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占星術の醍醐味 惑星の理解「月」編

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 占星術ではまず惑星が第一義的な立場に立ちます。すべての衝動や意図するものの原因は惑星にあると考えるわけです。

 

このうち、とくに重要なのが太陽と月の二つです。二つのうち、太陽は月以上に重要で大切です。しかし太陽には仮の太陽もあれば真の太陽もあります。真の太陽を獲得できなければ、人は仮の太陽によって生きるしかなくなります。

 

そして悲しいことにほとんどの人が真の太陽の獲得ができず、仮の太陽によって生きていきます。太陽が位置するハウスはその人が本気となれる事柄を表します。生きがいは太陽が決定すると言っても良いでしょう。本当の生きがいは、その人固有のもののため、何か社会的に価値があるとか、特に評価されるとかいうこととは、異なります。

 

むしろ、「なんであんなことに夢中になれるのかしら、、、どこが面白くてあんなに命がけになれるのかしら、、、」個性化とはどちらかと言えば、そうしたものです。

 

しかし、多くの人はそこまで自分を個性化できず、セルフを獲得できずにおります。そんな場合、人は仮の太陽によって生きることになるわけです。

 

太陽がその人の基本的性格や生きがいと関係することは、仮の太陽であっても同じですが、太陽の輝きは、本人が輝く道筋ではなく、この世的な輝きと仮の太陽が関係してきます。

 

太陽のあるハウスが示す事柄は、その人にとって、恥じをかかないでいられるものを示します。見栄、見栄え、評判、優劣、、、それらは太陽を自己実現に仕えなかった人が至る仮の太陽の世界だからです。

 

太陽の獲得年代がおおよそ20代半ばから30代半ばの役10年間となりますが、この時代に自己実現の道からはずれた多くの女性は、太陽を夫に譲り、自分は太陽の反射によって光る月、もしくは仮の太陽の御威光の力を使うようになります。「私の夫は会社経営してます、、、」「夫は大会社の部長です」これらは仮の太陽を使った女性の姿であり、太陽を夫に譲った結果でもあります。

 

太陽が示すこの世的な勢力、出世や社会的な評価などは、おおむね、仮の太陽がもたらす運命と深く関係してくるわけです。

 

人生の目的は太陽の獲得、すなわち自己実現にあり、セルフの獲得と言っても良いのですが、それがダメとなると、仮の太陽に意識が向き、自己の社会的な評判、出世、権力、金力、見栄などを人は求めることになりやすいわけです。男性の場合も、太陽を夫に譲った女性の場合もそれは同じです。

 

自分が輝くのか、、、輝いているように見せるのか、、、太陽の二つの可能性を意味しているわけで、運命鑑定の場合、ここを見誤ると正しい人生判断はできなくなります。

 

さて、本題の月に入る前に、前述したように太陽を簡単にでも理解しておかねばなりませんので、まず太陽について話りました。太陽については、これは重要な主題なのでまた改めてお話しする機会を持ちたいと思っています。いつになるかわかりませんが、必ず、ブログでアップさせていただきます。

 

今回は月です。月に関した誤解が非常に多く、この星の理解に問題があるのを最近よく感じます。占星術を学ばれている方は、月について、どのように考えておられるでしょうか。

 

月の星座は適職を示しもするとか、人間関係を決定するとかも言われます。それは確かにそうですが、月はそもそも良い影響を与える惑星なのかどうなのかも、実は曖昧です。

 

私は月は準ベネフィックという考えに疑問を感じています。以前、新月の化粧品を作ったことがありますが、あのアイデアは本当に素晴らしいものでした。実際に新月に作られた化粧品には、通常では得られない素晴らしい特徴がありました。

 

新月の考えは、これから月が増えていくので吉兆と捉える考えもありますが、そうではなく、月が不吉であり、月の影響を受けないので、新月には宇宙の生成力が邪魔されずに発揮される、、、という二つの考えがあります。

 

私は断然、後者なのですが、月が良い星であるという考えを持たない者です。ただし、誤解を招かないように言っておきますが、月は重要な星であり、地上における感情と認識に時間のタイムラグがあるがために、この世では大きな気づきに貢献する、最終的には重要で貴重な惑星という考えはその通りです。

 

月が重要であることは確かなのですが、これは実は誤解されやすい星です。よく月がある星座はその星座の才能があるとか、適職にも使えるとか言いますが、果たして本当でしょうか。

 

月は太陽の光を反射して光ますので、その光はイミテーションです。月に限らず、惑星はすべてイミテーションの光で輝いているという限界を知っておいた方が本当は良いのです。

 

惑星と恒星では雲泥の違いがあります。なので、唯一の恒星である太陽の獲得が重要となるのですが、自身も太陽のように輝くのか、仮の太陽のイメージ光力による人生を目指すのかで、異なるのです。太陽、、恒星の輝きを自身に発揮すれば、それは自己実現となり、光そのものの存在となるため、もう二度とこの世に生まれ出る必要がなくなります。

 

自己実現が最終目標というのは、そのためでもあります。そうしたものの正反対に位置する星が月です。太陽と月をライツとして重要視しますが、それは、正反対の目的に置かれている惑星という意味での重要性もあるのです。

 

月は死の星であり、月は過去であり、月は感情であり、保守であり、偽りなのです。

 

月の衝動で生きれば生きるほど、人は本当は苦しくなります。このことを分かっている占星術はあまりありません。月がいかに自身を誤魔化し、いかに自分を守るように見せて破壊し、いかに嘘つきか、、、一度ゆっくり考えてみてください。

 

あなたの月のサインは何でしょう。人は常々、月のサインの示す事柄に関心を向けています。これは事実です。また、そうでない場合でもすぐに月のサインに従う内容に反応します。

 

おひつじ座に月があれば、すぐに怒ります。すぐに怒る状況に反応するからです。月がおうし座にあれば、豊かさやぜいたくな物や状況に敏感に反応します、、、ふたご座にあれば、いち早く得た情報を人に教えたくなります、、、

 

太陽でも同じではないかという質問を受けそうですが、まったく異なります。月がおひつじ座にあれば、怒りやすい反応としての自己イメージで自分を守っているのです。太陽がおひつじ座ならば、守るも何もなく、本気で怒るのです。

 

月がおうし座にあれば、自分がお金持ちであるとのイメージで自分を守りたいのです。太陽がおうし座ならただお金を得たいし、そうなりやすいのです。月がどんなに自分がお金持ちでありたいと思っても、そうはなりません。太陽おうし座の具体性にはかなわないでしょう。

 

月がふたご座なら色々な情報に反応しますが、それによって自身のイメージ上昇を狙っているのです。太陽がふたご座なら、それは本当の喜びなのです。なので、語る際の迫力が違います。

 

月がかに座なら、優しいお母さんのように見せたいのです。太陽がかに座なら、何も考えずにそうしています。

 

月がしし座なら自分がいかに大物であるかと思ってもらいたいので、自分のイメージにこだわります。太陽がしし座なら、本当に自分を大物だと思うのです。思いたいのと思う違いが大きいのです。なので、月は太陽に会うとしょんぼりしてしまうのです。自分のインチキさを刺激されるからです。

 

月がおとめ座なら、自分が清潔できれい好きだと思いたいのです。しかし、いつも周囲は汚れていたりします。太陽がおとめ座なら、何も考えずに清潔にしています。

 

月がてんびん座なら自分は公平で卒がないとのイメージを持ちたいのです。でも実際には公平であったことなどありません。太陽がてんびん座なら当たり前のように公平でないといられません。

 

月がさそり座なら、自分は思慮深く、真実を追求し、本物が何かを知っていると思いたいのです。でもけっこう騙されやすかったりします。太陽がさそり座の直観は優れて真実を見つけます。

 

月がいて座なら自分はこだわらない人物で社会正義を求めるような人間だと思いたいのです。太陽がいて座なら、たとえ損してもそう思えば社会正義に従います。何も言わずに。

 

月がやぎ座なら社会の仕組みの中で自分を守りたいのですが、そうした高度なことなどできません。太陽のやぎ座は具体的にそうしたものを作ろうとします。出世したい月のやぎ座は夢物語りで考えるだけですが、太陽のやぎ座がそう思えば、実行に移します。時間がかかっても。

 

月がみずがめ座なら、自分を個性的で天才的な人物だと思いたいのです。太陽がみずがめ座なら、そんな風に考えてもいないのに、周囲から変わり者と思われます。

 

月がうお座なら、やさしく犠牲的で同情心があるというイメージを自身に抱きますが、本当にそうであることはまれです。最後にはきっと周囲を裏切ることでしょう。太陽がうお座なら、本物のシンデレラになることもあります。

 

ざっと12星座の月についてあげましたが、それは太陽と異なり、すべてと言っては言い過ぎかもしれませんが、本質的に偽りなのです。嘘です。ただし、他の要素と絡むことで月のイメージが引き出され、他の関係する惑星の力によって、物事が実現することはあります。そこは誤解なさらないようにしてください。

 

月単独で思ったこと、やりたいと思ったことが、現実になることは、ほぼゼロです。そうした月のイメージで自身を考え、人生に月の要素を持ちだしたとしたら、結果を残すことはできないはずです。

 

月はごまかし、失敗させ、幻想を振りまくことで、人生を誤らせますが、何度も失敗することを通して、結果的にやり直しをこの世で行い、私たちを成長させることに寄与します。

 

しかし、それは月の善意ではありません。月を善意と解釈することで、私たちはある種の罠にはまります。占星術の目的は、最終的に太陽の獲得にあり、真の太陽の獲得、すなわち自己実現、セルフの獲得と言っても良いでしょう。

 

月を人生の目的に置かないことです。月は日常意識ですので、日常意識は常に保守的でありますが、常に間違った認識を私たちに与え続けているのです。それで何度も何度も私たちは生まれ変わるしかなくなるわけです。人生の目的は月ではなく、太陽の獲得にあります。

 

太陽の獲得とは自身が恒星となり、光輝く存在となることで、その時、大きな光の中では、区別もなく12サインもない完成があることになるわけです。

 

お知らせ

来る621日の夏至に、久しぶりに「夏至の妖精茶会&432Hzオルゴールの夕べ」を開催します。下記をクリックして内容をご覧ください。参加者の希望を夏至の晩に言い合うことで、その実現を目指しましょう。夕食と妖精茶会ケーキセットが付いて会費は4000円です。下記URLをクリックして貼り付け、リターンキーを押してご覧ください。

 

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続編 惑星の理解「月」

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 先日の月編で語り足りない部分を続編として付け足させていただこうと思います。占星術に関心が無い人には申し訳ありませんが、占星術とはそうしたものなのか、、、との視点でお読みいただけたら嬉しいです。

 

月は特に幼少期の私たちに影響を与えた星です。私たちが最初に作った世界観が月であり、私たちが感じた最初の「お子ちゃまの世界」が月なのです。それはおままごとのような、子供時代の世界の情景です。

 

子供心に眺めた世界は、自身の手によって作られた世界ではありません。

それは母親の保護と重なる時代であるため、私たちは母の存在を通して最初の世界を眺めたことになります。

 

月の12サインの分類は、私たちが子供時代に見たおままごとの世界を、今なを、月を通して眺めているのに近いのです。それは子供時代の保護の安心感と密接につながるため、強固で決して捨てられないイメージとして私たちの心に残ります。

