いたことがあります。それを読み解くのが病気の人の務め、というわけです。

 

この時、個々の不注意や意識や考え方が、病気の原因になることは当然ですが、それと同時に、あえてそのような状態に持っていこうとする力や風潮が社会にあることに気づかないとまずいのです。

 

社会は、本気で私たちの健康を考え、それに沿うように作られたり、運営されているのか、、、という視点でもあります。結論から言いますと、本当に悲しいことではありますが、社会の風潮、マスコミの性格、企業体質、国家体質は、一部では一生懸命やっている善意の人もいるのは事実ですが、おおむねは、私たちの健康が損なわれる方向に進んでいます。

 

そうしないと物が売れない、、出世できない、、、利益が上がらない、、、ということなのでしょうが、よく目を凝らして見ると、それは悪魔的でさえあります。

 

不健康不安恐怖本位制で、この世は動いています。ユングが戦前にドイツ国民の中に敵意と憎しみが高じてきているのをみて不安に思うのですが、その際にはっきりと、「この世は悪魔が動かしている」と言います。

戦前はユングのような天才的な人にしか見えなかったものも、今では、私たちが注意深く社会を見つめるだけで、「こりゃ、悪魔だよ、、、悪い奴が上にたってるよ」と、簡単に見抜けるようになりました。その意味では私たちも利口になっているのかもしれませんね。

 

いいにくいことですが、私たちは不健康にさせられている、と言っても良いくらいのことが今の私たちの社会や世界で起きています。なので、多くの人が不健康に陥っているわけです。

 

具体的にあげつらうこともできますが、個々の良い悪いではなく、大元となる不健康要因があると思うのです。そのポイントさえつかんでいれば、ほとんどの人を不健康にできる、、、というポイントです。それもわからないように、うまく。

 

まさか、そんなことあるわけないじゃない、、、と思われるのは自由ですが、何らかの悪意とは別にしても、結果的に、不健康に陥るためのポイントが実践されているということは事実ではないでしょうか。

 

悪意ではないにしても、そうしていれば儲からるから、、、というところから来ている策略、もしくは結果論かもしれません。とは言っても不健康にされてはかないませんので、私たちは防衛の意味でも、このポイントを知っておいた方が良いのです。

 

通常の健康を維持する基本的なものを奪われていると、私は思っています。

 

長い人類史の中で、私たち人間が居たところ、その場所は、海と陸です。海辺での生活が長かった人類の歴史。体毛が抜け、水流に沿って体毛が流れるのも、また水流が直接触れない部位だけには体毛が残ったのも、私たちの祖先が海辺で暮らしていたことをうかがわせます。陸だけにいた生物の体毛が抜けるはずはありません。

 

その頃の人類はおそらく海でイルカと友達だったことでしょう。しかしイルカと道を別つときが来たのです。イルカは、「俺たちは海に残るよ。お前ら人間は陸に戻るのか。それも良いだろう、、、がんばれよ」という時があり、それぞれ別の道に進んだのだと思います。

 

まあ、私のたわごとではありますが、海と陸が人間の重要な居場所であったことだけは事実です。そして現代の生活は、その両方ともを私たちから奪ってしまったのです。

 

アスファルトジャングルでの生活は、海と遠く、大地とも断絶。

 

具体的には、海との離別は、マグネシウムの枯渇を生みました。マグネシウムは人が生きていく上での必須栄養素です。海にたくさん含まれています。必須栄養素のどれがとくに重要かは言われませんが、私はそれがあると思っています。それがマグネシウムだと思うのです。(海と人間の関連はマグネシウム以外にたくさんありますが、あえて絞って語っています)

 

現代人は確実にこの栄養素不足に陥っています。要するに海と断絶されたのです。マグネシウムは海そのものだからです。イルカは去っていく時、きっと言い残したはず。「陸もよいけど、マグネシウム不足はダメだぞ、、、人間にも海が必要なんだぞ。」と。

 

ほとんどの酵素の働きの総元締めであるマグネシウム。これが不足すると、全酵素もカルシウムもあまり意味をなさないので、司令塔的重要性があります。マグネシウムの慢性的不足は、人間の体調の全般を容易に狂わせることができます。しかし、マスコミでも医学でもあまりそのことを言いません。お題目として、必須栄養素、、、ということではありますが、それが要であることを誰も語りません。

 

海との断絶によるマグネシウム不足を、まず、現代人の不調の第一位の原因にあげたいと思います。もちろん、個人差や環境差はありますが、おおむねの話しとしてお受け取りください。

 

次に大地と人間の関係です。ここにも明らかな断絶があります。

 

人体の中で、今、もっともさげすまされている部位はどこでしょう。私は足だと思います。美人でおしゃれでどこから見ても美しいのに、夏靴からちらりと除く足を見て、がっかりすることがあります。

 

靴を履く生活に問題があることも確かですが、靴に関した文化的背景が日本と海外では異なります。日本人はほとんどが、ぴったりのの靴よりもやや大き目の靴を選ぶ傾向があります。これは海外に比べて靴文化がまだ短いせいもあるかもしれません。靴を生理的に考えると、足と靴が一体化するぴったりの靴でないと、色々な問題が生じます。

子供や成長期のことを考えると、つい大き目の靴を購入するのは仕方ないかもしれませんが、基本はぴったりとする靴で足と一体化した方が疲れないし、足に負担がかからないのです。

 

日本ではつい大き目の靴を購入する方が良いだろうと思う方が多く、靴による足への不自然な負担がかかっている人が多く見られます。海外の人に比べて足がデコボコしていたり、小指が押し込められて変形するケースが多い気がします。足の変形を防ごうとして、さらに大き目の靴を選ぶという悪循環もあることでしょう。

 

何が言いたいかというと、日本人の場合、靴文明がまだ浅いことによる色々な誤解が足を痛め、全体の不調につながることが多いということです。

 

靴については選び方を工夫すれば対応できますが、大地とのつながり、という観点に立った時も、足は重要です。まず、足をきれいにしておくことで、大地とのつながりの第一歩が回復されます。

 

次に、足と大地との関係、アーシングでもあります。アスファルトジャングルの中で、私たちは異常な帯電状態にあります。帯電した電気は体内への雷現象を生じますし、電気系統で動く人間の全般的健康に影響を与えます。

 

靴をはき、大地とつながることを失い、道もアスファルトで大地と断絶。それはアーシングできない状態であると同時に、地中エネルギーを得る機会を失う日々であることを意味します。

 

地中にはフリー電子がたくさんあり、それを得ることで人間の元気や活動が左右されていると考えられます。

 

大地とのつながりを失った歴史は人類史の中でもわずか100年にも満たないことですので、100年前の人がもし今アスファルトの上に来たとしたら、立ちどころに気持ち悪くなったり、倒れてしまうのではないでしょうか。

 

帯電と自由電子の不足によるものです。私たちはそれを生まれてからこの方、ずっと受けているのです。高層住宅は確かに景色はきれいですが、帯電、大地とのつながりの断絶の面から、もっとも価値のないものとなるでしょう。何百万年も大地とつながって生きてきた人間の歴史の中で、わずか、戦後の70年程度で、あっという間にすべてはアスファルトジャングルに置き換わったのです。健康にとって、とてつもない窮状と言えます。

 

アーシング、及び、空気中への放電が必要になります。大地とのつながりを再び取り戻すために、足に注目しなければならないのです。病人の足は汚れているものです。大地を忘れて人は健康的に生きていくことなどできません。これが医学では一切語られもしないのです。

 

海とのつながりを取り戻す、、、大地とのつながりを取り戻す、、、、

 

この二点がまず健康を目指す人が注視せねばならないポイントです。そしてもっとも重要な天とつながる、、、の視点については、また次の機会にお話しさせていただきます。

 
自分でつくるマグネシウム&新鮮水素パーティのお知らせ
10月9日 18時30分から20時頃まで 
会費   3000円 お弁当&水素セット付き
定員   7名
場所 SHOPマドモアゼル・愛 尾山台駅下車200M

お申込みは下記に話にてお願いします
SHOPマドモアゼル・愛 03-6432-1461

マドモアゼル・愛 公式SHOP
 
 

たちどころに元気になる方法

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 元気であるか元気でないかは、その人の生命エネルギーが豊富かどうかで決まります。

 

人がたちどころに元気になる方法があれば、それは大変有望なことですし、必要なことです。実は簡単な方法があるにはあるのです。私もそのセミナーをどうしても開きたくて企画したことはあるのですが、その都度スタッフの反対にあって実現しませんでした。

 

反対されるには反対される理由があるのです。色々な誤解を生むためです。とくに性に関したことになると、興味本位やひやかし、無理解がどうしても出てくるため、素直に性に関したことはオープンにできない面があります。

 

国家などにとっては、性の規制が民心掌握の基本にあり、どの権力も性を自分らが管理できる位置に置いておくことが重要でした。民意で性が自由が横行してしまうと、権力を維持できない仕組みがあるのです。明治政府の最初にやったことも混浴禁止令の徹底でした。

 

人の自由をしばるのが権力ですから、性はその際、筆頭に挙げられる監視すべき事柄なのです。なので、強圧的な組織や強圧的な家庭や国家においては、性の監視が重要なテーマになってきます。国民が性について自由な印象を持つことを抑圧し、性について自由に話したり関心を抱くことを敬遠させるムードを醸成したいのが権力者なのです。家でも国家でも。

 

そして性はいかがわしくて、暴力やポルノなど、問題あるものだという位置づけを作ります。国家や権威は性がそう扱われた方が本当は有利なのです。表向きの規制は行いますが、そうやって危ないものだと思わせて、性と人間を切り離したいのです。

 

民衆の精神的で高度な喜びと性の自然な喜びを、ゆがめた方向にもっていくことは、権威者の本心で願っていることだと思います。そうでないと支配できないためです。

 

さて、そんなどうでもよいことはこれくらいにして、では、どうすればたちどころに人は元気になるのか、、、の本題に入ります。性と関係するためについ前置きが長くなりました。

 

フロイトはエネルギーを取り込む簡単な方法として、いやらしい絵画を飾っておくこと、、、と言っています。写真じゃダメなんです。絵画でないといけません。

 

男性にとっては女性の裸の、しかも非常にいやらしく感じる絵画でないとダメです。女性にとってはこうしたことのハードルは高いと思いますが、それでもいやらしく、凄く刺激されるような絵画を探してみることです。対象は男性の裸でもいいし、女性のいやらしい裸体画に自身を重ねてもいいのです。

 

ただほとんどの人がここで断念してしまうことでしょう。しかし、実際にやってみればきっとわかると思います。何となく、元気になっていく自分に気づくからです。

 

フロイトの言うことは本当なのです。もっとも抑制されている本当の衝動、それをフロイトはリビドーと言いましたが、人は喜びがなくては生きたしかばねです。人を生きたしかばねにしない、最高のものがリビドーであり、人はそれを求めて生きています。なので、そこを抑圧されたら、人は人として、自分らしく生きることは不可能なのです。

 