 

以来、私たちは常に、まず最初は月の印象によってどんなものをも体験しようとすることになります。平たく言うと、私たちはいくつになっても、月のフィルターを通すことで、外界を見ていることになるわけです。

 

それはいくつになっても、また、どんなに成長したのちでも、同じです。なので月から受けた子供時代に培った世界の印象を、根本的に変えることはできません。

 

ただ月の印象をどの程度受け止め、受け入れるかがその後の成長過程や心の発達と関係してきます。とくに太陽意識の獲得がもっとも大きく、太陽意識が芽生えることにより、月の印象世界はその存在が小さくなります。太陽に対しては月は基本的に勝てません。

 

太陽意識の芽生えにより、生きがいや生きる目標や目的を獲得していく私たち。しかし、太陽の獲得がおざなりな場合、いつまでも月の印象に頼るしかなくなります。また、どんなに成長し、太陽意識がその人の人生の大部分を占めたとしても、やはり第一のフィルターである月の印象は変わらずに存在し、どんな場合でも、まず最初は月が眺める形で、物事は始まっていくのです。

 

他の惑星意識による成長度合いが貧しいようなら、その分、月の印象のウエイトが大きくなり、月の反応がその人を支配することになります。今の人気取り社会は、まさに月の印象による時代運営を示していますので、幼稚な段階から私たちの社会はなかなか脱出することができません。

 

このことをはっきり理解しない限り、私たちは月の印象を払しょくすることはできず、月の印象でしかない、月反応の人生となり、自身の人生を失っていきます。

 

月が自身の本質であると思うことは、このように危険なことなのです。それはいくつになってもおままごとのような生き方しかできないことを示します。

 

それもおままごとが楽しければ良いのですが、月を楽しむことは実は難しいのです。月は自立できない時代の防衛心を根拠にした印象ですので、不安と表裏一体の関係にあるため、こうしたい、、、と月が思ったことでも、単純に純粋にそうすることはできず、楽しみとはなりません。

 

月の最高の位置はおうし座ですが、その場合ですら、おうし座的な物事を真から楽しむことはできないのです。豊かで気持ちが良い環境でゆっくりと流れる時間を楽しみたいと、おうし座の月は確かにそう思います。しかし、それができるのと、そうしたいと思うのでは違いがあります。月はあくまでそう思いたい星であり、そうできる星ではないのです。

 

ゆっくり音楽を聴いておいしいお菓子を食べてくつろぎたい、、、と思うのがおうし座の月ですが、月の心理の根拠には、防衛心があるため、それは理想のおままごととしての目的となります。そのため、おままごとの世界としての、「ああ、くつろいだ、、お茶もおいしかったし、、」という演技としての満足に終わりがちです。

 

本当はそれよりも何よりも、実際には豊かなくつろぎタイムを、月のおうし座は持てないことが多くなるのです。そうしたいのは理想であって、そうしたい自分を受け入れたいのです。しかし、実際にはそれをする力や楽しむ力は月にはありません。なので、豊かなくつろぎタイムを持ちたいと思いつつ、本当には持てない自分に傷つくのです。

 

太陽がおうし座にあれば、やはりくつろぐことが好きで、そのことにどんな代償をもいといません。本当においしいと思えば、100グラム数千円のお茶でも購入し、一人で楽しむことができます。これが月のおうし座では100グラム数千円のお茶の購入には度胸がいります。購入したとしても、誰かにそのことを告げずにおけません。自分一人で本当には楽しめないのです。そして、100グラム数千円のお茶を買えない自分、もしくは無理して買っても、それを本当には楽しめない自分に傷つくのです。

 

月おうし座という月にとって最高の位置である場合ですら、こうしたことが起こります。月はどの星座にあっても、本人を傷つけるように働きます。

 

月が求めるものを、現実にする力は月にはないからです。おままごとで美容院の経営をしている母親役をやったとしても、実際に美容院を経営する力は月にはありません。しかし月は自身のイメージを作ってしまい、それを一生続けますので、月が本当の自分だと思えば思うほど、人は自身の人生で傷つくことになります。

 

どんなに上手に話そうと思っても、ふたご座の月には、その能力はないのです。(他の星との関係でそうでない場合はもちろんありますが、月から来る能力としてはないのです)

 

どんなに怒って感情を爆発させても、月がおひつじ座にあれば、喧嘩は下手なのです。

 

月のかに座は、やさしい女性、、、やさしい母親、、、デリケートな女性らしい自分、、、というイメージにこだわりますが、そう見せたいし、できる限りそうしようとしますが、本人にはその力はなく、そうできない自分に傷つくのです。

 

そのため、月がかに座にある人は、家庭的で、、、自分が良い母である、、、との起点から行動れば死ぬほど疲れます。エネルギー消費が大きくなるからです。また、そうできない自分自身に傷つき、元気を失います。

 

私はテレフォン人生相談の回答者をやってもう20年近く立ちますが、一緒にやらせていただくことが多い加藤泰三先生がおっしゃることで教えられることがあります。

 

加藤先生は、本当は嘘なのに、そう見せたいと思う自分を外に印象づけようとすることが、もっともエネルギーを消耗する、、、とよくおっしゃいます。まったくその通りなのです。

 

月の間違った自分の印象を外界に押し出すことで、私たちは本当は多くのエネルギーを失っているのです。

 

月の印象付けへの関心と情熱は、子供時代の郷愁であり、本質的には依存への憧れです。しかしそれを自立へ切り替えない限り、私たちの人生は始まりません。

 

月の印象にこだわる限り、私たちは何か自身を依存させるものを求めてしまうでしょう。

月の印象が自分だと思えば、それは嘘なので力は出ません。どんなに月がそのことを求めても、失敗します。

 

しし座の月は自分を華やかな存在だと思いたいのですが、本当の自信はありません。そのことで傷つき、晴れやかな場面では結局逃げ隠れしたくなります。

 

おとめ座の月は几帳面でありたいと願いつつ、いつもずぼらです。そんな自分に傷つくのです。

てんびん座の月はエレガントであると思いたいけど、そうできない自分に傷つき、失望しています。

 

さそり座の月は深い思慮とだまされない気持ちで身がまえますが、止まって思考したことはすべて勘違いに終わります。一体自分は何なのだと失望するのです。

 

いて座の月はスマートで気位が高く育ちが良い人だと思われたいのです。実際にそういう場合もありますが、突然逃げ出したくなるのはそんな自分のイメージの維持に限界が来た時でしょう。

 

やぎ座の月は冷たく計算高く騙されないと信じていますが、本当の詐欺師には簡単にだまされます。お子ちゃま時代に磨いた用心深さのイメージでしかないので、現実社会では自分にがっかりすることが多くなります。

 

月がみずがめ座にあれば、どこか孤独に見えます。それは連帯していると思ったり、つながっていると思う気持ちに、本当は自信が持てないからです。脆弱なつながりしか持たないのに、それを強固なつながりであると思いたいところから来る孤独なのです。

 

月がうお座にあれば、やさしく受け身で犠牲的なしぐさは上手です。しかしそれは本当ではない、お子ちゃま時代に培った役柄表現のため、何か追い詰められた時にはあっさり脱ぎ捨てて本音を隠せなくなるため、その豹変ぶりに親しい人も驚いたりしがちです。

 

このように月の星座を悪く言うと誤解されがちですが、月を自分だと思うことは間違いです。月はあくまで子供時代に身に着けた反応だったのです。これに縛られることは、月が示す7歳までの姿でこれからも生きていくことになり、周囲との軋轢によって、必ず傷つく人生となります。

 

月からの脱出が占星術における重要な事柄なのです。このことをわかりやすく話すため、多少誇張して書いていますが、話しの本質を理解していただけたら幸いです。また、自分の月のことを悪く書いているようにお感じになられる方もいると思いますが、月はあなたの本質ではない、という視点からのものですので、どうかお許しください。月のイメージに振り回されることがなくなれば、それは日頃の常々のことでもあるので、生きることがかなり楽になっていくと思います。

最終回 惑星の理解「月」

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 月について二回にわたりお話ししてまいりましたが、今回は最終版としてまとめてみたいと思います。今回の内容は占星術に詳しくない一般の方でもつかめる内容ですので、不思議世界を広める意味でもお読みいただけたら幸いです。

 

月を理解することは、生きる上での潜在的な障害を取り除くことになります。また、月を理解することで日々の生活がかなり楽になる人も多いと思います。

 

私たちは月を第一フィルターとして世界を眺めますので、子供時代から続くそうした態度はやがて強固な習慣となり、月を通して世界を眺めていることが当たり前で、その影響に気づきにくくなります。

 

人間関係の悩みや精神の悩みや疾患が月と密接に関連しているのはその通りで、月の影響をルナティックと言いますが、それは狂気という意味です。

 

月は7歳頃までの私たちが眺めた世界の印象で、最初の世界観は月によって作られます。7歳未満と言えばまだ子供ですので、それが見た外界の印象は、単純で幼稚で物語性に富み、現実離れしています。

 

私たちは子供時代を思い出してみたとき、時折、なつかしさと同時にどうにもならない郷愁や、時には思い出すのがつらいような気持ちになる場合があります。「三丁目の夕日」という映画が流行しましたが、あの映画にも昔の東京に生きた人たちが元気よく登場する一方で、不思議な郷愁とやるせない気持ちが混じった気持ちを起こさせます。

 

幼少期の思い出は月を通して眺めているので、無力でありながら感受性が豊かだった、受け身の思い出なのです。人にはきっとそれぞれの「三丁目の夕日」があるはずです。懐かしく同時に思い出すのが切なく苦しいような三丁目、、、

 

セピア色のそうした思い出は、月が受けたものです。私たちは、そこから人生をスタートさせていきます。以降、いくつになっても、外界に接する私たちの感受性の窓は、まずはじめは月なのです。

 

月が作った最初の外界のイメージは、完全に受け身です。どんな理不尽もどんな逆境も、ただ黙ってそれを見つめているよりほかなかった子供時代の思いが、月の郷愁であり、思い出からくる印象の残酷さでもあります。

 

人は他に目を向けるものが何もないとき、いつでもこのスタート地点の印象に戻ることができますし、また、戻ってしまいます。他になにもないとは、月以外の衝動によって物事を意識することのない状況で、通常は太陽のことを言います。太陽は自分のしっかりした意識ですから、完全受け身だった月の印象とは違い、目的もあるしそこには目的に向かうエネルギーもあります。

 

太陽の意識にしたがって行ったことは、やがて成功していき、私たちの自信につながりますが、月のイメージに従った行動はそのほとんどが失敗に終わります。

 

月は現実にエネルギーを注ぐ星ではなく、受け身の幻影なのですが、人は生まれて来た以上、なんらかの方法で外界を理解する必要があります。

家から一歩外に出た子は、家に戻らねば死んでしまいますので、家と外というわかりやすい世界観がまず必要になってきます。

 

外に出れば、色々なものと出会いますので、出会ったものが自分を害するか、良くしてくれるかの選択も重要になります。

 

月の世界観とは、まだ子供だった私たちが、外界に出た際に必要とする、外の世界の理解を急いで作る時代にできたものなのです。それがあるから色々な場所にも行けますし、色々な人とも話したりすることができるようになっていくわけです。

 

7歳未満の子供だった私が見た世界、、、その印象が月です。そして私たちは、その月の印象を死ぬまで、外界を認識するフィルターとして使い続けることになるのです。

 

7歳までの子供が作った世界観は幼稚で矛盾に満ち、完全に受け身です。しかし、その印象を私たちは以降もずっと持ち続け、常に外界に触れる際には、それを第一フィルターとして機能させ続けるのです。

 

なので、月を理解しないと、私たちは、7歳の子供の世界観から抜けることができず、受け身で防衛的にしかこの世に接することができなくなります。

 

それでは成長もなく、生きて来た意味が持てなくなりますので、次に太陽意識の獲得によって、自分自身の生き方や個性を輝かせる時代がもたらされることになります。ただ太陽意識は月意識が完全受け身で培われたのと違い、自身で獲得しなければもてないものなのです。

 

月が私たちにもたらす意識は無意識として絶対的ですが、太陽の意識は個や自分自身を強く意識したものとなります。本当に好きなことや本当のやりがいは、ですから太陽意識からしか訪れません。

 

しかし、月の強固な習慣性は、あたかも月のイメージが自分の個性や真の人間性であるかのように振る舞うのです。ガレージから出た車はどこに行くのも最初は自分の家の前の道を通るしかないように、人生で何をするにも、私たちは月を通してまず世界を見るところから始める以外ありません。

 

太陽意識は強烈なので自身の個性といずれはつながりますが、月の個性もあたかも本当の自分のように感じられるように働きます。月は無意識化しやすいので、その影響は太陽よりも強くはなりませんが、潜在的に働き続けます。

 

前にも触れましたが、月は幻影であり、完全受け身の時代に見た外界の様子をこどもの目で捉えたもので、それは実態とはかけ離れたものとなっています。子供時代にイメージした自分自身のイメージは、月のサインに現れます。月のサインが示すものは、本当の自分の姿ではなく、自分が自分に抱いたイメージでしかないのですが、そのイメージは強固に習慣化されているため、自分は月のような人間であると感じるようになっていきます。

 

とくに太陽意識の獲得が遅れていると、成長した後も月が自分のイメージであると思いがちです。太陽意識が隠れている時とは、失意の時や、未来をあきらめた時であったり、親の影響、とくに母の磁力から抜け出せなくなっている時などです。その際には、月のイメージは拡大視され、私たちは7歳以下の子供時代と同じ意識で外界と自分を眺めるしかなくなります。

 

イメージの内容は月の12サインに従いますが、それが前に二回にわたるレポートで語った内容です。しかし大事なことは、月のイメージは現実ではない、、、という点です。そのため、月のイメージを自分の中で追求すると、必ずうまく行かなくなります。何事も失敗しますし、やがてはどうにもならなくなり、現実生活を送れないまでに混乱します。これがルナティックの正体です。

 

現実でない自分を実際の自分であると思いたいのが月ですが、それは嘘の自分ですので、それを追いかけるとどうにもならないストレスと消耗に追われてしまうわけです。

 

このことを知っていれば、月に惑わされることなく自身の道を見つけることができます。少なくとも楽になります。間違った自分のイメージで振り回されることが無くなるからです。

 

月はどうにもならない時だけ戻る一時的なラストリゾートとしては良いのですが、月のリゾートに何泊もした場合は、ルナティックの世界に足を運び入れることになるでしょう。

 

人生が終えようとしている時、月のリゾートは必要な場合もあります。現実世界にはもう親しい人もいない、、、親しかった人はみんな死んでしまっている、、、特にこの世でやり残したこともない、、、人はそんなときに人生の出発点であった月に戻り、最後の時を迎えることもあると思います。

 

月は幻想であり、事実に立脚したイメージは持ちません。子供時代に見た外界から受けた印象による自身と世界のイメージなのです。

 

人が死にゆくとき、最後の最後にすべてが幻であるとの思いを乗せてくれる船が月で、その際には確かに月は重要な役割を果たします。この世が幻想の世界であり、うつし世であるとの認識は、月の幻想性を理解した上では重要な働きとなるからです。

 

人は生れ出た時、どんな幻想でもよいので、この世にいるという認識のきっかけが必要になります。また戻る際にも、この世は確かに幻想であったとの確信を、月を通して知ることができるのです。

 

月はその意味で、あの世とこの世を結ぶわたり船としての働きを持ちます。月で生まれ、月で帰ることになる私たち。考えてみれば、月に限らず太陽を除くすべての惑星は太陽の光で輝くうつし世の星たちです。

 

その性格をもっとも大きく表出させている月。月はこの世が幻想であることを教える星であり、そのことを気づかせるために常に働き続けます。月を理解することは人生の意味を悟ることに直結する道です。

すべてが幻であるなら生まれてくる際に幻想からスタートすることは、何もおかしなことではありません。

 

月は幻想のこの世への渡し船であって、私たちが戻る世界は月ではない、太陽意識の世界です。この世が幻想で、戻る世界が実態であるという哲学は普遍です。私たちは太陽意識の獲得によってのみ、間違うことなくそのことが理解できるのです。そして戻る世界は死の月世界ではなく、太陽であると知ったその時はじめて、月の世界の意味も知ることができるようになるのです。

 

月は幻想の星であるゆえにこの世が幻想であることを教える有難い星。深い愛に根差していることは確かなのですが。母性というのも、自分の子がこの世で悟らずともいく世代かのちにつながる、母としての命の継続としての思いが月を通して出てきます。

 

なので月は連綿とつづくこの世の受け継ぎとして重要なのです。

 

ですので、やはり私たちは月に騙され続けてはいけません。月は月を卒業してくれることのために月であり続けています。

 

月を通して感じる自分は本当の自分ではありません。

月を通して見る世界は本当の世界ではありません。

月の影響で行うことはほとんんど形になりません。

 

月があなたを優しい人だと言ったら、それはやさしい自分だと思いたいことであって、本当に優しい自分というわけではないのです。なので、自分のイメージにこだわり続けているうちは、私たちはナイーブで傷つきやすく、自分に自信をもたません。

 

月の衝動によって何かをやろうとしても、それを実行し現実にするための能力は私たちにはありません。月には目的を実行する力がないので、試みは徒労に終えることになります。

 

月のイメージで自分の仕事を探しても、疲れて終えます。無理すればルナティックにかかります。

 

月は幻想であることを教えているのです。と言って、子供時代に培った月のイメージを捨て去ることはできません。月は変えられない自身のイメージであり、決して達成されない自身を示しているのです。月による感情の支配は生涯続きますが、それを事実だと思ったら苦しくなります。

 

変えられない月の与えた個性からは何も生まれないことを承知の上で、それをキャラとして受け入れ、それとは別に自身の人生を探していくとき、私たちの人間としての、また生きる幅が広がります。

 

こうした複層の思いをもって月を眺める時、私たちは真の個性化への道に入ることができます。

           

月は本当にはいない母を求めさせ、本当にはいない自分を求めさせ、本当にはない世界の住人であるかのように私たちを振る舞わせます。

 

真に受けたらルナティックと死が訪れることにもなりますが、月が幻想であることを知り、その要素を受け入れていけば、人生は味わい深いものとなるのです。

 

「愛している」と言う裏切りの恋人の言葉が嘘だとわかっても、嘘と知りつつ愛を深めることさえ人生の選択肢にはあります。

 

その時私たちは、「嘘つき」と発狂することもできますし、「うれしいよ」と嘘を受け入れることもできるのです。嘘を受け入れもして相手を肯定できる人生の凄さは、月なしでは考えられないものです。

 

月を月と知りつつこの世を味わう楽しさがなければ、この世に意味はありません。ただそれも、太陽あってのことなのです。太陽の人生の絶対肯定なくして、月を味わう余裕は私たちには訪れません。

 

太陽と月、、、今回は3回シリーズとなりましたが、主に月の側から語らせていただきました。

 

 

エブリバディハッピー

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この写真は馬券です。的中しています。勝った馬の名前は「レインボーライン号」

私がダービー以来、ずっと追いかけ続けていた馬です。

 

最後に勝ったレースは第157回「天皇賞」3200メートルのレース。この時の的中100円馬券です。

 

競馬の馬は一年に7000頭以上も生まれますが、活躍できる馬はほんの一握り。後の馬がどうなってしまうのか、本当に問題なのですが、競馬を経済行為としてだけ考えていると、馬の悲劇はなくなりません。

 

私は馬の走る姿が好きで、その存在感の大きさには圧倒的な魅力があります。競馬場で活躍できなかった馬、活躍馬のその後の安寧、そしてレビューすらもできずに姿を消していく数多くの馬のことを考えると、どうにもならない気持ちになります。

 

馬の魅力は語りつくせないものがありますが、馬を再び交通機関の主軸に据える、、、、

車を街や村から締め出して、馬車や馬鉄道を走らせる、、、、駅周辺には花を植え、テーブルを出し、無料のお茶などを用意する、、、

 

馬が交通機関になれば、アスファルトの道を掘り返し、人間と動物が長い間共存してきた土の道になります。道の中央には並木が、道の両端には様々な植物が立ち並び、その間を色々な馬車が走る。

 

たったそれだけのことで、その町には間違いなく観光客が集まり、復活していくはずです。

 

車を締め出し、馬を交通機関とする町や村があったら、どんなに幸福な光景でしょうか。

停車場では馬の交代をセレモニーのように行えば、大勢の人が喜ぶことでしょう。

 

道端にはたくさんのお店が並び、みな、ウッドチップやレンガの歩道に花を出し、テーブルを出してくつろいでもらえば、お店も街もきっと繁盛し出すでしょう。

 

馬文化の息づく街ができれば、お客が来て、馬が殺されずに生かされ、すべてが喜びにかわってしまう。不要な馬を殺し、新たな馬を産み育てることだけが馬産業ではないはず。馬と人とはかなり前から一体の生活をしてきました。馬は人の役に立つことを厭いません。

 

走れと言えば、死ぬまで走り続ける馬もいるという、、、、なので、人間には馬の面倒を最後まで見なくてはならない責任があります。それは決して苦しいことだけではなく、馬文化の育成、馬を交通機関に置き換えるアイデア、馬が人にもたらす心と触れ合いの面、、、そうした場ができれば、間違いなく、そのこと柄は発展し、馬も人も喜ぶことになるはず。経済的にも、これまで何をやってもダメだった地方のシャッター街は数多くありますが、そこに馬文化が浸透し、馬鉄道、馬車、馬車道が整備されたら、あっという間に命を吹き返すことは目に見えています。そうすれば、芸術家もそこに集まってくる、、、新しいおしゃれが生み出される、、、新しい生き方が創出される。

 

全国の5パーセント程度でもいいのいいで、貧しかった村や町が馬文化を育成し、馬を交通機関にした際に生み出される新たな仕事の創出人口は、数十万人以上に達するはず。それでいて、何もお金など使わない。殺される運命の馬が生かされる、、、死んでいた町や村が生き返る、、、仕事が増える、、、、、馬の町の民泊など、想像するだけで巨大ビジネスになったりしないでしょうか。

 

これまで何をやってもダメだった町にお金が入ってくる、、、それでいて、ほとんどお金はかけていない、、、そこに携わる人たちの顔はみんな輝いてくる、、そうなると、これまで捨てていた、忘れていた町や村の文化を人は思い出していく、、、そうだ、150年前まではつづいていた、祭りがあったべ、、、復活しようや、、、馬があれば盛大にできるべ、、、