それを得るもっとも簡単な方法がいやらしい絵を見ることだというのです。さすがフロイトです。あのひげの気難しそうなフロイトが、いやらしい絵画に見入っていたと思うと、けっこう楽しいですね。しかし多くの人はそうは思わないのです。まさか、、、あんな立派な紳士が、、、と。こうして権力は性の圧力政策を浸透させる形で近代化を行ってきたわけです。

 

私たちの健康はケミカルによっておとしめられ、私たちの食は添加物などでおとしめられ、私たちの性の喜びも、本来はまったく関係のないポルノなどで間違った方向におとしめられています。近代化とは、人の喜びをことごとく奪う政策だったわけです。

 

さて、フロイトはいやらしい絵画でのエネルギー補給の可能性に言及しましたが、私が考えた方法はさらに効果的だと自負したい思いです。

 

あっという間にエネルギーが体中に充ち、楽しくて仕方なくなってきます。(ただし拒否反応を示す人はどうしてもいるにはいると思いますが)

 

その方法を伝授します。セミナーは反対でできないので、その方法を伝授することで、あとは個々人にお任せしようと思います。

 

いやらしいストーリーを考えて文章にすること。

 

その際に、テーマを決めることが大切です。やみくもにいやらしい話しを書けと言ってもかけるものではありませんので、テーマをその都度決めるのです。例えば、星の王子様は、色々な星を旅しますが、その星はみんないやらしい星だと決めておくのです。

 

星の王子様は決していやらしい王子様ではないので、その王子様が見たことによる面白さは奇想天外に達します。また、王子様を通すことで、不思議な客観性というか、危ないことも公平に語れる安心感のようなものが出てきます。ストーリーの中で、自分が何もいやらしい存在になる必要はないのです。客観的に人物を作り、その人が見たいやらしい世界を書くこと。

 

以上、ルールは二つです。

 

   なんらかのテーマ性を持たせる。

   自分ではなく、客観的な主人公が中立の立場で見たいやらしい世界を描く

 

以上です。例として星の王子様は上記の条件を満たしています。王子様は性のことをよく知らない存在なので、見たことをただ正直に語れるわけです。ということは、どんなことでも偏見なく語り知らせることができるわけで、こちらも王子様という人格を通すことで、最も深いいやらしさに到達できることになります。

 

   のテーマ性は、遊園地でもいいし、色々な家庭を覗き見る透明人間でもいいし、日頃の生活環境の中から自由に考えてください。通勤でも通学でもいいし、学校や会社の行事などを取り上げ、一番いやらしいことで展開すればいいわけです。どんな遊園地が一番いやらしいのか、、、どんな通勤電車が一番いやらしいか、、どんな運動会が、、、というように。

 

私がやりたかった幻のセミナーは、星の王子様になってもらい、色々ないやらしい星をめぐるというもの。一話が書けたら名前が分からないようにして物語を集め、誰が書いたか分からないまま、それを発表します。

 

第二話、第三話、、、と進むうちに、異様な自由感覚が芽生え、参加者はあっという間に元気になるという想定です。いやらしい話しを集団ですると、必ず、皆元気になります。これは体験ある人ならわかると思います。その高度な方法がこうした文章化したものを皆で書き、それを読み合う会というわけです。もちろん一人でもできます。

 

性とはデリケートで複雑で個別性そのものの世界です。なので秘められた形でいることが自然ですが、現代ではゆがめられた性のまま閉じ込められてしまっていますので、そこを多少でも解放されるなら、とても気持ちが自由になると思います。

 

元気のない人は、必ず性を閉じ込めています。これを解放させることで元気になるのは、もっとも早く人が元気になる方法でもあります。

 

フロイトが提唱する絵画という方法でもよいし、私が言う、ストーリー方法も良いと思います。ストーリー方法は、文章力が無い人でもまったく自由に書けるはずです。リアリティがあるからです。文章に限らず、リアリティに触れれば、人は自由で元気になっていくのです。夜寝る前に一話づついやらしい話しを展開していけば、気持ち良く眠りにつけると思います。

 

バカらしいと思う気持ちは当然ですが、それでも実際にやっていくと、あっという間に元気になっている自分に気づくはずです。私たちは自分が考えている自分と異なる面が本当はたくさんあるのです。その可能性に蓋をしてしまう日々の暮らしが、私たちをいつしか元気ない存在にしているのです。そのことに気づく意味でも、こうしたバカげた取組みに意味があるのです。

重力から自由になる

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 あらゆる問題はエネルギー不足から生じるわけですが、別の言い方をすれば、あらゆる問題は重力につかまることから生じる、とも言えます。

 

重力から自由になれれば、私たちの生活も人生も生き方も変わります。

 

子供時代は比較的私たちは重力から自由で、自分の体重を感じることはあまりありませんでした。家の中でも野原を駆け回る際でも、自身の体が重たいと感じることは少なかったはずです。それが加齢と共に、立ち上がる時など「よいしょ」と掛け声をかけるようになり、重力の負担が大きくなっていきます。

 

しかしそんな老人でも、大好きな孫が遊びに来た時などは、孫を抱きかかえ、孫の体重をつらく感じることはありません。

 

またいくつになった人でも、飛び切りの嬉しいことや喜びがあった際には、体の重さを感じなくなって、元気に飛び跳ねたりします。

 

筋肉の衰えや体力の衰えだけではない重力の法則が働いているかのようです。

 

これらから言えることは、まず、物質や肉体は時間の経過と共に、重力につかまりやすくなると思います。しかし、そんな場合でも、嬉しいことや喜びがあると、その時だけは体の重さが消えていくわけです。

 

物理的な意味での重さがすべてではなく、重さや重力は人の気持ちや意識と深い関係にあることがわかります。

 

加齢により自分の体が重たく感じられるようになるのは、時間が重力に捕まるため、過去という概念が生じるからでしょう。時間が重力に捕まらなければ、おそらく過去というものは存在しないと思います。私たちが思う過去も未来も幻想なのかもしれません。

 

体を加齢と共に重たく感じるようになるのも、若い頃の体の軽さ=過去との対比であり、自身を物質的であると思うほど自身を重く感じていきます。老人になるほど「よっこらしょ」状態が増えるのは、自分が物質であるとの思いこみがそれだけ大きくなるためです。

しかし、私たちは体よりも意識が大元にありますので、自身が意識であるとの状況に至れば、あっという間にその時、老人の体重は軽くなっているわけです。

 

こう考えていくと、あらゆる問題の解決には重力から自由になることがあげられると思います。

 

重力が拮抗すれば無重力になりますが、その原理を肉体組織は巧みに取り入れているため、体重がないかのように動物や私たちは体を動かすことができます。

 

さらに、自分が意識であると思えば、体重は軽さを増していきます。私は意識である、、、と思って椅子から立ち上がれば、比較的楽に立つことができますが、自分は肉体であると思って立ちあがろうとすれば、重く感じるることになります。

 

重力から自由になることがすべてのカギを握っていると言っても良いでしょう。

 

まずは、自分が意識であるとの認識。次に血流が体重の認知度に非常に大きく影響を与えます。血の状態、そして血流の状態です。

 

地球では海流と川の流れがそれにあたります。地球の血液は水です。水のエネルギーが不足し、海流に力がなくなるとあっという間に寒冷化が始まりもするでしょう。

 

意識が大元であり、次に人は血、地球は水。血流が良くなれば、体は軽くなります。重力からかなり自由になる方法がありますので、また改めてお話しさせてください。

 

 

10月20日、21日 尾山台のSHOPマドモアゼル・愛は駄菓子屋さんになります

 

来る10月20日と21日の尾山台フェスタでは、駄菓子屋さんをオープン。

日頃のお礼の駄菓子屋ですので、オマケたっぷり、とってもお得!

面白いくじもいっぱいありますよ。ぜひ遊びにいらしてください。

 

マドモアゼル・愛 公式SHOP
 

 

明治150年にあたり、偉い人たちは大政奉還を

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が生まれ育った町には、三菱自動車があり、その前には勝海州と西郷隆盛の会見を記念する石碑がありました。おそらく今もあると思います。

 

その場所は田町駅のすぐ近くの国道沿いですが、両者はそこで江戸城無血開城をまとめました。これにより、江戸城は無事に明け渡され、大政奉還が成就したことになります。

 

あれから150年。今、再び偉い人たちの大政奉還が必要だと思います。

 

まず、家やビルや町や道路を作ることは、国家の根幹にかかわる大事業ですので、当然、大手の建設業界を中心にして、その下にくる無数の土建屋さんたちの会社がつらなります。景気活性化と言えば、そうしたところにお金をつぎ込むことが政府の景気活性化対策でした。

 

お陰様で、私たちの町や村には縦横に道が通り、大変便利になりました。社会インフラ面からみても、日本の道路はきれいでよく整備が行き届いています。グループ企業や仲間内だけで利益を守った面はありますが、今の日本がきれいに整備されたことは、そうした政策と企業のお陰です。

 

しかし、考えてもらいたいのですが、これからもまだ同じやり方で道をつくり、ビルを建て、新幹線を縦横に走らせても、そんなには、もう儲からなくなってはいないでしょうか。税金がこうした事業に当てられるわけですから、大手企業にとっては良いかもしれませんが、それでも利益は出にくくなっているはずです。その証拠と言っては悪いかもしれませんが、オリンピックなどの名目を使って、ここぞとばかりお金を浪費する。

 

昔のようにあまり大きな儲け口がないので、オリンピックにすがったりすることになるわけです。

 

そこでどうでしょう。もうビルも道も新幹線もオリンピックも限界に近づいていますし、国民の目線からみても、もういい加減にしろよ、、、の声が増大してきています。何より、公害の問題や自然破壊、資源の限界もあるわけですので、これ以上の道づくりやビルづくりや新幹線を作ってもあまり意味はありませんし、国民の同意も得られにくくなっていきます。

いっそのこと、道路行政や建築の大企業には、この際大政奉還をしていただき、これまでと真逆の政策に変更したらどうでしょう。

 

これまでは、荒野に道を通し、鉄道を敷き、駅を作り、町をつくり、家や工場を作って儲けてきましたが、今度は、それらをまた元の自然に戻し、美しい国や地球に戻していく。これまでの150年の作っては儲け、自然を壊してまで作って儲けてきましたところを、今度は反対に自然を復活させて儲けて欲しいのです。

 

そうすれば、無尽蔵の仕事が待っていますし、嘘のように儲けられます。しかも国民は皆手を叩いて喜びます。大政奉還した偉い人の邸宅の前を、子供たちはお辞儀して通るようになるかもしれません。

 

これ以上、自然と大地を壊して儲けるのには反対だが、自然をまた復活させることで儲けるなら、それは尊敬される企業になることを意味します。大政奉還です。真逆で行き、しかも尊敬までされる。

 

人を不幸にして儲けるよりも、人を幸福にさせて儲ける方が、伸びしろがずっと大きい時代に入ったのです。大政奉還を急いで欲しいと思います。

 

次の偉い人と言えば、やはり製薬会社や医療機関がそれにあたるでしょう。お陰様で、手術の技術は神業にまで達し、昔なら死んでいた人を助けたり、生き返らせることもできるようになりました。素晴らしい薬が劇的に効いて、人々の体の痛みを立ちどころに取り去り、しかも保険制度のおかげもあって、比較的安い金額で病院に行くことができるようになりました。