 

今、人が求めているものは、ビルや新幹線ではないのです。これからの生きがいやお金儲けは、こうした匂いがするものでなくてはならないのです。

 

馬券購入の際には、税金が20パーセントから25パーセントを取られるのですが、その数パーセントでもこうした馬文化のまちづくりのために利用する、、、その結果、不要な馬を殺さなくてもよくなる、、、そうなるのなら、競馬ファンは実は大喜びして賛成してくれると思います。さらに税金が増えても、そのために使うのならと、理解してくれる人だっているかもしれない。馬主だって、本当はつらい思いをしている人が多いはず。毎月愛馬の余生のためなら月2万円程度なら出し続けるよ、、、という人もいることでしょう。

 

エブリバディハッピーの経済は必ずあります。それは、無駄にしていたもの、、、冷たく忘れていたもの、、知っていて知らぬふりをしていたもの、、、その発見の中から反省と共に、やりがいを伴って復活してくるものの中に、きっと本当の希望があるのです。

 

天皇賞を勝ったレインボーライン号は、勝った瞬間に足を痛め、岩田ジョッキーはすぐに下馬。レースを勝った馬だけに許されるウイニングランもないまま、馬運車に乗せて運ばれて行きました。競馬場内には多くの人の悲鳴がこだましたと言います。

 

競馬ファンには、馬自体が大好きというファンが実に多いのです。10回目の挑戦で、最高レベルG1の天皇賞を勝ったレインボーライン。4コーナー最後方の位置から馬と馬との合間を潜り抜けてつかんだ渾身の勝利でした。ジョッキーの神騎乗とまさに一体の勝利でした。天皇賞のレースを見た人は鳥肌が立ったと言います。

 

レインボーラインは幸いなことに来年から種牡馬生活に入りますが、馬も人もレースで一体ならば、それを育てた調教師、厩務員、牧場関係者とも一体です。一頭の馬の育成には多くの人がかかわっており、馬は人を信頼して成長していきます。

 

レースが使えなくなったからと言って、馬の余生への責任を忘れることなどできません。

新たな馬文化づくり、馬交通機関が必要なのです。それによって、そこにかかわるすべての人に幸福が訪れるからです。

 

人の生かし方も本当は同様なのです。東大一辺倒の政治や政策がどんな結末を迎えているかと思うとき、暗反たる気持ちにさせられます。

 

ダメだと思われていた人、、、才能ナシと思われていた人、、、何をやってもダメだとさげすまされていた人、、、それは、今の異常な時代の中での話しに過ぎないのです。

 

エブリバディハッピーの道は必ずあります。その視点に立って、これからの時代を私たちは生きていくことを肝に銘じなくてはならないでしょう。

 

あなた一人の幸福で恋愛は成立しません。あなた一人の幸福で家族は成立しません。あなた一人の幸福で会社は立ち行きません。あなた一人の幸福で世界は成り立たないのです。

犠牲を強いる幸福を得たとしても、本当は本人も傷ついているのです。

 

エブリバディハッピーの知恵比べ、それがこれからのやり方ではないでしょうか。

 

 

「マドモアゼル・愛の麻のお店」からのお知らせ

麻の季節が到来です。夏場のじめじめ、、、湿気、、、寝苦しい夜、、、ぜひ麻の下着でお過ごしください。麻の下着セールを開催中です。(お得な価格設定に当面の間なっています)

麻の下着は、フンドシタイプとパンツタイプの二種類。どちらも解放感マックスで、ことにふんどしは着用したら最後、こんな素晴らしいものが世の中にあったのか、、、と思ってくださるはず?

 

私たちは長い間、下着と服によって締め付けられ、制御されてきたのです。せめて、寝苦しいこの季節だけでも解放感を味わってみてください。セクシャリティの確認、保護にも最適な下着。ゆがんだ性意識の強制からも自由になれることでしょう。

 

下着の他のおすすめとしては、3メートルを超えるような長い麻の一枚布をシーツにしたり、くるまって眠るおすすめです。麻の布にくるまって眠る、、、それだけでも深い瞑想が得られると思います。

 

ことに麻のふんどし、麻のパンツであとは麻の一枚布をまとって眠る体験は、私たちの考えはもちろん、生き方すら変える体験になってくれると思います。

 

今年の夏は、麻の下着&麻の布にくるまりながら、生きている実感を味わってみてください。

  

マドモアゼル・愛の麻のお店   

http://miraishop.jp/

 

 

問題部位に意識を注ぐ健康法 (微細な作用と大きな反作用)

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色々な健康法がありますが、不健康はエネルギー不足だとの観点に立てば、不調がどのようなものであれ、そこにエネルギーを注ぐことが重要になります。

 

健康に限らず、あらゆる問題はエネルギー不足と言っても良いと思います。体の不調はもちろん、貧乏も、悩みも、焦燥も、すべての原因はエネルギー不足です。

 

問題の解決はエネルギーを得ることに尽きます。

 

エネルギーの得方には色々あると思いますが、物には何の力もないので、物を得ることによる解決はありません。ただし、物が何等かの媒体として働き、結果的にエネルギーを得ることにつながる場合はあります。

 

食べ物や薬が効くことがあるのは、エネルギーを得る媒体になった際のことです。エネルギーの法則が理解できれば、たくさんの方法によってエネルギーを得ることができます。

 

では、本当の意味でエネルギーを得るとはどういうことでしょう。答えは作用にあります。何等かの作用があれば、必ず、反作用が帰ってきます。反作用が本当のエネルギーです。

 

犬も歩けば棒に当たるではありませんが、何でも作用があれば、必ず反作用が訪れます。例外はありません。地球でも月でも火星でも他の恒星でもこの銀河以外の銀河でも、これが唯一の法則です。

 

作用があれば反作用が起こる、、、唯一の共通法則です。

10グラムの力を大地に加えれば、10グラムの力が大地から戻ります。同じ力が戻ります。なので、基本はヒフティヒフティで、損じることも益することもないというのが、宇宙の法則です。なので形あるものは必ずいつかはゼロに戻ります。

 

プラスもマイナスもなく、すべてはゼロとなります。作用と反作用はセットです。一体となりますので、反作用を生まない、戻らない作用は絶対にありません。

 

では、10グラムの力を加えれば10グラムの力が戻る、、、差引ゼロなら、何も起きない、、、と思われますが、そうではありません。

 

10グラムの力が加わった大地は常に10グラムの力で押し返しています。そこにはエネルギーが生じているのです。力を拮抗させればそこにエネルギーが生じます。

 

一億トンの力を右に一億トンの力を左に加え、双方の重力を強固な支点の上で拮抗させれば、わずか1グラムの力でも二億トンを動かせます。合気道や柔道はこうしたエネルギーを利用して相手を倒します。拮抗した無からエネルギーを得ているのです。

 

物理的には違った理解といい方になると思いますが、拮抗点にエネルギーが生じると考えた方が合理的です。

 

さて、作用と反作用に話しを戻しますが、同じものが戻ってくるのなら、プラスマイナスゼロとなり、エネルギーがどこで生じるかよくわからなくなります。拮抗は無重力で、無こそがエネルギーをもたらす条件なのです。無が本質であり本態であり、無からしかエネルギーは訪れないのです。

 

物理作用はそれに比例した物理反作用を生じますが、物理的に双方の力が拮抗すれば、重力ゼロポイントができ、同時に両者の重力を自在に限りなくゼロに近い重力で動かすことができます。

 

何兆トンの重力が押す大地の龍のような力があったとして、もう一方はそれを押し返すやはり強力な力の反作用が起きている地点、、、、要するに地震が起きやすいポイントになるわけです。活断層と呼ばれるものです。

 

双方から何兆トンもの力がせめぎ合っており、わずか数トンの力のかけ具合によっては、双方を動かすことができます。その力は巨大で二つの力が拮抗しているためにエネルギーを持っているから動くのです。活断層の怖さはそこにあり、活断層にはエネルギーを生じる力が潜在的にあるわけです。

 

 

活断層がいつ動くかは、地震国の日本では重大な問題ですが、あらかじめ、どちらの方向からどの程度の力が加わっていて拮抗しているのかがわかれば、重力の逃げ道を作ることで地震を防ぐことができるかもしれません。悪用されれば、簡単に地震を起こすこともできてしまうわけです。

 

このように重力の作用は簡単に拮抗を生みますが、作用と反作用には多くのケースがあります。

 

重力に限らず、作用を起こせば、必ず反作用が伴う、、、その反作用が本当のエネルギーである、、、、とすると、作用の質が実は問題になってくるのです。作用が計測できる重力の場合は、拮抗点がエネルギーポイントになるくらいのことで比較的にわかりやすいのですが、重力以外の作用では作用の質が問題となってきます。

 

原則としては、物理的な作用の要素が小さくなるほど、本質的な作用となり、もたらされる反作用は大きいのです。すべての作用反作用は同等ですが、目に見える物しか信じない私たちの世界においても、この原理は正確に働くため、小さな作用のように見えていても、それがより本質にかなった作用であるなら、この世的に信じられないほど大きな反作用となることがあります。

 

問題のある体の部位に3キロの重力をかけて反作用によるエネルギー補充を行うより、わずか数グラムの小さな重力による反作用の方が、より大きなエネルギーをもたらすことになります。

 

一見、作用反作用の法則に反することに聞こえると思いますが、実はそうではないのです。わずか数グラムの小さな重力を問題ある部位に掛けたとしますと、微細な感覚を刺激します。意識も作用ですので、ここにおいて、3キロのはっきりした重力をかけても、体は物理的な反作用に無理が生じますので、体を硬化させて無理やりな重力から守ろうとします。反作用しやすく体を硬化させることになりますので、強い指圧が好きな人の体は必ず硬化しているはずです。

 

しかしわずか数グラムの作用なら、重力が小さい分、物理的な反作用で体は無理をしません。そして数グラムの作用を認知するために意識のセンサーに頼るようになります。数グラムの作用を問題ある部位に行うということは、実は意識のセンサーを働かせることにつながるのです。

 

最終的でもっとも偉大な作用は意識にあります。意識という物理的側面の極めて小さな圧がもたらす反作用は、この世的にも大きな反作用となります。なぜなら、意識が本体であり、私たちの存在は物理的存在としてよりも意識存在としての実在が本当です。

 

なので、意識圧が体に働きかける作用の方がより多くの反作用をもたらし、エネルギーを結果的に体に送ることができるのです。

 

と言って、私たちは意識を向けただけでは鈍い肉体の問題をすぐに解決できるほど優れてはいません。もちろん意識に対する本物の信頼があれば、問題個所に意識を向けるだけでエネルギーを送ることができるでしょう。しかしそれは一般的ではなく、むしろ、小さな物理圧、数グラムの圧を問題部位に掛けることで、その部位を意識でき、確かに数グラムの圧が気持ちよく働いている、、、と感得することで、その部位への意識化が進み、エネルギーの補充がかなうわけです。

 

話しが理屈っぽくなりましたが、簡単なことをあえて説明するところから来る複雑さです。一言でいえば、小さな数グラムの圧を、体の問題部位に掛ける、、、さするでもよいし、軽くそっと叩くでも触れるでもよいのです。ともかく、小さな物理圧であることが重要です。

 

軽くそっと撫でて行えば、意識はその部位に至ります。そして、そこで気持ち良さが多少でも伝われば、もうエネルギーは補充されています。

 

そっと体に触れていくことで、その部位部位に意識を這わせる、、、、それだけで驚くほど人は元気になります。問題個所も解決に向かうことが多いのです。

 

小さな圧が治したように見えて、実は意識がそこに注がれてエネルギーを得たのです。意識圧が強大なエネルギーをもたらし体の不調を治すのでしょう。

 

重力に頼って、言うことを聞かないとばかりに何キロもの力で体を叩く、こする、押すなどしても、物理的に何キロもの反作用を起こすのは体はつらいので、作用から身を守るために体は固くなるのです。

 

体に意識を向ける、、、そのためには、より物理的に少ないわずかな力の圧で十分なのです。その方がその部位に意識を向けやすくなり、結局は意識圧の反作用による偉大な効果で体は癒されるのです。

 

私が開発したポンポンマッサージはまさにこの原理を応用したものです。ポンポンマッサージと同様、体の問題部位には、そっと手を触れ、静かに押したり、さすってあげる、、、それにより、気持ち良いなあ、、という意識がその部位に届けば、問題はもう解決されているのです。

 

お知らせ

6月21日は夏至ですが、久しぶりに妖精茶会&432Hzオルゴールの夕べを開催します。そのため、shopマドモアゼル・愛の閉店時刻がその日だけ、一時間早まり午後5時閉店になりますので、ご注意のほどお願い申し上げます。

 なを、妖精茶会に参加される方はすでに締め切っておりますが、場所はお店ではなく、尾山台のアトリエです。ご案内いたした通りですので、どうかよろしくお願いいたします。

 

小さな振動作用がもたらすチューナーの奇跡
マドモアゼル・愛 公式SHOP

日本臨床音楽研究会 6.24 10時半 「日本の声 日本の音 日本の歌」マドモアゼル・愛

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 日曜日の午前中に(6月24日午前10時半から)、私の講演があります。お呼びがかかったのは、日本臨床音楽研究会からで、音楽の効能を臨床面で研究し、実践しようという団体です。大学関係の方や音楽関係、企業関係の方も多いようです。

 

講演タイトルは「日本の声・日本の音・日本の歌」

長い間、和歌を歌う披講の研究と実践をしていますので、その関係でお声がかかったのだと思います。日本の声、、、と言えば、角田忠信博士の日本人の脳の研究が思い浮かびます。角田博士とはひょんなご縁で、数日間を海外で割と密にご一緒させていただいたことがあります。

 

そこで直接博士のご研究に触れることができたのは、偶然のたまものという他ありません。日本人の脳については短く簡単には話せませんが、博士が最終的に力説されたことは、「日本人は外国の真似ではダメなんです。日本人しかやらないやり方で世界に貢献するのが良いのです」ということでした。

 

日本語には母音が深くかかわってきますが、その特殊性については、明日、二時間ありますので、ていねいに話せるのではないかと思っています。

 

他に、日本の声や歌としての倍音について、またその研究から得たものとしての周波数について、実践を交えてお話しする内容になると思います。

 

チューナーも持参し、また、432Hzのオルゴールも持参して聞いていただけたらと思っています。

 

当日受付がありますので、関心がある方はぜひいらしてください。

 

624(日 )10時半から12時半まで

場所 自由学園 明日館  JR池袋駅メトロポリタン口より徒歩5分 目白駅からは7分。

料金 3000(当日徴収)

 

駐車場はありませんが、近くに三井のリパーク駐車場があります。駐車場名「西池袋2丁目」と入力してください。

やぎ座土星&冥王星を刺激する満月&新月

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 今度の満月が28日の午後で、やぎ座の6度30分弱のあたり。そこは現在運行中の土星がいる位置ですので、この満月はもろに土星を刺激します。

 

そして次の新月は7月の13日の午後で、これはやぎ座の20度の新月。そこにはもろに運行中の冥王星がいます。

 

他の惑星が悪い形で絡んではいないのでそれほど心配はないとは言うものの、やはり教科書的に言うなら、ここは注意ポイントに。

 

やぎ座は最後までボロを出さない星座ですが、出た時はどうにもならない状態を突きつけます。やぎ座が示す意味は二つあります。現行の支配システムと、自然現象です。

 

土星はやぎ座を支配する惑星ですので、現在は本来のやぎ座を運行中で、ここで新月と満月を迎えることは、年に一回づつ。土星がやぎ座にいるのはあと2年ほどで、あと今回のようなタイトな形で新月もしくは満月を迎えるのは2020年の1月など数回だけです。

 

土星と冥王星がやぎ座にある時期に大地が活動時期に入ると予想できますので、今年の春分レポートでも火山活動や地震の年である危険については語りました。

 

確かに現在、色々な火山が活動していますので、確かに注意は必要です。星の運行から無責任なことは言えませんので、決して予想としてではありませんが、星の上ではストレスがかかっている状態であることを申し述べています。

 

このように、火山や地震を予想しても人を驚かすだけで迷惑な話しですが、今回はたとえそうしたことが起きても大きな問題にならないから大丈夫との思いがあるため、語っています。

 

具体的に言いますと、今、星回りは自然現象においてはストレスがかかる状態であり、実際に火山活動が活発化したり、地震が起きる可能性はあると思います。ただ、そうした場合でも大きな被害は出にくく、そうした危険に遭遇しても安心して冷静でいれば何も問題はない、、、という観点から語らせていただいています。

 

星占いの話しですので、当たらないことも十分にあるわけで、万が一あったとしても、大丈夫ですので、活動期に入ったという一般的な考えもあり、地震国に暮す通常の注意はお互いに必要ですね、、という話しです。

 

天変地異も心配ですが、実はもう一つの支配システムの方について、今回は語りたいのです。

 

先ほど言いましたように、やぎ座は現行のシステムの大本にある星座です。システムは人を統治し、社会を力ある人の思う方向にもっていくことを目指しています。しかし、力ある人にも限界があり、時代の変化に対応できず、そのシステムが突然動かなくなることが起こることがあります。

 

めったにないことですが、冥王星と土星がやぎ座にある間にそうしたことが起こると私は以前から考えていました。そうした出来事はある日突然起こる性質です。というのは、やぎ座は最後までボロを出さない星座ですが、出た時はお仕舞い、という形です。

 

具体的に言いますと、アメリカの金利上昇に端を発した世界金融は、ドル借金国に多大な影響を与えています。そのほころびが冥王星&土星がやぎ座にいる間に切れるという考えです。トランプ革命はそのことを承知の上での行動と思われるため、こうした事態がいずれ訪れると読んでいるわけです。

 

いづれ、、、というのが、今回の満月、新月、あと数回訪れる新月と満月。とくに今回の2回と2020年の1月ではないかと、占星術を教科書的に読んだ際の結論です。

 

日本は一応ファイナンスは自国内でまかなえていますので、そうした事態が起きても結果的にはむしろ日本の時代到来を告げる出来事になったと、後世の歴史は解釈するはずですので、決して怖いことではありません。日本時代が訪れることになってしまう、その必然的出来事が起こるという観点は重要です。日本はすでに終わった、、、と考える人の気持ちはよくわかりますが、本当は日本の時代が始まる産みの苦しみに入っているのです。

 

ドル借金の多い国々、、、中国、南米、ドイツやユーロ、、どこかはわかりませんが、突然万歳する体質のドイツはこうした事態には欠かせない配役です。また、金融とイスラエル中東問題が同時に起こる可能性もあります。今、火星が留となっていますので、こちらも心配。

 

日本のマスコミではあまり伝わらない世界の状況を、星の上からお伝えしておきたいと思った次第です。ただし、世界でも日本でも色々とあると思いますが、一見悪く進んでいる様に見えて、実は良い世界になる方向へ進んでいるように見えますので、あえて語らせていただきました。

 

今後のマドモアゼル・愛公式SHOP 新発売スケジュール

71日  153Hzステンレスチューナー 153Hz重し付チューナー

      153Hzアクリル製音叉箱   153Hz木製音叉箱  以上4点の発売開始

 

73日  432Hz純正律オルガニート20穴 発売開始

      444Hz純正律オルガニート20穴 発売開始

      432Hz純正律オルガニート33穴 予約注文開始

      444Hz純正律オルガニート33穴 予約注文開始

      

その他、10月以降のセミナーについて7月中にご案内させていただきます。

 

 

チューナーご使用法の案内     おすすめMIチューナー

 

エネルギーを得て元気になりたい  ノーマル プレミアム各チューナー

体調の不安が気になる時    ザヘルス又は444Hzゴールドチューナー

               444Hz純正律オルガニート

美容目的             振動美人

髪にうるおいを与えたい      528Hzチューナー

脳内共振を体験したい       128Hz重し付  153Hz重し付

独り暮らしで話す機会が少ない  153Hzステンレス 重し付き各チューナー   

魂の安らぎと安寧     432Hzゴールドチューナー 432Hz純正律オルガニート  

ライヤーやピアノの基音を変えたい 444Hz 432Hz 528Hz各チューナー  

整体などプロの方向け       132Hzドクターチューナー

 

マドモアゼル・愛 公式SHOP

希望の周波数153Hz

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 153Hzの2タイプのチューナー及び、⒉タイプの音叉箱を発売開始しました。

改めて153Hzとは何かについて、説明したいと思います。153Hzについては世界でもまだ表向きではあまり語られていない周波数です。しかしこれは特別な周波数です。

振動数が三単位で成長する周波数の総代表であるこの周波数は、全数の三分の一の性格を代表して持っています。全数の三分の一ですので、いわば無数の三分の一というとんでもない大きさです。このすべての数の三分の一を集約した数が153なのです。

まずはじめに、数と周波数を同列に扱う根拠についてです。周波数は振動数ですので、数理的な概念と一致します。1センチとか1グラムとかいう長さや重さの概念は、それが人為的な約束事であるのに対して、周波数は実際の1振動=1周波数であり、数と完全に一致します。周波数の数は概念ではなく、人為的なものではありません。

そのため、数にもし意味があるとしたら、数と周波数は同列に語れる部分が多くなります。数秘やゲマトリア、カバラなど、数に関した秘密や考えは根源的であり、高度な神霊界から送られるメッセージはそのほとんどが数字、もしくは幾何学模様だと言われます。

この世の物はすべて音=振動によって作られていますので、周波数こそが数を生み出した大本にあるわけで、音=振動回数=数 と三位一体です。

153が持つ原理的意味は、周波数153Hzなのです。

では、153にはどのような意味があるのでしょう。あまり語られることのない数ですが、隠れた形で語り継がれてきたことが伺えます。

キリスト教世界においては、ひとつのアナロジーとして、一部で密かにこの数が語られてきました。それは聖書記事に153が出てくるからです。それも復活のイエスが最後に残した数として、聖書に登場します。
ヨハネによる福音書の21章はヨハネ伝最後の章です。テベリアという海辺に、復活したイエスが最後に現れる重要なシーン。イエスは魚が取れずに困っているペテロに指示します。そこらへんに網を投げ入れてみなさい、そうすれば魚が取れるでしょうと。