 

この150年の間に果たした、製薬会社、医療関係企業などの働きは本当に特筆できるものがありました。しかし、薬や医療の弊害も大きなものになりつつあり、すぐに病気で死ぬ人は少なくなったものの、多くの半病人を作っている現状は、無視できなくなっています。

 

巨大な組織を維持するために、このままいけば人を助けるよりも、人を病気にさせた方が儲かるというおかしな方向にいかないとも限りません。人を助ける薬や医療が、人を苦しめる方向に行く前に、大政奉還が必要なのです。

 

大手製薬会社のトップ、医療行政のトップ、それにかかわるあらゆる偉い人たちが、態度を改めて大政奉還をした際には、国は最高のもてなしを持ってそれら偉い人を迎え、保護し、国民からもあがめられるようにしたらどうでしょう。医療の闇、製薬の闇を追求するよりも、大政奉還した偉い人は、民族の英雄として列挙し、その功績をたたえる、、、彼らはすでに大変な金持ちですので、それらの保全も約束し、問題のある医薬一切の大政奉還を行う。それによって、国民はたちどころに健康で長生きになることでしょう。

 

国民の健康と長生きの最大の貢献者として、教科書にも載ってもらう。そうなれば、医療や製薬によって殺された幾多の無念の魂もやっと安らぐことができる。また国民から本気で尊敬されるようになり、決して悪い話しではないと思います。お金などは腐るほど彼らにはあるのですから、あとは、本物の名誉と尊敬が必要なはず。大政奉還して誰一人、損する人などいないのです。これをやりましょう。

 

同様に、食事行政においても、大政奉還が必要でしょう。とくに戦後の食にかかわる変化は激しいものがありました。西洋の食事が入ってきたお陰で、私たちの体も本当に立派になりました。昔ならすぐに腐ってしまったものも、今では腐らずに食べることができ、本当に便利になりました。

 

しかし、便利になったのは素晴らしいことですが、便利が優先しすぎて、ついつい体に悪い影響を与える添加物などが多くなっており、その弊害の方がややもすると大きくなりつつあります。

 

ここは思い切って、食にかかわる偉い人たちに大政奉還をお願いしたいのです。人に健康な食を与えることに、国は率先して融資し、貢献度によって多額の補助やお礼を出す。食にかかわる企業は、人を健康にさせればさせるほど、国からもお金がもらえ、何より、国民がこぞってそうした食や食品を選ぶことになり儲かる。

 

大政奉還した食にかかわる偉い人たちは、民や子供たちの健康と成長を守る偉大な母、と呼ばれるようになり、赤ちゃんや子供を持つ母たちは、大政奉還した偉い人の邸宅の前に立ち止まり、祈って行くようになるかもしれません。

 

心ない食によって死地に追いやられた幾多の魂も、その姿を見て涙を流し、歴史の流れを喜ぶことでしょう。

 

教育機関でも、法曹界でも、マスコミでも、同様の大政奉還が起こり、かつての815日をもって軍国日本が終えたように、人を不幸にして儲けるあらゆるシステムは停止し、大政奉還によって、今度は人を幸福にし、健康にさせ、喜びおおいものにすることで、これまでの150年間よりいっそう儲けられる世の中を上の人は作ればいい。そうすれば、官僚も喜んで働き、国民は喝采する。そのためにはあらゆるところでの大政奉還が必要です。儲け話しでもあるのですから、できないわけがないのです。目先の近欲に目がくらんでいるからわからないだけで、よく考えれば、もっと大きく儲かるし、喜びが広がるのです。

 

人を不幸にして儲けるところを、幸福にして儲ける方向に変えるだけ。不安しか見ようとしないバカが現状にしがみつきさえしなければ、簡単にできることなのです。

 

では、現代の勝海舟と西郷隆盛は誰か、、、どなたか心ある偉い人に、ひと肌抜いていただく以外にない。その日が近づいていると思います。

 

 

お知らせ 新しい会議方式による第一回目のセミナーのご案内です。

 

Zoom会議方式による「マドモアゼル・愛の開運セミナー」のお知らせ

 

2018101515時~16時半

Zoom配信実況「マドモアゼル・愛の開運セミナー 来年を良い年にする」

Zoom配信による生中継でお届けする初めてのセミナースタイルになります。記念すべき第一回は、マドモアゼル・愛の開運セミナー  5000

通常のリアルセミナーで大人気セミナーの一つが「開運セミナー」です。開運の原理とその具体的メッソッドに至るもので、通常のリアルセミナー35000円で開講した内容を端的にまとめ、初回特別セミナー料金とさせていただきました。

このセミナーはZoom会議システムを使用する遠隔参加型のセミナーです。

会議システムになっていますので、一方向からではなく、質問なども受け付けられる双方向性の配信です。

 

主な内容

何が開運を阻んでいるのか 

天の法則を知らないと見離される

運気には法則がある

感情には法則がある

お金にも法則がある

愛される法則がある

周囲は味方にできる

2019年は幸福になる

その他

 

受講されるには、スマホもしくはパソコンなどにつながる環境が必要です。

マドモアゼル・愛の開運セミナーは、PC,Mac,Linux,iOS,またはAndroid,または iPhone,ワンタップで受講できます。

 

ご遠方でこれまでセミナー参加が叶わなかった方は、ぜひこの機会にご参加いただけたら嬉しいです。

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強制か民意か

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 どのような強い者も権力も、流れが変わればあっという間に崩壊してきたのがこれまでの歴史です。平家20年、ナチス20年、、、永遠に続くと思われた絶対権力でさえ、うたかたの泡と消えていきました。

 

そして現在、大きな流れが二つせめぎ合っています。強制か民意か。強制の中には従来の共産主義的な強制もあれば、金銭支配による現代奴隷制度もあり、従来の社会主義が強制で資本主義社会が自由というものとは違います。

 

どちらもどのような支配構造も、後がない危機感の中で、強制力を強めています。私のブログでさえ、政府のどこかに通告してやる、、、というようなネトウヨ系の暴言を受けたこともあります。とくに政府批判などしたこともないにも関わらずです。

 

危機感の増大は強制を強めるのです。日本でも世界のいたるところで、後がない権力サイドが強制力で突破しようとしています。それに対する民意はかつてのように暴動や暴力に訴えたら思うつぼにやられてしまうので、純粋な思いを中心にした流れが大きくなっています。

 

なんだかおかしいよね、、、なんだか不自由だし、不公平じゃないの、、株で儲けている人以外は、みんな貧しくなっていってない?、、マスコミって気持ち悪くない?  上の人って、嘘言ってない? 仲間だけに儲かる情報が流れてない?

 

徒党を組むこともなく、大方の民意が強制力を執行する者と、あきらかな違いを見せてきているわけです。この、民意の中に根ずく、なんかおかしいよね、、、の感覚が、さらに多数となり、強制力が何を言っても、やっぱりおかしいよね、、、の民意で取り囲まれてゆく絵が、来年以降の日本や世界の流れになると思います。

 

教室の中で、暴力的なグループが一見、教室を支配したように見えても、度が過ぎていく中で、「あいつらやっぱりおかしいよね」の流れをどうすることもできなくなっていく。表立って反対したら暴力を振るわれるので何も言わないが、誰一人納得してないムードは段々と増大していき、どうにもならなくなった強制力は逃げ出すしかなくなる、、、

 

これから世界と日本で起こることも同じようなことだと思います。強制力が人々を強制すれば、誰も表立っては反対しないものの、誰一人、そんなことを信じてないし、しらけ切った顔で政府や役人や政治家を眺めていく中で、強制の執行力を失っていき、ある段階で逃げ出す以外になくなる、、、

 

今の政権もおそらくそんな最後になる気がします。民意と離れている流れの中での強制力の限界を見せると思います。憲法改正も、消費税10パーセントも、この後に及んで、何の正当性もなくなっている気がします。どんなに必要だと説明されても、みんなしらけ切っている、、、消費税、10パーセント、、、あるわけないじゃない。今度は何に使うつもり、、、と、抵抗とか、反対とかを超えた、おかしくない?との民意に抗しきれなくなっていく、、、そんな時代が来るのです。

 

強制力の上の方にいたブレジンスキーの言葉だったと思いますが、「インターネットを与えたことは本当に失敗だった」というようなことを言っています。

 

インターネットで徒党を組んで政権や強制力に立ち向かう場合もありますが、それだとすぐに強制力によって排除されますので、そうした使い方はむしろ強制力にとっては問題ないのです。

 

しかし、インターネットによって、真実の報道が見られてしまう、、、それが伝わり、段々と大きくなっていき、おかしくない? の民意ができてしまうと、強制力はそれに抗することは難しくなります。

 

民意の時代とは、何も革命とか労働運動とかとは違うのです。革命や労働運動はむしろ強制力にとって扱いやすい反対勢力であり、問題ないのです。なので、これまでもしてやられてしまってきたわけです。

 

民意とは、もっと自然で、日常的な感覚です。今の政権、やっぱりおかしいよ、、、という思いの集結であり、それに抗しきれなくなった時点で強制力は突然逃げ出して終わります。

 

昨日、私は初めてのZoomによるセミナーを行いました。わからないことだらけでしたが、それでも大勢の方にご参加をいただき、本当にうれしかったです。そして思ったのですが、Zoomの便利さもさることながら、これって、海外ともつながるし、仲間とも一緒につながるし、情報交換も一時にできるし、しかも電話料金がかからないわけだよね、、、、との驚きでした。

海外ともただでつながるということは、電話会社の出る幕などなくなるわけです。

 

こうした民意に沿ったツールが出てきたこと自体、何等かの強制力がかなり落ち込んでいる証拠だと思いました。民意を抑えることなど、もうできない時代に入りつつあるとの確信です。

 

私はインターネットのパソコン通信時代から何らかの形でかかわってはいますが、実際の機器を扱うことは、最初からあきらめていて、その部分は人にお任せしてきました。そのため、むしろ冷静に情報関連の流れを見てこれた気がします。

 

トイザラスがダメになり、さらに昨日、アメリカの小売店大手がつぶれました。こうした流れは、もう10年以上前から実は予想できましたし、飛ぶ鳥落とす勢いで人気だった、ミクシーの可能性も大したことないと思ったりしていました。

 

フェースブックは今なを全盛ですが、フェースブックも便利で素晴らしいツールではありますが、そんなには長くない予感があります。純な民意ではなく、化粧した民意に迎合する流れが気になります。人の見栄の部分にスポットが当てられるような基本的な構造が気になります。もっと言えば、フェースブックの中で、泳がされている感覚とでもいうのでしょうか。

 

その点、ツイッターは化粧部分が少なく、永遠性はフェースブックよりも上かもしれません。もちろん私の勝手な予想に過ぎませんが。

 

そして、昨日初めて知ったZoomですが、今後どんな形で発展するかはわかりませんが、潜在的なインパクトは恐ろしいものがあると思います。端的に言って、これがあれば都会は不要、会社組織も不要となる未来が、Zoomの可能性の中にあるからです。