ペテロが言われるままに網を投げ入れると、たくさんの魚が網にかかります。その数が153匹であると、わざわざ聖書に書き記されるのです。この意味について、密かにキリスト教会では語り継がれてきまたのですが、その内容はアカデミックなものと違い、どちらかといえば、秘境的な色合いのする、神秘学の深い部分としての印象です。要するに一般には広がることのない秘め事でした。

153の意味にはすべての人の救いの約束というイエスの意思があるのですが、教会によらねば人は救われないという教会権威と異なる方向となるため、おそらく秘め事にされたと思います。ソルフェジオ周波数もおそらく同じ構造の元に隠されたのでしょうから。

153が3で割り切れる数のすべてを代表するというのは、3で割り切れる数の一つ一つをそれぞれ3乗し、その答えを和していきます。それを何度も繰り返していくと、最終的にすべての3で割り切れる数は153となり、以後一切変化しなくなります。3で割り切れる数の終点が153なのです。

例 27の場合  2×2×2=8 7×7×7=343  343+8=351 
3×3×3=27  5×5×5=125 1×1×1=1  27+125+1=153 以降変化しなくなります。27のように、3で割り切れるあらゆる数は最終的に153になります。27はわずか二桁ですが、たとえ、何億桁、何兆桁であっても、すべての3で割り切れる数は153に行き着きます。

3は三位一体のキリスト教の精神を表す数です。占星術では発展の木星の数、音楽ではワルツ、1が始まりで、2が対象物、3で対象物が和して発展となる意味は普遍です。聖書記事における3は、ペテロの網にかかる人間の数を意味します。

聖書記事の他の部分で、イエスがペテロに対して「あなたを人間を取る漁師にしてあげよう」との言葉があり、その証しはヨハネ伝の最後に設定され、ペテロはイエスのいわれるままに網を下ろして、153匹の魚を得る、、、

人間を取る漁師、、、すなわち、ペテロの網にかかる全人類の三分の一をイエスは救う、、、と解釈されてきたわけです。三分の二の人類は滅ぼされるというヨハネの黙示録の記事ともそれは符号します。

こうした内容はイエスの言葉を聞く三分の一の人だけが生き残る、、、というアナロジーとして伝えられた面がありますが、実は153には、すべての人の救いの意味が込められています。

153は1.2.3.4.5のそれぞれの数の階乗の和です。階乗とは、1.2.3..4.5を下記のようにしたものです。

1×2×3×4×5=120
1×2×3×4=24
1×2×3=6
1×2=2
1=1
120+24+6+2+1=153

1から5までの階乗には、すべての人々の意味合いが出てきます。
すべての数は基本的に1.2.3.4.5のどれか、もしくはこの5つの数の組み合わせたものの倍数と和の組み合わせです。6は2+4 でも良いし、7は3+4、5+2でもよいし、8は3+5 9は4+5であり、1から5があれば9までのあらゆる数の大本がここにあることになります。5までの階乗数には、すべての人々の意味が込められていると思えます。

気づいたことですが、153Hzは、男女の声の接点になる周波数です。女性の低い声、男性の高い声が153Hz内外で一致します。男女の交わりを暗示する周波数ということにもなります。

お産の時の呻き声、喜ぶ男の声、、、その周波数と見ることもできます。数秘学として見ると、153は1+5+3で、9となります。9は無であると数秘学では考えます。無からしかエネルギーは来ませんので、隠された9は無限のエネルギーを示す暗喩ともなります。

完全数は常に三桁です。数は原則的に、1.4.7の系列、2.5.8の系列、3.6.9の系列の3種類に分けられ、どれかに属します。上記の3種類の全部を持ち、且つ合計が9となる数は18種類しかありません。

126.162.216.261.612.621
135.153.315.351.513.531
234.243.324.342.423.432   以上の18個以外にありません。

これら18個の数は3系列のすべてを持ち、且つ9を外に隠しています。かくれた9.、すなわち無からしかエネルギーは来ません。無からあらゆる事柄、すなわち3系列のすべてにエネルギーを送れる数の概念がこの18個であり、この18個の数はフリーエネルギーの原理を語っていることになります。

18個の数はすべて3で割り切れる3のグループであり、その主役はもちろん153です。この中には、正しい音楽の基音ともいえる432も含まれています。

18個のこれらの数は数秘術やゲマトリアに頻繁に登場します。3の原理、9の秘密を独り占めすることで、この世を支配した一部の人の思惑が見えてきます。この世は科学的に見えて、実は魔術のような力で動かされているのでしょう。人間に与えられるエネルギーの多くが、この18個の周波数の音により得ることができるのですが、(もちろん私の考えです)これを隠し、人に与えないようにしながら近代化は進んだのではないでしょうか。

国会議事堂に入る人は、必ず9という数が見えるものを隠さねばならないということです。9を許せば、フリーエネルギーの時代が到来してしまうからでしょう。9は無を表す数であり、そこからしかエネルギーは来ないので、悪の時代を継続させるには、9の本当の意味を隠すしかありません。

この18個の数、すなわちこれらの周波数に特別な意味があると私が思ったのは、この周波数帯が人が自然に発声する生活音の周波数帯であることがヒントとなりました。音にはエネルギーをもたらす力がありますので、周波数によっては、人を苦しめも、喜びもさせるものがあることに気づいていました。

18個の周波数は人が普通にしゃべる中に設定された周波数で、神はこの周波数を持って、人にエネルギーを送る仕組みを考えられたのだと思います。

都市化、アスファルト化、核家族化、単身化、仕事や時間の合理化、パソコン化、自動化は、ことごとく18個の周波数を隠す働きをしています。本来の豊富な会話の機会がどんどん少なくなっていくことは、個々や社会のエネルギーが不足していくことと大きく関係しているのです。神の仕組みに対してそれを阻止しようとする力が、人為的に働いているわけです。ユングがこの世は悪の力によって動かされている、、、というのは、本当なのでしょう。

18個の周波数、ことに153Hzを得ることは、生きていく質を向上させる上でとても重要です。かつては大家族や大人数の仕事場で得られたはずの18個の周波数は、都市化、近代化、核家族化、単身化の中で、極めて不足した状況にあります。

音からエネルギーが訪れるとしたら、現代では足りない音、取り上げられてしまった音があり、その分、人はエネルギー不足に陥るのです。足りない音があると言っても一般的には理解されないことは承知ですが、イエスが暗示した153、その数が持つ多くの暗示から、153Hzは極めて重要です。

私が得た結論は153Hzは和をもたらす、和の周波数であるという確信です。和というとただ仲良くした方がいい、、、というあんちょこなものではありません。和さねば、力がでないという意味で、危険な偏った時代に必要な周波数なのです。和さないものからは融合は生まれず、融合がなければ、やがて孤立の運命が私たちを襲います。あらゆるギャップの解消を促進させる周波数が153Hzだと思います。

153Hzは人間が人間として生まれ、生きる際に必要なエネルギーであり、男女の声の接点にあたり、人間が重要な場面で引き出す音となって、私たちにエネルギーを与えているのです。

和すことで双方のギャップが解消され、エネルギーが生じます。その働きと153Hzは大きく関係するのですが、153Hzは対立する者同士の接点となり、和と平和に欠かせない要素です。イエスの救いの暗示、153Hzは先の見えない時代に、この先の時代原理と本当の希望を与えてくれる周波数と言ってよいでしょう。

単独では強くても、和することを忘れた現代人。強さだけでは見通せない未来がこれから訪れるはずです。その際、153Hzの必要性が出てくると思います。

153Hzを得る方法は、通常の会話であり、女性は低い声の、男性は高い声での発声。また抑揚をつけた朗読での表現により、この音を得ることができます。さらに大勢の仲間との会話では、必ず、この音は飛び出してきます。昔の大家族の家では18個の周波数がたくさん飛び交っていたことでしょう。

そして安定して153Hzを得るためには、二本の153Hzチューナーは、画期的な働きをしてくれるはずです。



153Hz4つのアイテムご紹介

153Hzステンレスチューナー 15000
153Hz重し付きチューナー 16000 
153Hz専用アクリル音叉箱  15000
153Hz専用木製音叉箱  20000

お得な153Hzコズミックセット①②
① 153Hzステンレスチューナー+153Hz専用木製音叉箱  30000
② 153Hzステンレスチューナー+153Hz専用アクリル音叉箱 26000

153Hzチューナー及び音叉箱の使い方

153Hzステンレスチューナーのご使用方法
振動専用のチューナーです。振動させたチューナーのグリップ部位を体に直接当てて使用します。エネルギーが不足している部位や流れの悪い部位に使用し、体や心のエネルギーの停滞、こだわりを無くすことを目的にしています。153Hzは自然なエネルギーですので、不自然さから来る不安や不運、原因のわからない焦燥などをお持ちの方にとくにお奨めしたいチューナーです。音叉箱をご使用いただくことで、振動を音に変え、全身での153Hz体験ができます。

153Hz重し付きチューナーのご使用方法
こちらも振動用チューナーですが、振動が大きいため、耳元では空気の振動が顕著に伝わります。この振動音に合わせて、同じ高さの声を出しますと、脳内で共振現象が起こります。共振したものにはエネルギーがもたらされますので、脳に直接エネルギーを取り込むことを目的にします。(共振からエネルギーが得られるというのは、科学的な根拠はありません)一人暮らしであまり人と話す機会のない人にとくにお奨めしたいチューナーです。重し付きチューナーは音叉箱用の仕様にはなっていませんが、音叉箱に直接グリップ部位を付けることで振動を音に変えることができます。

153Hz専用木製音叉箱
長さが53センチあるかなり大型の音叉箱になります。音が長く鳴り響きます。地の底から聞こえるような重低音が部屋中に響き、部屋全体をエネルギー空間に変えてくれます。木製でできたデリケートな音は品がある安心感に満ちています。約1分半ほどの振動体験が可能です。

153Hz専用アクリル製音叉箱
長さは53センチある大型の音叉箱です。透明なアクリル製品です。木製にくらべておしゃれですが、音の面で木製に比べると多少短い時間の振動となります。人前での演奏やセッションでは美しさがひときわ輝きます。振動時間は約1分です。

お得なコズミックセット①②が他にあります。153Hzチューナーは世界で初めてのものです。今後153Hzは希望の周波数として、いずれ認知されるようになるでしょう。特別な周波数をわかる人だけにお届けいたしたい、これが最初の機会となります。

(このブログで語ったことは、一般で認知されているものと違い、科学的な根拠はありません。あくまで私個人の考えです。この内容を元に、どうか皆さまも個々でお考えくだされば幸いです)
チューナー類は科学的、医学的には根拠がないものです。効果、効用も認められたものではありませんので、ご検討の際は個々の判断でお願いします。


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432Hz純正律オルガニート 20穴&33穴 ふたつの調べ

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432Hzの音楽を聞くと、45曲目から体が暖かくなり、段々と眠くなってきます。

深い癒しが本来の音楽にはあったのです。なぜ、この周波数が許されなかったのか、、、人々が幸福で満たされたら困る人がいたからでしょう。

不安本位制、不幸本位制、不健康本位制で動かされている私たち。
これをやさしさ本位制、楽しさ本位制、健康本位制に変えていかなければいけません。

それには、音楽の基音を432Hzに変更することが必要です。

まずはお聞きください。432Hz基音の、本当の音楽を。
 



公式SHOPにて432Hzオルガニート本日発売。(他に444Hzも)
マドモアゼル・愛 公式SHOP

 