 

さらに言えば、組織や国家自体のありようを変えてしまう可能性があるものがあります。ご存知のブロックチェーン技術とその展開です。これがその可能性を存分に発揮すれば、国は必要なくなり、銀行は当然なくなり、行政のほとんどが簡略化できます。戸籍制度も大きくかわるでしょうし、根本的で今あるものを根底から吹っ飛ばす力がここにはあります。

 

人はよく、ああ、、あれもいいよね、、、そうこれも確かに重要だよね、、、という話し方をしますが、それでは何を決断していいのか、最後の最後では頓珍漢なことになります。突破口があるのです。時代を突破する力と可能性を持ったものにシフトしていくか、従来の常識の中で埋没していくかは、今後、個々で問われることになると思います。

 

私はネット社会は好きではありませんでしたが、Zoomやブロックチェーンが使われるようになれば、社会はあっという間に変わります。本音でないと動かない時代がやってきます。どんな強制力をも、おかしいよね、、、の民意が退かせる時代、、、それって、けっこうユートピアに近づく可能性を秘めていると思います。

 

ただし、そこに行くまでには、まだまだ色々あるとは思いますが、そんなに先のことでもない気もしています。

 

来年の運勢を知りたい時期ですが、そこらへんのことを踏まえ、また、来年を占っていきたいと思います。

 

 

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理性、思考はエネルギー不足がもたらす現象

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 理性と思考は同根で共にエネルギー不足が招く現象です。子供時代は元気で活気に満ちてエネルギー十分ですが、理性はあまり持ち合わせていません。

 

そんな中でも大人びた子供が時々あらわれ、人はなんで生きるのかしら、、、とか、生きる意味って何だろう、、、幸福って何?、、などと考える小中学生や子供がいます。

 

そうした子供は理性的のように見えますが、本当はエネルギー不足なのです。すでに幸福な子供が幸福って何とは考えません。人生とは、、、と考える時、人はすでに人生に行き詰っているのです。幸福って何、、、と考える時、すでに人は幸福でないのです。

 

子供に限らず、それは大人でも同じです。結婚した方がいいか、、それとも一人で暮らすべきか、、、、と、よくある悩みでもありますが、本当は悩みではないのです。どちらにもエネルギーが向かないということに他なりません。エネルギーがあれば、結婚する、仕事する、と、迷うことなく自身の道は見つかります。エネルギーがないから、考えてしまうのです。

 

将来、歌手になりたいのですが、それで本当に成功できるでしょうか、、、と中学生や高校生は考えたりします。エネルギーがあれば、それで成功できるでしょうか、、、などとは考えないのです。成功も失敗もなく、ただ好きな道に進んでいこうとします。

 

エネルギーがない時、人は悩み、考え、理性的になるのです。理性もエネルギー不足と片づけると反発は出るとは思いますが、理性も同様なのです。すべてはこっち側の人間界の問題であって、あっち側の無のエネルギーサイドとは異なる地点での話しなのです。

 

恐怖や悩みも同様です。パニック障害という病気ではないと私は思うのですが、一応、病名になっていますので、その面で話しをすすめますが、その治し方は、恐怖突入がベターなのです。怖い、、、パニックになりそう、、、心臓がドキドキしてきた、、、立っていられない感じになってくる、、、息が苦しい、、、色々な症状がパニック障害ではありますが、どれも思考ですので、それを体験に変えることで乗り越えられるのです。医者ではないので治る、、、という表現はできませんが、心の姿勢として、思考から離れ、体験としてパニックを受け止める、、、というアドバイスです。

 

思考から離れるなら、怖いも嘘、ドキドキも嘘、立っていられないも嘘となります。思考は言葉を求めますが、言葉に出した時点で理性に組み込まれます。

 

それではパニック障害は克服できません。思考を離れ、体験として受け入れる以外に私は無いと確信しています。

 

よくわからないけど、なんだか、凄い精神状態と症状があらわれているようだが、それを呼吸が苦しいとか、心臓がパクパクするとか、怖いとか名付けずにただ、黙って「うーん」とでも言って受け入れ、それと一体となる。観察する人とその解釈をすべて捨てて、ただ「うーん」の状態を受け入れる。

 

そうすれば、それは変わった体験となり、勝手に過ぎ去る。そんなこと言ったって、何度もそうなるんですよ、、、とか言う人がいると思うが、何度きても同じように体験すればいいのです。そのうち、慣れてしまってどうでもよくなっていく。

 

あれほど、何十年も苦しんだパニックが、いとも簡単に過ぎ去る。理性でなく体験として受け止めれば。

 

理性は苦しみ、考え、エネルギーを消耗させていきます。体験は受け入れれば、それがどんなものでも最終的には喜びになり、エネルギーの補充になります。どんなに苦しいことでも、本当はそうなのです。理性と思考が介在するため、終わりのない苦しみに受け取られるだけなのです。

 

体験せずに、あえて、現象を名づけ、理性的に捉え、考えるから、人はエネルギーを失っていくのです。子供は疲れない。疲れたと思った瞬間に寝ています。体験重視で生きていて、理性に流されないためです。なのでエネルギッシュでいられるのです。

 

体調や病気に限らず、貧乏でも、ルックスが悪いでも、太ってる痩せているでも、背が低い高いでも、学歴があるないでも、すべて同じです。それらは共通して思考なのです。共通して理性なのです。そこにエネルギーはありません。

 

貧乏と言われる状態でも、それを貧乏と名付けなければ、何も不利は起こらない。子供などはどんなお金持ちの子供でもみんな貧乏です。しかし、貧乏と名付けないので、そうしたカテゴリーから自由でいられる。

名付けることで、理性と思考に組み込まれ、私たちからエネルギーを奪っていくものとなるのです。

 

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いわく言い難い世界とつながる生き方

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 意識からしかエネルギーが来ない、、、というのは、これまでに何度となく語ってきました。また、私たちは肉体を持つものの、本当の自分は意識であるとも語ってきました。それはその通りですが、では、肉体とは何か、改めてとらえることも重要だと思います。

 

意識論から言うと、肉体の重要性は小さくなりがちな印象ですが、それは間違いです。肉体ほど重要なものはないのです。言っていることにつじつまが合わないように感じられるかもしれませんが、肉体は重要なのです。

 

肉体はエネルギーをあっちの世界から得て存在しているので、あっちの世界からのエネルギーが枯渇したら肉体は劣化しやがて滅びます。この流れ自体は普遍であり、肉体に限らず、すべての物質も同様です。

 

物質や肉体はあっちの無の世界からのエネルギーを得て存在しているということは、つながっているわけです。つながりの糸は何かというとそれは意識ですが、もっと平たく言えば、五感なのです。

 

人間には視覚、臭覚、触覚、味覚、聴覚の五感があります。犬になると聴覚が人間の何倍、臭覚にいたっては何千倍も利くようになります。植物の触覚はすごいらしいです。わずかな風の動き、流れを正確に捉え、光や音にもものすごいレベルで反応するらいしいのです。

 

このように人間に限らず、動物植物には、なんらかの五感に相当するものがあり、これを通して、生命はあっちの世界とつながっているとも言えます。

 

話しを人間の五感に戻しますが、私たちがご飯を食べる時、本当はあっちの世界とのつながりの可能性を秘めているのです。私たちが音を聞くとき、あっちの世界とのつながりの可能性を秘めているのです。触る時も臭覚を働かせるときも同様です。

 

では、すべての場合で人は五感を通してあっちとつながっているのか、、、となると、残念なことにそれは違います。つながる場合もあるし、つながらない場合もあるのです。

 

文化の重要性はそこにあります。繊細な文化は香りであれ視覚であれ聴覚であれ味覚であれ、すべてあっちの世界とのつながりを予感させるものです。

 

四季を愛でるとは、視覚で四季を感じ、味覚で四季を味わい、臭覚で四季の深さを知り、触覚で四季と戯れ、聴覚で四季と一体となる、そうした遊びです。

 

五感を通じてどこまでつながるかは、人それぞれです。浅い味覚にしか至らない人もいれば、深い味覚を察知する人もいる。味覚を通して、無の世界への糸をたぐる人も出てくる。すべての文化はそうやって発展してきたのです。

 

文化の大元にあるものは、あっちの世界の無以外ありません。こちらの世界の都合で解釈できる内容とは違うのです。

 

五感を通して、私たちはそうした無の世界とのつながりを体験できるようにできている。無こそが実体であり事実そのものなので、あるものを無いとは言えない。その絶対感覚が、研ぎ澄まされた五感にはあるのです。そのように人間はできている。動植物もおそらくそのようにできている。

 

つながるものが幽界であれば、いずれ私たちはエネルギーを失い、最終的には狂気に陥ることになる。虚構を事実と思えば、人も虚構に陥るためです。五感が無につながれば、無は実在なのでそういうことは起こらない。ただ高度なエネルギーが入ってくる。

 

なので、食べる時は、ゆっくりと、味わい、何かを感じ取るようにして食べる、、、それが文化なのです。見る時は、ゆっくりと見、表層にあるものにだまされずにその奥を見つめる、、、音を聞くときは、音がどのように出ているかを深いところで聞き取る、、音を見るという表現や、香りを聞くという表現がなぜあるのかも、奥にある無を見つめる深い文化であるからでしょう。

 

なので、無とつながる五感となれば、食は少なくてもエネルギーワークとなり、一瞬のしじまにこだます音ですべてを理解させ、香りを聞けば個の意識は飛んで自由になる。

 

無からしかエネルギーは来ないので、五感で味わうさらに奥の世界を探訪すれば、私たちの生き方はエネルギーワークとなっていくのです。

むさぼれば死が近づき、食の奥を味わえば、たった一口の料理が永遠の命を約束もしてくれるのです。文化の偉大さがここにあります。そしてつながったものは、言葉にすることはできず、いわく言い難いものとなってその人の宝になります。

 

説明できるものに真実はありません。知が彼岸へ行き着くことはないのです。

 

文化の秋の到来です。五感を通じて今年の秋、あなたは何に出会うでしょうか。いわく言い難い体験を共有できる人がいれば、それは人生最高の幸福ともなるでしょう。

 

 

チューナーで深い世界とつながる秋

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月についての再考  Zoomセミナー 11月25日午後8時―9時半

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 以前に月についての占星術的考えを二回ほど語ったことがあります。多くの反響をいただきましたが、もっとも多かったのは、自分の苦しみの原因がわかって楽になった、、、という方が多かったです。

 

所詮、占星術の話しではあるのですが、占星術は人類最古の文化の一つであり、もしかしたら宇宙人からもたらされたものではないか、、、と考える人もいます。また、心理学者のユングが占星術を深く探求したことは有名で、意識と占星術の関係を最初に直観した人と言ってもいいでしょう。

 

以来、占星術はちまたで言う、相性や当たりはずれの星占い、、というより、人の意識の構造を解明する非常にすぐれたツールになっています。しかし、なぜ、生まれた時の天体の配置がこれほどまでに人の意識を支配するのか、、、その謎は今のところわかりません。

 

おそらく、ユングが言うところのアーキ―タイプがあり、イメージの宝庫としての宇宙を、天体になぞらえて認識することで、人、地球、太陽系、宇宙という構造が浮かび上がってくるように、私たちの心は作られているのかもしれません。その具体的な表現が占星術であり、天体と人間の間に意識上での関係性が存在するという考え方も、ユングにとっては自然で受け入れやすいものだったと思います。

 

もしかしたら占星術は、今の科学をはるかに超えた考えであり、本当に宇宙人からもたらされたものだったのかもしれません。いずれエネルギー論によって、出生の星の配置とそこから受け継ぐ意識構成についての関係が、解明される日が来ることと思います。

 

地球人は地表に住み、もろに天体の影響を受ける位置ですが、もしこれが地底人だとしたら、おそらくもっと発酵された形で宇宙のエネルギーを受け取れるでしょうから、月の強制力からは、かなり自由になれると思われます。地表は卵の殻のようなものですが、殻の中の圧は高まるので、宇宙からのエネルギーを豊富に受け取ることができます。圧が高い方にエネルギーは集まるからです。

 

あらゆる問題の原因はエネルギー不足ですので、意識の問題も同じように考えられます。エネルギー不足の人間が月の波動を浴びれば、幻惑されても当然で、本来の目的を容易に失うようになるでしょう。そして残念なことに、それが有史以来、今なを起きている現実でもあるのです。

 

占星術では自身の意識の構造を知ることができます。ふたつの星がそれを解明するもっとも重要なもので、それが太陽と月です。出生時にそれらの星がどの星座にあったかで、基本的な意識の構造が決まります。

 

太陽は本物を意識をその人に与え、月は見せかけの意識をその人に与えます。

太陽意識の方が月意識よりも強いのですが、太陽は自身で獲得していく中で作られる意識であり、月は幼少期から作られてしまった日常の意識です。

 

どのように太陽意識を獲得している人であっても、常日頃の日常の意識はまず最初に月から訪れるのです。ですから、私たちは常に月の意識に沿って世の中や自分のことや人のことを眺めています。

 

それが本当のものであれば何も問題はないのですが、月意識は本物とは違うのです。母との関係において成長過程で作られた仮の意識であるにも関わらず、それは成人後も永久に続くことになります。

 

仮りに作られた意識を、本当の自分と取り違える人ももちろん多いですし、仮に作られた意識にしばられ、窮屈な思いで一生を生きていく人も多いのです。

 

一体、誰が、月を使ってこうした構造を作ったのか、、、本当に不思議です。まるで地球人の意識をおとしめるために作ったとも思えるほどですが、そうしたことは語る立場にないので何とも言えませんし、仮に月によって人類の意識が成長しないように仕組まれている、、、といったところで、誰も信じてくれないでしょう。理由はともあれ、月が私たちの日常の意識を支配し、それは本物ではない、、、という事実のみに目を向けることにいたします。

 

本物でない意識なのに、常に毎時毎瞬その本物でない意識が働き続けている、、、、その苦しさ、つらさ、不自然さは、わかってしまえば、なんだ、、、ということになります。「自分はこの意識で何十年も生きてきたから苦しかったんだ」ということがわかっていくわけです。それまでは、月の意識を自分の本当の意識だと思って人は生きていきます。だから、地球は悲しみの星と言われるのでしょう。

 

あなたが、常日頃、毎瞬毎瞬、どういう意識でいるか、、、また、どういう意識でいなければいけないと思っているかは、あなたの出生時の月の星座が示しているのです。

 

月がおひつじ座にあれば、アイアム、、、という「私」という意識が常に危機に瀕しているのです。なので、私意識が脅かされそうなケースに合うと、イライラし、乱暴な言動をはいたりしてしがちです。自分がどう扱われるか心配でならないのです。病院でカルテを待つ間も安心して待てません。ちょっとでも席を離れた際に呼ばれるのではないか、、、電車がくれば、自分の席は空いているか、、と。

そうしたアイアムの危機感は、早く早く、と焦る心理を醸造しますし、のんびりした人のやり方にイライラしたり、列に並んでいる人がずれたりすると、自分の順番にも影響がでると思って安心できなくなります。そうした思いで常に生きているのが、月のおひつじ座であり、私という確たる自信がないためなのです。なので、常にそれを見張りつづけ、息すら楽にできないで疲れる人も多くいます。

イライラする機会が多ければ、どうしても人とぶつかります。しかし、本当には争う力は月のおひつじ座にはありませんので、自分自身が傷ついてしまうのです。本当の暴力になれば負けますし、感情を爆発させたら、後で自己嫌悪に陥ります。すべては嘘の動機によって、月おひつじ座の衝動を出しているからです。

 

月がおうし座にあれば、アイハブ、、という「所有」という意識が常に危機に瀕しているのです。友人が良い物を持っていると、自分がそれを持てないということだけで不安になります。眼についた良いものや魅力ある物は、すべて心を乱す原因になります。そのためにお金を渇望しますが、金持ちになりたいと思うのと実際の金持ちは別です。そのため、常に金持ちになりたいし、またそう見せたいと思いつつも、アイハブであることはまれなのです。おうし座は五感を意味しますので、五感の快感にも常にこだわり続けます。しかし、それは防衛から来る五感ですので、まずい、臭い、汚い、うるさい、、、とこだわり、周囲を巻き込みます。いやなら見なければ、触らなければいいだけなのに、周辺の環境まで所有したい心理が無意識に働くので、言わないではいられないのです。それはすべて、周囲のものを所有したいという幻想から訪れる感情なのです。月がおうし座にあれば、アイハブの意識から逃れられず、常づねそう思いながら心を乱すことになりがちです。

 

12星座の月について、すべて語る場ではないので、例として簡単に上げましたが、私たちは月意識を常々持ち続け、それが嘘であることに気づけません。まず第一に月意識でしか人間は外界と触れられないからです。しかし、自身の中にある月の影響が理解できるようになれば、そこから自由になれます。本物の太陽の意識によって生きる道がその時あらわれ、幸福で豊かな生き方を私たちに与えてくれるのです。そのためにも、毎瞬毎瞬、私たちをおおっている月の意識を知る必要があり、それを知るためのセミナーが1125日の夜、ズームによって開講します。


占星術を学ばれている方、また、占星術に関心がある方のご参加をお待ちしています。
セミナー詳細は下記へ 例としておひつじ座からしし座までの説明もあるのでご覧ください。
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チューナー施術の副作用と好転反応について

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 九州の室田さんが発見した室田式フェザートーンタッチですが、好評を得ています。皆さま、「簡単なのに凄い効果でびっくりです」とおっしゃってくださる。

 

やり方はいたって簡単で、ただ全身を服の上からチューナーでなでるだけ。全身を行っても20分もあれば頭のてっぺんから足裏まで施術できます。

 

麻の布にくるまって、裸で全身ケアするのがもっとも効果的ですが、薄手の服の上からでもまったく問題ありません。ご夫婦や恋人同士、ご家族で行えば、背中もやりっこできますので、素晴らしいコミュニケーションにもなるでしょう。

 

ぜひ、MIチューナーをお持ちの方には、おやりになっていただけたらと思います。「チューナー、、、いいけど、つい面倒になってしまったきり」という方が非常に多いと思います。フェザートーンタッチなら、ただなでるだけでいいので、難しいことはありませんし、しかも気持ち良いので続くと思います。

 

先日、第十四回のプロ養成施術セミナーを終えたばかりですが、その際にも初めてフェザートーンタッチによる全身施術を行いました。全身をけっこうゆっくり時間をかけて行いましたので、次の日、もしかしたら反作用でつらくなった方はいないか心配していたところ、やはり数名の方が該当しました。

 

施術したあとはびっくりするくらい体調がよくなって元気だったのですが、翌朝が多少つらく感じた方が何名かいました。全身施術ではよくあることなのですが、フェザートーンタッチという軽い施術方法でも同様に反作用が出たことに驚きました。

 

これは、副作用というよりも確実な好転反応で、体の隅々にたまっていたものが表にでてくるために起こる一時的な不調です。昨日、整体師のご夫妻がお店にいらっしゃって、「あれ、最高ですよ。フェザートーンタッチ。」とおっしゃる。クライアントさんが全員よくなるとおっしゃってくださったのです。

 

気を良くして私も自慢げに、「凄いでしょ」などと合わせていたのですが、気になっていたので、「でも、時々、副作用が出る方はいませんか」と尋ねてみたところ。あっけらかんと、「はい。全員に出ます」と躊躇なくおっしゃる。理由は関節が動くからです、、、とのことですが、とにかく、何十名、何百名と施術されたプロのご夫婦がおっしゃるのですから、体験の強みというか、間違いのないことだと思うのです。フェザートーンタッチは全員に効くが、全員に何等かの副作用が出る、、、というわけです。

 

プロのご夫婦はそのことをあらかじめクライアントに告げてから施術されているので、何も問題が起きず、むしろ信頼を得ているようでした。チューナー施術でも多少の副作用が出てきますし、今回、フェザートーンタッチでも副作用が出ることがわかり、私が開発したものには、ほとんど副作用があるな、、、と思った次第。

 

凄い副作用がでるケースが神舞踏でした。これは、踊りやヨガの先生たちから非常に高く評価され、「これが本当の動きです。本当のヨガです」と持ち上げてもいただいたのですが、そうした先生自体が、数週間たつと、げっそりしてあらわれ、「先生、神舞踏には何か副作用があるんでしょうか」ということが何度かありました。確かにそうなんです。これまで体に蓄えられていた毒物のようなものが、動き出し、排出が間に合わない状況になるため、デトックス中の不調が半端なく出てくるわけです。

 

高熱を出す方、、精神的に不安定になる方、、、鬱のようになる方など、様々な出方ですが、神舞踏には必ずありました。そのため、今は神舞踏セミナーは行わずにいますが、あれは実は大変なものでもあるのです。

 

副作用がまず数日後に出て、数日でそれが消えます。再開して今度は一ヶ月後、もしくは三ヶ月後に副作用が出ます。一週間ほどで消えます。再開して、今度はほとんど出ることはなくなります。あとはエネルギーが入るのみとなります。

 

神舞踏ほどではありませんが、ふるべ合宿でも終えた後は、副作用が出る方が多かったです。ふるべは、ただ体の全身を揺らすという単純な原理ですが、究極の原理でもあるのです。神舞踏は全身の拮抗点を探るさらに上の意識ですので、副作用は大きくなりますが、ふるべも劣らないレベルです。

 

ふるべゆらゆら、、、ゆらゆらとふるべ、、、で死人も生き返ったと言われるくらいのもので、そのエネルギー注入はすさまじいはずで、その分、反作用、副作用も凄いのです。

 

しかし、これは湯あたりと同じことですので、はじめから飛ばして最高のものを狙わない方が良いことになり、やり方も考えるようになりました。

急がない、無理しない、全身にこだわらない、良くなったからと言ってもっともっとと思わない。そんな風に意識して行う重要性です。

 

ふるべも神舞踏もそしてフェザートーンタッチも、副作用が出ることは、必然で仕方ないことですがそれを極力抑える方法で行うことが大切です。

 