無料美容セミナー&古巣でのオルゴールの夕べ

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どちらのイベントも私の主催ではありませんが、今月に予定していますので、どうぞいらしてください。

はじめは719日の木曜日の夜7時から9時まで、新宿にあるアイカフェ(私とは関係ありません)で行う、無料の美容セミナーです。ただし、場所代は参加者負担となり、一人2000円徴収とのことです。

それ以外は、カフェですので、各自の御茶代などは個人でのお支払いとなります。その他は完全無料ですので、ご安心ください。ただし無料とは言え、内容は確実です。美容関係の方は目からうろこの情報満載なので楽しみにしてください。若返り方法も伝授します。

内容 美容に特化したチューナー使用方法及び、フリーエネルギーを活用した超本格美容のセミナーで、私が一人で行います。内容は圧倒的に魅力的です。主催は長谷川育子様です。

本当は登録ホームがあるのですが、何度やっても私のブログでは反映できないため、直接の御案内となってしまいました。

人数確認が必要ですので、お手数ですが、参加ご希望の方は、SHOPマドモアゼル・愛03-6432-1461 までご連絡ください。火曜から土曜の午後1時から6時の間にご連絡いただけるとありがたいです。よろしくおねがいいたします。

無料美容セミナーは719日夜7時から9時です。
会場:アイカフェ 東京都新宿区四谷坂町12-12 2F
https://www.facebook.com/suiso.i.cafe/ 電話 03-6457-8679



もう一つのご案内は、私を育ててくれた出版社でもある説話社で、月刊マイバースデイでお世話になった会社が主催される、マドモアゼル・愛432Hz純正律オルゴールの夕べ。

日時は728日土曜日の夜7時から9時まで。オルゴールの実際はもちろんですが、音の不思議、音の力に触れ、音に思いを乗せて遠隔で影響を与える実験も行います。
遠くにいる愛する人に思いを届ける、、まだ見ぬ配偶者に思いを届ける、、、、そんな馬鹿な、、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、無の力を知っているのと知らないのとでは、人生そのものが違ってきます。内容の濃い、オルゴールの夕べになると思います。世界で一つしかない432Hz純正律オルガニートの製作者の原田氏も招いて、お話しを伺うコーナーも。

こちらは、説話社様、「知恵の木」でご用意いただいた貼り付けがうまく行きましたので、下記へ直接お申込みください。真夏の晩、早稲田でお会いしましょう。詳細とお申込みは下記へ

マドモアゼル・愛オルゴールの夕べ

MIチューナー フェザータッチトーンご使用方法(室田式)と圧の原理

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 チューナーの原理を簡単に言いますと、チューナーの出す音自体には力はありません。音や光を含む、一切の物には何の力もないのです。では意味がないのか、、、というとそうではなく、作用としての意味があります。

 

音を出すという作用は人間が起こすことですが、音がこの世に出現したら、宇宙()はそれを元に戻そうとし出します。これが反作用です。そして、この反作用の力が本当のエネルギーなのです。

 

音には力はなくても、音を戻そう、、消そうとする反作用が本当の力なのです。これがエネルギーです。反作用によらなければ、私たちはエネルギーを一切得ることはできません。

 

しかし今の時代は、物に、作用に力があると思っていますので、本当の発見や発明に至ることができず、ある物をただ奪い合うあさましい姿に陥りやすくなるのは、歴史が示す通りです。

 

今の科学は反作用が本当の力であるとの地点に立っていませんので、この考えは非科学的なものとされてしまうのですが、間違っているのは、今の科学の方です。有限しか認めないことで、地球を悲しみの星にしておくことができるわけで、支配しやすいからでしょう。

 

無にしか力の根源がないとわかれば、奪い合う必要もありませんし、エネルギーも無尽蔵となり、人々は勝手に、ひとりづつ独立して生きていける道が始まってしまいます。そうなると、人間の無念から来るマイナスのエネルギーを奪うことができなくなるためです。

 

私たちの今の時代は、悲しいことですが、人を苦しめ、悲しませ、つらくさせることで成り立っています。口先では美辞麗句をどの支配者も言いますが、本当は幸福になっては困るのです。病気の不安、お金の不安、将来の不安、そうした不安を起こすことで、今の経済も世の仕組みも成り立っています。

 

しかし、それは間違っていますので、大本の考え、大本の価値の逆転がどうしても必要になります。有には力などなく、本当は無にしか力がなかった、、、人間は死んで終わるのではなく、無限の世界からどちらかと言えば死の世界に生まれてくるということ、、、死は終わりではなく、本当の世界に戻るということ、、、すなわち、すべてが逆の構造だったとしたら、私たちの世界の間違いも、やり方の間違いも、考え方も価値観の間違いも逆転することになります。

こう言うと、物理的な世界とは別のあくまで形而上の話しと思われるでしょうが、物理も科学も哲学も心理学もなく、一切に通じる原理があるということなのです。それは物理的真実でもあり、意識的な世界の真実とも一致します。

 

便宜によって真理が変わることがないルールがあるということです。

 

反作用が本当の力であることがわかれば、生き方もやり方も当然違ってきます。マッサージ一つにしても、強いマッサージより、微弱なゼロに近い圧の方が大きな反作用がもたらされます。

 

作用反作用の原理で言うと、100gの圧がかかれば、反作用も100gです。その意味では新たな力は生じません。しかしそこが物理の限界なのです。

 

実際には100gの圧による反作用より、1グラムの圧による反作用の方が大きな現象を産みます。その方がマッサージ効果は断然大きくなります。1グラムの圧には、物理的な作用としては1グラムの反作用ですが、1グラムの作用を認知する体には、意識圧が伴うのです。

 

意識をそこに向ける際は、物理圧は少ない方が有利なのです。そして意識の圧にかなう圧はありませんので、数億トンの反作用は物理的には数億トンとおおきなように見えて、実は、意識圧によって、山をも動かせることができるはずなのです。

 

はず、、というのは私にはできないのでそう言っているわけですが、それはできなくても、数グラムの圧により、体のその部位を意識できたら、もうそれだけで、その部位にはエネルギーが注がれているのです。それは、数グラムの圧がもたらした反作用の結果ではなく、意識圧がもたらした結果として得られるエネルギーなのです。

 

行きたくないという学校に無理やり行かせるには、数十キロの圧をかければ子供は引きづられます。しかし、それでは地獄の様相を作ることになるでしょう。

 

意識圧がその子にかかり、行こうかな、、、子の意識が反作用としてもどれば、子供の40キロの体を動かすことは簡単にできます。やる気を起こさせる教育の重要性はそこにあるのでしょうね。勉強に限らず、仕事も家事もすべて同じです。

 

物理圧のみが圧であるとの考えは、このように非常に野蛮なのです。

 

前置きが長くなりました。先日、九州に住むバイオリニストのMさんから、MIチューナーを服の上からなぞるだけですごいエネルギーが得られる、、、との情報を得ました。実際に試したところ、それはすごいものでしたので、皆さまにMIチューナーの新しいご使用方法として、紹介させていただく次第です。これは本当にすごいです。

 

二週間も続ければ、全身のエネルギー状態が変わりますので、かなり元気になると思います。医学的ではないし、科学的な話しでもないので、あくまで私やMさんの勝手な考えと思ってくださってかまいませんが、できたら実際に試されてみてください。私やMさんは、それで反作用のエネルギーが充満することを知っているだけの話しです。科学的な話しであると説得しようなどとも思っていませんので、やってみようと思われたら、ぜひお願いします。

 

お持ちのMIチューナーをどうかご活用ください。

 

やり方は下記の動画をご覧ください。

原理を解説します。微細な圧によるチューナーの作用で、より大きな反作用をもたらします。とくに服や麻の布の上から行いますと、服や布と肌との間にシールド空間ができます。シールドができれば、そこはエネルギー空間として作用しますので、エネルギーの場が安定します。シールドというのは、箱の中に物をいれておけば、傷まないのと同じ原理です。箱の中の圧と外界の圧の差がありますので、箱内の圧が通常は高くなります。そのため、箱の中にはエネルギーがもたらされるから、箱の中のものは、きれいな状態でいることができるのです。圧の高い方にエネルギーは流れるので、箱の圧が高い分、箱内にはエネルギーが注がれ、箱に入れておいたものは長持ちするわけです。(あくまでフリーエネルギーの考えです。現代科学の考えでは、風雪にあわないから、、などもっと違った言い方になるでしょうが、私はそれは真実ではないと思っています)

 

では、どうぞ九州のバイオリニストMさんが発見した新しいMIチューナーの画期的な使用法をご覧ください。どのMIチューナーでもできます。

 




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玉手箱の中と外

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 箱の中に入れてある物と外に出したままの物では、その劣化の度合がかなり違います。箱の中にしまっておいた物は、入れたころとほぼ同じ状態を長い間維持しますが、外に出しておいた物は、時の流れの中で、劣化していきます。

 

そのため、物を大事にとっておくには、箱の中に物をしまうことで、劣化を防ぐわけです。

 

ではなぜ、外に置いたものに比べ、箱の中の物は劣化しにくいのでしょう。おそらく温暖差や風化、湿気による劣化を防げるというのが、その理由になるでしょう。しかしそうではないのです。(と私は思っているという意味です)

 

物の劣化は物からエネルギーが出ていってしまい、物の崩壊化が進むからです。エネルギーが満ちていれば物は劣化しません。物に永久にエネルギーが注がれる状況をつくれれば、物はほぼ永遠に劣化しないはずです。

 

エネルギーには法則があります。圧が高い方にエネルギーは集まるのです。具体的な例を出しましょう。

 

海の水をバケツの中に入れて釣った魚をバケツで泳がせておきます。最初の数十分程度は比較的元気でいますが、数時間も立つと段々と元気を失い、翌日には大体の魚は死んでしまいます。

 

これは、魚が弱ったというより、バケツの海水のエネルギーが無くなったからです。海は大気よりも圧が高いので、基本的に大気のエネルギーは海にいきわたります。バケツで取った海水も最初は海の高い圧で稼いだエネルギー状態でいますが、バケツの体積程度の海水ではすぐに大気の圧に負けていきます。

 

エネルギーは圧の高い方に流れますので。バケツの海水はあっという間にそのエネルギーを大気に奪われ、海水はエネルギー不足に陥り、バケツの中の魚は苦しくなっていくわけです。

 

これは箱の中と外との間にも同様に起こる現象です。微細にですが、箱の中と外とでは、圧の高さが異なるのです。基本的に箱の中の圧の方が高くなります。圧の差は大小ではなく、圧の差があることが重要です。

圧の差があれば、そこには必ずエネルギー現象が起こります。差を埋めようとする、平にしようとする、元に戻そうとする、そうした反作用としてのエネルギーを呼び込みます。これが本当のエネルギーですので、圧の差がある場合、圧の高い方にエネルギーは訪れます。

 

箱の圧と外の圧の差がどんなに微細でも高い方にエネルギーが集まりますので、箱の中は外よりもエネルギーに満ちており、その中の物は劣化しにくくなるのです。

 