このうちもっとも簡単なフェザートーンタッチはぜひとも大勢の方にやっていただきたい方法です。やっていただけたら感触は必ずつかめますので、あとは、徐々に時間を伸ばし、最初は髪だけ、、、腕だけ、、、背中だけ、、、足だけ、、、次の日は腕と髪、、、次の日は背中とお尻、、、次の日は足とお腹、、、というように、徐々に広げていき、10日ほどかけて全身に到れば、ほとんど副作用なく全身フェザートーンタッチを行えるようになります。

 

最初は数分。次の日はさらに数分、次の日は6分程度、、次の日は8分程度、、、次の日は10分程度、、、ちょっと副作用が出そうと感じたら、次の日はお休みし、翌々日から再開。ちょっぴり元に戻し、8分程度、、、次の日は10分、次の日は13分、次の日は16分、次の日は20分、、、また副作用が出そうになったらお休みし、翌々日から再開。こうやって30分程度で全身ケアができるようになる、、、というのが最高です。

 

この方法さえ覚えれば、こう言っては何ですが、どんな施術のプロにも劣らない最高の施術が行えると思います。電気がなくても、どんな災害時にでも、どんな状況でもチューナー一本で、あなたは大勢の人を救ってあげられる人になることでしょう。

 

ぜひともフェザートーンタッチを良き習慣にお加えください。

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下記の動画ではフェザートーンタッチの簡単な解説です。動画内でお奨めしている麻の布は現在売り切れています。麻の布がなくても服の上からでも大丈夫ですので、お試しください。

https://youtu.be/3lTkhBbGD4w

 

 お知らせ ズームセミナー「月」 1125日 夜8時から

 占星術の最奥のポイントは月と太陽の理解にあります。この両方ともを理解するにはわりに難しい面があります。ことに月は難題です。月は一般の占星術で言われるほど良いものではありません。月を自身の本質として理解してしまうと、月並みなことしかできない人生となり、しかも本人は苦しいのです。

 

きょうは新月です。新月に作ったものは長持ちすると言われます。京都の眞名井地方では、竹は新月にしか切らない、、、という風習がありました。それは、新月に切った竹は千年持ち、それ以外のものとは雲泥の違いが出るという理由でした。占星術でも、新月は良い日と考えますが、それは、段々と月が今後増えていくことに起因する吉日との考えです。しかし、そうではなく、月が出ていないことが実は大きいのです。宇宙のエネルギーが月に邪魔されずに直接いきわたるので、新月に始めたことには幸運が宿るというわけです。月がないことが吉日との考えがもともと私にはありました。最近ではそのことを良く理解してくださる方も多くなっています。今月の10日には月のセミナーがありますが、そちらはリアルですが、今、ご紹介させていただくものは、ズームによるセミナーで1125日の夜に行います。ぜひ、月の支配から自由になることが幸運な人生には不可欠と思われますので、プロの方はもちろん、ご関心がある方は、どうぞご参加ください。

 

 お知らせ  10日は尾山台のお店はお休みいたします

1110日の土曜日は、SHOPマドモアゼル・愛はお休みさせていただきます。月のリアルセミナーがあるため、10日の土曜日は臨時休業となります。どうかよろしくお願いいたします。

 

この世のステージで問題の解決を図ろうとしない  ―前編―

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 現実を変える方法は色々あると思います。しかし、原理はひとつだけです。フリーエネルギーの理解がない限り現実を変えることはできません。なぜなら、すべての物も事象も出来事もフリーエネルギーによって生じているからです。その大元に働きかけない限り、新しい変化は起きないのです。

 

現実でのやりくりがあるため、私たちは何とかやればすべての現実を変えられると思ったり、未来を自由にできると思いがちです。しかし、この世にすでにあるものはフリーエネルギーが生んだ結果物であって、結果を変更することは無理なのです。

 

ただ、物ごとや事象には同次元でのやりくりはできますので、すべての物事を現実時点で変化できると誤解しやすいのです。とくに頭の良い人は現実でのやりくりによって得たいものを得、未来を切り開くことができると考えます。

 

現実界でのやりくりは、マネをしたり多少の勉強をすれば確かにうまく運ぶでしょう。しかし、やりくりには限界が必ず出てきます。家計が窮すれば節約するなり、へそくりで補充するなり、働いていない家族の尻を叩いて働かせたりと、色々なやりくりがあるにはあります。

 

しかし、やりくりが進めば進むほど、周囲を巻き込んでいきます。家計の不足のために、働けない老人は隅に追いやられるかもしれませんし、お金を得ない家族は冷たく扱われかねません。家族にはお金だけでない色々な貢献があるにも関わらず、お金というやりくりが主題になると、ひどいことが起きてくる場合もあるわけです。

 

会社や国家のやりくりも同様です。やりくりしようとすればするほど、どこかにひずみが出てきます。まず、弱い人にそのひずみが生じ、段々と大勢の人を巻き込むようになっていきます。もっともまずいやりくりである人種攻撃や戦争にさえ、最後は行き着いてしまうことは歴史をみればあきらかです。

 

どこに問題があったのでしょうか。やりくりが限界を超えても、なを、現実に働きかけること以外の道を見つけることができなかったことに問題があるのです。

 

こう言うと、現実の問題を現実的に解消しようとすることがなぜ悪いのか、、、との反論が生じます。それは一見論理的に思えますが、本当はそうではないのです。現実の何等かの行き詰まりは、必ず原因があって起こるのです。その原因を知って、その部分を変更しない限り、生じてくる現実を変えることはできません。

 

しかし、私たちはつい現実に問題があると思い、その現実を変えればいいと考え、そのように行動し出します。

 

家にお金がない、、、へそくりを探す、、、誰かに働いてもらう、、、とりあえずのやりくりは重要ですし、それで問題が解決する場合もちろんあります。働くことを心理的に恐れていた家族の一人が、家計の困窮をきっかけに、自身の生き方と意識を変えていく、、、そうしてお金を得るようになり、それによって仕事や社会参加への恐怖を克服する。そうして家族の一人が成長するような場合は、素晴らしい解決になります。

 

しかし、その場合でも、働かなかった家族が働いてくれたから家計が楽になったのとは違うのです。家族の意識が変化したことが、新たな家族のステージを切り開き、その結果として、お金も入るようになっていったわけです。

 

働かない家族を強圧的に無理やり働かせたら、ではどういうことが起こるのでしょうか。おそらく家計はさらに苦しくなっていくと思います。無理やり働かせた家族が倒れたり、新たな問題を起こしたりしてお金も出ていき、家計はきっとさらに苦しくなるでしょう。

 

お金がない、、、お金が欲しい、、、お金を得よう、、では、何の問題の解決にはならないのです。1940年代にアメリカは戦争に勝って、世界一の金持ち国家になりました。その金持ち度は半端ではなく、世界のゴールドを独り占めにするほどで、それに裏付けされたドルは、世界のどこでも威張ってその存在を誇示できました。

 

そのアメリカがわずか数十年で日本に追い越されてしまったのです。しかしその日本も、日本アズナンバー1と言われるまでに至ったものの、わずか数十年で、今度はその日本が、多数の子供の食事もままならぬほどの貧しい国に立ち至ってしまったのです。

 

アメリカや日本で起きたこうした問題は、一見お金の問題にみえて、本当はお金の問題ではなかったのです。意識がともなわなければ簡単にひっくりかえってしまうのです。成長期のアメリカや日本にあった意識が途絶えたとたんに、わずか数十年ですべては変わってしまうのです。意識がすべてを生み出すからです。蓄えが将来を決定することはないのです。

 

このように、やりくりには限界があるということです。この世的なステージで物事を考えれば、お金持ちの家に生まれた子は永遠に金持ちだと誰もが思ってしまいます。しかし、それは一時のことで、物量ややりくりは本質ではなく、本当の問題解決にはならないのです。

 

人は誰でも、お金がないとなれば、まず節約し、次に貯金し、それでもダメなら、収入を何とか増やそうとし、、、など、やりくりをいたします。それによって救われることは多いですが、救われた場合は、本当はやりくりの結果ではなく、そこに意識の変化があったからなのです。

 

意識の変化なくして、どんなにやりくりしても、何ひとつ現実を変えることはできません。それどころか現状はさらに苦しくなっていくのです。無からしかエネルギーは来ませんので、現実ベースでのやりくりで、問題を解決することはありません。

 

病気にかかれば、誰でも早く治して元気になりたいと思います。それは事実ですし、私ももちろんそう思うと思います。しかし、それだけでは、絶対に病気を治すことはできないのです。なぜなら、病気という現実を、この世的な何かによって治そうとしても無理だからです。すでにある結果を変えることはできないのです。

 

結果は原因あってのものですので、原因を変える以外新たな結果を作ることはできません。

 

良い薬に巡り合ったので治ったとか、良い医者にかかれたので治った、、、ということは当然あるでしょうが、実はそれもそう見えるだけで、本当は薬が効いたのでも医者が良かったからでもないのです。

 

意識が変わらない限り、新しい結果は起こりません。病気が治った場合でも、良いと思われる薬や良いと思われる医者への信頼などがあり、それが新たな意識に至らせたことで、治ったわけです。あくまで条件づくりに役立っただけで、薬や医者が治したわけではないのです。治したのは病気をもたらしたものと異なる意識の変化以外にないのです。

 

行き詰りとは、すでにこの世的なやりくりが限界に来たことです。それでも何とか、あれがあれば、、、とか、これがあればとか、、、あの人に頼めばとか、、、人は考えますが、自分の日ごろの意識を直視した方が早いのです。

 

この世的なやりくりは、誰もが自然にやっています。お腹がすけばご飯を食べますし、ご飯がなければ外に食べに行きますし、お金が少なければ、食べる物を減らすなどして工夫をします。そうしたやりくりのすべてがダメで限界が来たとき、本当に行き詰るわけです。

 

どうにもならない行き詰りを、それでもどうにかして、、、と思うと、必ず、外界や他人を巻き込んでいきます。そして悲劇は拡大するのです。

 

この民族に食べさせる力はない、、、ということで、民族浄化を図られたらたまったものではありませんが、実際に歴史上なんども起きた事実ですし、今でも起きています。また行き詰りの打開のための戦争もいつか来た道で非常に多い選択肢でした。それ以外にない、、、という信念に支えられて戦争が起こりますが、無理なやりくりは止めて、お互いの国でどうしようか、、、、と肩を並べてかんがえれば、無から思わぬ解決の糸口が必ず訪れるのです。

 

これも、無がエネルギーの宝庫であることを知らないための悲劇です。行き詰るということは、無の入り口に立ったことであり、本当は前途洋々に広がるべき段階に来ていたわけなのです。

 

 しかし、物や現実にのみ力があるとする優秀な人たち、勉強だけができる人には、絶対にそのことがわかりません。わかろうとしません。無に力があることを認めると、では、私の優秀性はどうなるの、、、という構造を持ってしまっているからです。この世は勉強のできる頭の良い人たちのやりくりによって破壊されつつある、、と言ってもいいでしょう。

 

何もやりくりしなければうまく行くのに。できるやりくりならとっくにやってます。

 

ではどうすればやりくりを超えた問題解決の方法があるのか、、、次回後編でお話しさせていただきます。

 

覚醒の時代に入りつつあります。本当のことを知ることで私たちは次の時代を迎えることができます。しかし、それには、これまでの今の世が、本当の意味でいかに間違っていたかを知る以外にありません。その大元が、無の存在であり、命の永遠性であり、フリーエネルギーが本質であることと関係しているのです.。意味のない努力は無意味であり害でもあります。

 

生きているのではなくて生かされていることに気づけば、誰もが簡単にフリーエネルギーの道に入ることができるのです。それは永遠の道であり、嘘も迷妄もない、楽な道となるのです。

 

お知らせ 

12月22日の冬至の昼時、、、冬至の妖精茶会 会費5000円

妖精を招いて来年の幸運をお願いする楽しいお茶会です。

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この世のステージで問題の解決を図ろうとしない ―後編―

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 宇宙人の多くは地球のことを「悲しみの星」と呼んでいるそうです。本当に宇宙人がいるかどうか私にはよくわかりませんが、それでも無数のUFOを何人かの知人と一緒に見たことがあるので、あれが地球製とは思われず、どこかに宇宙人はいるとは思ってはいます。そのうちのどの宇宙人かはわかりませんが、地球が悲しみの星、、、であると。よくわかっているとしか言いようがありません。

 

なぜ、地球が悲しみの星なのか、、、それは、私たちが目にし、感じ、見ていると思っているものが、幻想だからです。このことを私は占星術から知ることができました。占星術は自分と誰との相性がいいとか悪いとか、、運気がどうのこうのとかいうポピュラーな部分だけではない、深い真理に根付いているのです。

 

ユングも占星術と出会い、非常に夢中になります。彼の心理学のかなりの部分と占星術は深く関連しています。私自身はそうしたユングにおける占星術理解とは別に、個人的に理解したのですが、占星術が宇宙の学問と言われ、やがて訪れるみずがめ座の時代の学問であると言われることの意味がよくわかります。

 

歳差現象がみずがめ座を示すこれからの2000年は、我知る、、の時代で、迷妄が過ぎ、人はこれまでだまされていたことを知る時代となります。宗教、信念、科学、医学などあらゆる学問や知識が、実は本当は嘘を土台にしたマインドコントロールの中で培われたものであったと、人類はやがて知るようになっていきます。

 

占星術を通せば、それが見事に理解できるのですが、その最初の関門で多くの人が躓いてしまうのです。

 

突然、あなたの見ている世界は嘘で、あなたが感じている世界も嘘。と言われたら、確かに誰もが感じ悪く思い、忌避したくなるでしょうし、逆に嘘だと思われかねないこともよくわかります。

 

これまでの2000年はアイビリーブという我信ず、、、の時代でしたので、事実はどうでもよかったのです。事実よりもあたかも事実であるかのうように見せ、そう思わせられれば、目的は達成される時代だったのです。

 

すべてがこの方式ですすんできました。あたかも真実に見せれば良いのです。要するに騙しです。あたかも良い品に見せる、、、これは宣伝が担当します。

 

あたかも良い時代だと思わせる、良い国だと思わせる、、、これは国家宣伝が担当します。どちらが良いかを際立たせるためには、社会主義と自由主義にわけましょうと、かなり大掛かりでした。

 

良いものをあたかも悪いものと思わせる、、、これは良い人や良い国が出てきたときに逆宣伝する人たちが担当します。カダフィ大佐などは、かなり良い面があり、良い政策を行っていたようです。

 

あたかも真実の宗教のように思わせる、、、色々な宗教が生まれましたが、どれも世俗的で集票マシンになっていく傾向が世界的にあります。

 

あたかも体に良いように思わせる、、、健康食品全盛、健康志向全盛、その通りやると大体は体を壊します。

 

あたかも衝突したように思わせる、、、、飛行機が本当に当たってビルが壊れたのでしょうか。

 

あたかも永遠に値上がりするように思わせる、、、、株幻想も土地幻想もいつかは剥がれますし、何度もそうなってきました。仕掛けた人だけは儲かります。

 

あたかも幸福そうに思わせる、、、、なのに電車は毎日人身事故で止まっています。電車に乗っている人たちもみんな不機嫌そうです。

 

あたかもあたかものやり方です。あたかもは本当は嘘なんです。本当などどうでもいいのです。あたかも本当のように見せればいいのです。マスコミもあたかもニュースを配信し、芸能界もあたかも世界を見せつけます。

 

これが、今の私たちの時代の原理です。この原理によってすべてが動いています。だから地球は悲しみの星なのです。

 

しかしなぜそのようなことが起きて、また、通用してしまうのでしょうか。ここに大きな意図があるのです。何も会社や国や組織が悪だくみをして、人や人類を悪意でだましているわけでもないとも思うのです。そうではなく、むしろ私たちが自分をだましているのです。国や組織や社会はそれに合わせ、私たちをうまく利用しているだけです。

 

自分が自分をだましている、、、、まさかと多くの人は思います。私は自分をごまかしてなどいません、、、と多くの人は思っています。しかしそれは本当でしょうか。本当に私たちは自分の目で物事を見ているでしょうか。本当に自分の体感で物事を理解しているでしょうか。もしかしたら、それは与えられ、あたかもそうなるように見えるものを見せられて、そうだと思っているだけではないでしょうか。

 

占星術では、私たちが常日頃感じたり、見たり、思っていることは、ほとんどが嘘だと考えます。

 

先日行った月のセミナーでの主題もそれでしたが、参加者ははじめいぶかしく感じ、やがて、それが嘘でないとわかるに従い、自身の中にあった、長年、そうだと信じてきた現実が、もしかしたら違っていたという衝撃を受けていました。

 

占星術ではその人が、常々、どういう思いで周囲を眺めているのか、、常々、どういう感情が心を支配してしまうのか、、、を具体的に上げることができます。占星術を学べば、それはわかります。

 

人の心は千差万別で、ものごとの捉え方が人によって違うのです。しかし、一人の人にとっては、その捉え方は、常に一定であり、常に同じで、常に同じ反応をしてしまうのです。

 

五感への不快感を世の中を感じる第一関門にしている人にとっては、嫌な臭いがする、、、まずい食べ物だ、、、いやな着心地だ、、、いやな音だ、、、ということが、気になって仕方ないのです。また、他の人は、まず第一に、自分は誰とあわそうか、、、そこに居る人とどう接しようか、、、と人間関係がうまくいくかどうかだけを世界の第一関門にしてしまう人もいます。

 

大勢の人が集まっている時、一人はいやなにおいがする、、、と真っ先に思い、、、もう一人は、誰と話したらいいかと心を動かす、、、自分の服装への反応を真っ先に思う人もいれば、何を話そうかとそのことばかり考える人もいる、、、それこそ千差万別な思いがうずまくわけですが、その人の反応の仕方はいつも同じなのです。

 

一人の人間がまっさきに受け取る感じ方は、生まれてこの方、常に同じなのです。自分がどうみられているか、、、と気にする人は、常にいつでもそのことを通して世界を最初に見ているのです。

 

損してはイヤだと思う人は、常に損しないかとばかり世界を見張り続けているのです。

 

常々の思ってしまう感情や印象への反応は、占星術では月の星座が行うのですが、それらの印象はすべて本当のものではないのです。

 

何を言っているのかわからない人も多いかと思いますが、とても恐ろしいことを言っています。人は常々考える考え方や感じ方があり、それはほとんど一生変化しない、、、という考えはわかると思います。三つ子の魂百まで、、、という言葉があるくらいですから、ほとんどの人の中にある、まず、最初に感じてしまうパターンがあるのです。

 

そこまでは、大体は認めてくださると思います。怖いのは次なのです。その感じ方、世界の捉え方、それを自分の個性だと思う気持ち、、、それらが、本当はすべて嘘だというのです。それは与えられたバイアスであって、あたかも自分だと思っている人格や感情が本当ではない、与えられた嘘のものだとしたら、そこから派生する希望も夢も未来も実現することはありませんし、そこから喜びがもたらされることもありません。

 

占星術ではそれが月の働きであると私ははっきり理解したわけです。しかしほとんどの人は占星術など知りませんし、そこに示された内容を自分自身にあてはめようなどと思うわけがないと思います。それはそれで当然なのですが、占星術に限らず、人は誰もが、こうした第一関門でもって、周囲や社会を眺めているという事実には目を背けるわけにはいきません。

 

そして、その第一関門の入り口で感じた世界や印象は、すべて間違いであるというスタート地点に、人間は置かれているという恐ろしい構造をしているのです。

 

自分が常々感じているものが、これが自分だと思う思いが嘘だとすれば、一体私たちは何を信じたらいいのかと戸惑います。インチキな世界に生きている悲しさ、、、というのはわかりやすいですが、そうではなく、インチキな目で世界を見るように生まれついている悲しさなのです。

 

そしてそれが見事に利用され、色々なあたかもが出回ってしまうのです。それは、真実よりもあたかもそう思いたいという私たちの需要にこたえる形で、広がり、正当化されて行きます。

 

そしてその構造を悪や国家や組織がうまく利用して、私たちから色々なものを奪い取るために利用していくのです。

 

自分は母としての適性があり、子供のことを常に心配し、世話をやく良い母だとのイメージがあったとします。それが本当である場合は何の問題もないのです。

 

しかし、そのイメージが本当は嘘で、その人には母としての能力などなく、子供の世話や心配をするにしても、実はそのことが重荷で、逃げたいというのが本心だったとしましょう。

 

しかし良き母のイメージを信じている本人は、自分が良き母だと思いつつも本当は苦しいわけです。嘘なのですから。そのためつい家を出て色々な場所に行き、子供や家からの心理的負担を遠ざけたくなります。そして動き回る母となりますが、今度は家を空けているという負い目から、ことさらわざとらしく母を演じたりするなど、とにかく複雑になります。

 

これが、占星術ではかに座の月なのですが、もしかに座の月の人が、家や家族の世話が本当は心理的負担になっているということに気づけば、自身の良き母の印象操作をする必要もなくなり、心理的に楽になります。

 

その結果、「なんだ、私は確かに母であることが重荷だったんだ、、、」と気づくことで、「ダメな母だな」と思いつつ、むしろ子にやさしく接せられるようになっていきます。

 

事実に立脚した考えや行動は安定していて安全なのです。しかし、月のかに座の人があくまでそのことに気づかず、自分を良き母として振舞おうとすれば、自身がつらくなりますし、偽りの母像を投げかけられる子供も心理的に曲がらざるを得なくなっていくでしょう。

 

例はあくまで占星術の月の例ですが、このような形で、占星術と関係ない方でも、必ず自分に対するイメージを自分自身で持っていて、それを本当の自分だと勘違いするところから始まっているのです。それがこの地球の宿命のようになっています。

 

フリーエネルギーを知らず、物しかないと思う星では仕方ないこととは言え、こうした逆転の構図の世界で生きることを私たちは余技なくされています。無から物が生じ、無からのエネルギーが途絶えたら物は無くなります。その順番が逆になって考えているのが今の人間なのです。話しを月に戻しますが、月は最初の自分のイメージであり、その後、成長と共に、本当の自分自身をイメージではなくて現実として獲得していく人もいます。そうなれば人は、月イメージで自身を捉えなくなり、その人の感じ方や捉え方、考え方には安定感がでてきて、信頼できるようになります。(この部分だけなぜか色が赤になってしまってます)

 

占星術ではそれが太陽です。ここでは占星術を知らない方がほとんどですので、詳しい話しは省きますが、要するに自己実現していく方向の自分を自分と捉えていれば、この世のだましの要素に振り回されることは少くなります。

 

覚醒です。人類に覚醒されたら、今の文明は持ちませんし、変わらざるを得なくなります。(なぜかまた赤字)

 

嘘の自分のイメージで自分を見つめ、世の中を見ている人と、嘘でない自分自身で生きている人の違いには大きいものがあります。その違いは占星術を通せば明快ですが、占星術を通さずともはっきりしたサインがあります。

 

間違ったイメージで自身を捉えている人に共通のものが、下記です。

 

神経質そうに 不機嫌そうに 面倒くさそうに イライラしながら 不安げに

心配ばかりしながら 疑い深そうに 用心深そうに 皮肉そうに 威圧的に

事務的一点張りで 怯えながら 消え入りそうに 嘘っぽい明るさで 自慢げに うるさく 干渉的に 図々しく 暴力的に 意味なく明るく 嘘っぽく元気で 未来のことばかりで 自分のことばかり 

 

まだまだたくさんありますが、要するにマイナスイメージを信じて抜け出せない時、その感情に支配されて行う際に、伴う感覚や感情です。

 

偽りのイメージに自分が捉えられている中での行動や思索は判断や決断には、必ず上記の感情が伴っています。そしてそれらを伴いつつ行ったものは、必ず失敗に終えますし、何ひとつ得るものがありません。本当に何ひとつなのです。

 

母に向かない人が好い母に見せても、何ひとつ良いことなど起きないのです。大変なだけで。しかし、その人が自分には良き母なる能力などないと理解し、良き母たるものを求める生きかたを止めたとき、子供はかえってのびのび育ち、自身も元気となり、子供との関係性にも深いものが形成されていくのです。

 

しかし、私たちは誰でも、まず最初は偽りの自分イメージからスタートするようになっているのが、この地球の運命です。なぜだか私もわかりません。しかしそのようになっています。どこかで、自分が思っている自分が本当の自分とは違うのだ、、、ということを、前述したイヤな感情体験を思い出し、チェックし、常々そこにはまらないようにすることで、人生そのものが違ってきます。

 

偽りの人生から手ごたえのある本物の自分の人生を生きられるようになっていきます。その際に必要なことは、この世のステージでのありきたりの解決を求めず、無とも思える自身の心の中を探る以外に道はないのです。

 

すぐに手応えのあるものは、慣れたものばかりです。これまでの心躍らないすべてのパターンを捨て、一度自身をむなしいものに置いてみることで、私たちは無を体験できます。

 

自分には何もない、、、自分には力もない、、、心細いそうした自分を正直に受け入れ、それをどうにかしようとしないで、すぐに安心の道を求めないで、しばらく味わってみることで、私たちは割とよういに無に到れます。

 

会社や家が行き詰ったとき、みんなで話し合うと良いでしょう。しかし、最初に出てくるものは、この世的な、嘘に慣れ親しんでしまった心や常識や、せいぜいそんなところから出てくる考えばかりなのです。

 

それでもそれを続けることで、これじゃだめだな、、、これも同じだな、、、と、段々と追い詰められ、何もなくなっていく流れが出てきます。

 

それでいいのです。そして何もない、、、助けもない、、、アイデアもない、、、みんなが無となった瞬間に、新たなものが出てくるのです。訪れるのです。

 

無からしか出てこないものが、これまでの闇と迷妄と嘘と常識やそれにはまった自分、そして自分を含むそこに居た全員に突然のエネルギーを与えるのです。

 

こうした体験を通して私たちは第一関門として常に与え続けられていた間違ったイメージ像の世界から旅立つことができます。

 

そのきっかけは、無にしかありません。出すものを出し、これまでのやりくりのすべてを出しきり、そのあとに観念して無となり、それによってしか出てこない世界があるのです。それがリアリティです。

 

世の中は本当はこの力によっていつでも動いているのです。秀才の頭のよい勉強ができる人が新しいものを作ることはしません。その力は維持するには向いているかもしれませんが、新しいものは絶対に生み出しません。頭の良い人は、自分の中からしか新しいものは出てこないと信じているからです。しかし頭の良い人の中にあるのは、学んで知ったことだけで本当は空っぽなのです。SDカード一枚にも満たない知識を買いかぶる必要などありません。

 

私たちには、真実を見抜くせっかくのセンサーが与えられています。本当の深いところで、苦しさや、イヤな感情を伴いつつ行うものは嘘なのです。それで行ったことはすべて失敗しますし、その人に向いてないのです。

 

そろそろまとめましょう。

私たちが行き詰ったとき、これまでの慣れ親しんだ感情に逃げ込まない

私たちが行き詰ったとき、これまでの知識や常識で解決しようとしない

私たちが行き詰ったとき、すべてをあきらめてみる

私たちが行き詰ったとき、何も解決策はないが、それでも気楽にいてみる

私たちが行き詰ったとき、どうにもならないが、感謝してみる

 

これは頭の良い人にはできないことですが、これで解決しない未来があったとしたら、神様に文句を言えばいいだけです。頭の良い人は、なんだ、ただ何もしない、、、というだけではないかと思うかもしれません。そうなんです。何もしないで無になれば、必ずエネルギーは訪れ、新しい展開は始まります。何もしない、、、先の母の例でいえば、偽りの母でいる間は、何かせずにはいられないのです。何もしないとは、何もしないでいられる素の自分を得た人だけができるのです。そのためには、まず、幻影の自分に振り回されなくなることです。気楽、感謝、あきらめ、、、それが最高の智に至る道ですが、できる人は少なく、幻影を捨てた際に訪れる心境なのです。子供ならすぐに無になれますので、子供が本当の教師なんです。動物もそうですね。

 

 

お知らせ

1222日の妖精茶会はあと少しで定員です

1125日の「月のセミナー」はズーム形式です。月を知り、そこから自由になることで人生が変わります。

 

http://www.hoshitomori.net/

 

ルナティックの構造

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 ルナティックの意味は月的、、ということで、月に捉えられた状態を意味します。具体的には狂気に陥ることを言います。

 

人がなぜルナティックに陥るのか、、、そのメカニズムが占星術的意味からですがわかってきました。

 

人は常日頃、誰でも、一種の幻影を通してこの世を見ていますし、幻影を通してこの世を認識もしています。しかし、見ているもの、認識しているものが、実は幻影を通したものなので、事実ではないのです。

 

占星術に限らず、誰もがこうした幻影を通してこの世と接触することを余儀なくされているのですが、その理由はこの世が幻想であることを教えてくれるためかもしれません。

 

しかし、実際に私たちの存在を維持するエネルギーはリアルな世界から訪れるため、この世は幻影とリアルのセットとして存在しているとも言えます。

 

目に見えないものを信頼する人や態度からは、リアルからのエネルギーを得、この世の物しか見ようとしない人や態度は、リアルとの接触が薄くなるため、崩壊化にすすみます。

 

目に見えるものはすべて幻影であり、それを維持している力はすべてリアルです。リアルは目に見ることもさわることも認識することもできない力ですが、そこに働いていることで物は存在できます。

 

物質は常にエネルギーを得ているためにこの世に存在できるのですが、物自体は結果として生じた空虚な存在で、物自体には何の力もないのです。

 

こうした構造の中で、私たちは物を存続させているその働きを感じ取らない限りは、常に幻影を見ていることになります。そしてその度合いがひどいと、かえって自身の見方にこだわるようになっていきます。なぜなら、日頃見ているものは、幻影ですので、そこに本当の手ごたえはありません。

 

日頃見続けているものから私たちは本当のエネルギーを得ることができずにおり、そのことにかえってこだわり続けて行ってしまうのです。

 

そして求めても求めても手ごたえのない感覚の中で、人はルナティックに陥っていきます。

 

これは例ですが、おとめ座は整理整頓が上手な星座です。太陽がおとめ座にあれば、自主的に始めた整理整頓で、不健康に疲れたり気が沈んだりすることはありません。いくら大変だと思っても、知らないうちにむしろ元気を増していくはずです。自分の思うように整理整頓できる喜びがおとめ座にはあるからです。

 

しかし、これがおとめ座の月になると様相は一変します。整理整頓という幻想を月は見ているのです。整理整頓しなければと思えば思うほど、それはつらい現実になっていきます。しかし、幻影は常に整理整頓を強要してきますので、まるでとりつかれたように整理整頓を始めますが、どうしてもうまく行きません。

 

なぜなら、それは幻影だからです。うまく行くわけはないし、うまく整理整頓する能力も本当にはないからです。こうして三日三晩寝ずに整理整頓をしつづけて、ついにルナティックに陥った例を知っています。

 

月おとめ座という、占星術を知っている人にしかわからない話しではありますが、そうしたものが、人によって必ずあり、何等かの幻影を通してこの世を見ているというのは、私たち誰にも共通している事実なのです。

 

こう考えると、人間が置かれている位置が、いかに危なく、いかに無慈悲で、いかに罠に満ちているものかと言わざるを得ません。何で宗教家はきちんとこのことを、まず最初に丁寧に私たちに説明してくれないのか、、、憤りさせえ感じてしまいます。

 

なぜなら、これが人生におけるほとんどのつまづきであり、問題であるに決まっているからです。まず幻影を見ている、常日頃そうしている、、との認識から自身を振り返れば、すぐにでも深い自分への理解と問題の解決が手ごたえをもって近づくに決まっているのです。遠回りなどする必要もなかったのです。

 

幻影が本当だと思い、自身をも欺き、幻影の強制から、まるでとりつかれたように思考し行動してしまうことで、私たちは悪ければルナティックに陥るのです。

 

おそらく、ルナティックに陥ったケースを身近で知っている人は、ルナティックに陥った人が、最終的にその人の幻影に固執し、それを何とかして成そうとする中で、狂気に捉えられたいきさつがわかることでしょう。

 

資質や遺伝というのは簡単ですが、そうではない、ルナティックに至るきちんとした理屈が実際にはあるということです。

 

占星術ではそれが明快に月の12星座に出てきます。なぜ、そのようになるのか、本当に不思議です。宇宙の学問と言われる理由がわかるように思いますが、もしかしたら、月自体に何等かのそうした周波数操作があるというSF的な関心さえ掻き立てます。

 

理由はわかりませんが、人は常日頃自身の中にある幻影に気づかない限り、自分の人生を本当の意味で生きることはできないことだけは確かです。

 

人間が生きるとは何かの始めの一歩が、ここにあるように感じる次第です。

 

月のセミナーについての動画

            https://www.youtube.com/embed/7blIIvCGa0w

 

マドモアゼル・愛 公式SHOP
 

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