人が家に暮らすのも自然なことで、外で暮らすよりもやはり楽なはずです。それは家という箱が、外の圧よりも高くなるため、家にエネルギーが集まるから、家の中にいれば人はエネルギーを補充できるわけです。

 

体験上、また感覚上、そのことがわかっていますので、人は常に家を求め、家で暮らしてきたのでしょう。

 

この現象は普遍の現象ですので、バケツの海水で言えば、バケツにもし蓋があれば、それをきっちりとしめるだけでも、かなり海水のエネルギー劣化を防げます。

 

船なども囲いがあり、箱のようなものです。浮力の結果船は浮くとなっていますが、船がエネルギーを集めるため、海水圧に負けず、浮いていられるのかもしれません。

 

船の構造が箱に近づき、密閉度が高くなればその分沈みにくくなると思います。科学的には浮力で決まるのかもしれませんが、浮力現象をもたらす原因は圧の差にあるのです。ですので、浮力という考えから自由になり、圧差によりエネルギーを集める船をつくれば、燃料費も安くなります。

 

飯島先生がお作りになった模型飛行機は、機体にわざと色々なギャップをつくり、そこを通る音や空気が様々なギャップを生じて圧差を豊富に作る構造です。そうすれば、圧の差を埋めるために飛行機にエネギ―が集まり、プロペラ機なのにも関わらず、ほぼ垂直上昇や垂直下降ができるようになり、滑走路のいらない飛行機も作れるわけです。

 

圧の差は、音圧、温圧、風圧、水圧、色々な圧の差を利用することが可能です。そして圧差ができさえすれば、エネルギーは圧の高い方に自然に集まりますので、燃料を燃やしたり、電気を必要としたり、まして原子力を利用するまでもなく、圧差エネルギーを集めればよい、ということになります。

 

次の時代の科学では、これは当然のように主原理となるはずです。その中でもっとも簡単で原初的で普遍性があるものが、箱と外の概念でしょう。

 

すべての物は、この構造の元にエネルギーを集めて存在しています。果物も家です。中には、種があり、種も家になってエネルギーを集めています。

 

車の中にいると疲れるかもしれませんが、きっと屋根のないオープンカーで同距離を走った方がもっと疲れると思います。オープンカーの方が一見気持ちがよさそうですが、実際には箱型の通常の車の方が外界よりも圧が高い分、本当は疲れないと思います。

 

人間の体を見てみれば、すべてが家の構造と同じです。皮膚は外壁、各臓器はそれぞれの家であり、胃という家、腸という家、肝臓という家があり、体の中でもさらに圧を高めようとしています。心臓は常に動くことで、家の中で人が動いているのと同じです。空き家よりも人が住む家の方が家はもちます。心臓も中でどくどくと動くから長持ちなのでしょう。

 

さらに、小さいところに視線をやれば、すべての細胞は一つ一つが家になっていることに気が付きます。惑星も太陽も星も同じであり、銀河もひとつの大きな家です。こうして、世の中にあるすべての物は、家の構造をして圧を高め、エネルギーを集めていることがわかります。

 

山で遭難した際に、食べ物を集めようとするよりも、家を作った方が、安全な場合が多いと思います。家とは、雪洞でもよいし、洞穴でもよいし、地面を掘って上をふさいでもいいでしょう。

 

圧の高い場を作ることが、エネルギーを得るために重要なのです。

 

浦島太郎が竜宮城からもらった玉手箱は、圧が高く、エネルギーを集積する力がきっとあったのだと思います。しかし開けたとたんにエネルギーは逃げ出し、あっという間にお爺さんになってしまった浦島太郎。大変よくできたエネルギーのお話しでもあります。

 

落ち込んだ時、人はやたらにトイレに行きたくなる場合があります。トイレという狭い空間が家となりますから、エネルギー的にもオフィス内よりも圧が高い場所です。そこで体内から不要な物を輩出する際に臓器が動くという、エネルギー的に高い行動に出るわけです。トイレから出た時の方が、通常は人は元気になっているはずです。

 

箱や器、仕切られた空間、結界という概念もすべて、エネルギーから見ていくと理解が深くなります。

 

動物は自然にエネルギーワークを行っています。毛づくろい、舐める行為、ボディという箱に圧を掛けて、箱圧を高めているわけです。私たちの日常も、圧という考えを意識して生活すると、色々なことがわかってくると思います。

 

音の圧がもたらす力

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エネルギーの法則

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すべてのものはエネルギーを得て存在し、存在の継続が許されています。

エネルギーが不足すれば崩壊過程に入り、やがては形を失い無に戻っていきます。

 

これが本当の原則ですが、今の科学は形あるものについてからしかアプローチしませんので、エネルギーと言ってもまやかしのように受け取られてしまいます。とくにこの世のシステムを信奉する度合いが強い人ほど、こうした話しには嫌悪感を抱かれるかもしれません。

 

無ということがわからないためです。将棋と同じで、どの視点から物を見ているかは人によって異なるのです。日頃お金のことばかり思っている人の目に映る世界は、それに関連したものばかりですので、やがてこの世はすべてお金であるとの確信に至ってしまいます。

 

赤い物にしか関心がなく、それしか見ない人にとっては、この世は赤ばかりに映ります。他にも色があるよ、、、と言っても無理なのです。赤しか見ない人にとってはこの世は赤しかなく、体験は信念を強化していきますので、時間が立てばたつほど、経験を積めば積むほど、この世には赤しかないとの確信を強めることになります。

 

こうして、人はまるでカルマに引き寄せられるかのように、自分の人生を歩んでいきます。小学生時代、子供時代は、まだカルマと感じられるようなことはないと思いますが、段々と自我が発達し、社会に出て、それぞれの道を歩み出すと同時に、人はそれぞれのカルマに引き寄せられるかのように人生を歩んでいく姿に見えてきます。

 

しかし、将棋の上手な人が下手な人の将棋を見たら、「ああ、あんな間違いしている」とすぐにわかり、下手な人が何を考え、何を選択しようとしているかが、まるで手をとるように理解できるはずです。

 

これが逆になると違います。下手な人が将棋のうまい人のやり方、駒の動かし方を見ても、なぜそうするのかはわかりません。わかっていたら自分もそうしていますので、自分よりも将棋のうまい人の考えや行動は理解できないことになります。

 

現在の多数決という政治の方式は、多数によってすべてを決めていきますので、実は誰もがわかることしか決めれれなくなります。最低レベルの意識に沿った運営しか多数決ではできないのです。人や民衆の最低レベルの意識に沿った国家運営ですから、本当は良くなるわけにはいきません。

 

しかし、そうなると自分だけが正しいと言い出す不埒な人も続出しますので、仕方なく多数決を採用しているのだと思います。

 

なので、真実によってしか動かないものがメインになっていく時代にならない限り、私たちの時代は進展しないことになります。

 

フリーエネルギーが嘘であると語り、そう信じる自由は確かにあると思います。考えは自由です。しかし、実際にフリーエネルギーによって家庭で発電できる、、、家庭で水がつくれる、、、エネルギーが作れる、ということになった場合、閣議決定のような形で、「これは嘘なので取り締まります」では、私たち人間の進歩はなくなります。

 

最近の閣議決定などもこうした傾向があり、閣議において本来閣議で決められないことが決められていくという不思議な様相を見せてくれます。まるで天動説を閣議決定するようなもので、ガリレオはそれでも地球は動く、、、といいましたが、あり得ない閣議決定が優先されるのです。

 

これからの時代は事実の前に物事が変化し動いていくことになると思います。家で水をつくっちゃいけない、、、といくら言われても、災害が来たとき、大変な時、水がどうしても必ような時、人は当然のように水が家でできれば作り出すはずです。作物を家で作っちゃいけない、と言われても、その方が自然な状況が訪れれば、人はダメと言われてもそうするはずです。

 

不自然なダメ出しする政府や権威や組織は力をもつことなく消えていくことになります。

 

いくらインチキだと言われても、まったくかまわない、、実際に水道から来る水よりもおいしくて安全な水が作れる真実が優先されるわけで、これからの時代はこうした真実に沿った動きが始まるでしょう。

 

その場合、世の中は赤しかないと、いくら閣議決定しても、事実でないものの影響力が日増しになくなる社会となるわけです。何を考えるのも自由で何を信じるのも自由なのですが、それが真実であるかどうかが、これからは重要になっていきます。

 

その分かれ目は、目に見えない世界の認知、死の認識の相違、無から来るエネルギー、ゼロポイントや、正しい生命原理などが、個々の魂レベルでの踏み絵となるでしょう。真実に沿って生きようとする人と、かたくなに物と有限にしがみつく人とに分かれる現象がこれから起きてきます。

ただ、そこに争いの必要はなく、選択があるのみです。水道が正しいと思う人は水道から水を得ればよく、電力会社が好きな人は電柱から電力を得れば良いだけの話しです。

 

そういうものにお金を出したくない人や、何となく電柱はいやだと思う人は、自分で水や電気を家で作ればいいだけの話しであり、どちらも介入しあう必要もないのです。もちろん争う必要もありません。

 

前置きが長くなりましたが、エネルギーの法則についてです。

エネルギーは無からしか来ません。無を作る、、、すなわちゼロポイントを物を使ってその条件作りをすれば良いのです。最大の無は死後の世界と魂の世界なので、本当のフリーエネルギ-を理解しようとしたら、人間は死んだらおしまいではないとの視点に立つ以外にないのです。ただ、それももちろん人の自由です。どう考えるのも自由なのです。

 

エネルギーが不足していけば、物は崩壊しますので、エネルギーを常に補充する必要があります。それがうまく行けば不老長寿も夢ではなくなります。それに意味があるかないかは別として。無の世界、死の世界の許容は、不老長寿の魅力を少なくしますので、あまり意味はないかもしれませんが、選択として、不老長寿とあの世行きが、同等の価値になるかもしれませんね。本当に面白い時代だと思います。

 

次にエネルギーの法則ですが、圧が高い方にエネルギーは集まります。どんな場合でもそこに圧の差があれば、それを元に戻す働きである反作用が始まりますので、それがエネルギーワークになります。反作用の起こるところにはエネルギーが集まるのです。

 

具体的には、人為的に色々なギャップをつくれば、ギャップは圧の差を生じますので、そこにはフリーエネルギーが訪れ、無尽蔵のエネルギーの宝庫に触れることができます。

 

ギャップの作り方は、無の作り方と同じです。私の場合は懐中電灯と懐中電灯の光をぶつけ合って光の干渉現象を利用してエネルギーを得たり、水と水をぶつけてもいいし、色々です。

 

音は発生と同時にそれを元に戻そうとする反作用が訪れて音は段々と小さくなっていきますが、反対にエネルギーは増大しているのです。声を出すだけでも人はエネルギーを得ることができます。まして他の声や音と和すことで豊富なエネルギーを得られます。ギャップが複雑になりますので。複雑とは小さな変化を受容できるセンスが生きてくる世界です。あの世とこの世が連携していることを感じられるセンスは繊細なのです。力量の時代にはフリーエネルギーは発展しません。

 

ただ、こうしたことも今の科学ではわからないこととされていますので、あえて私の考えと言っておきます。

 

二つの動画を収録しました。ひとつは432Hzのオルガニート演奏。もう一つは、153Hzの音についてです。周波数は数の秘密と一体です。テスラはこの世の仕組みを知りたければ周波数について学びなさい、、と言いました。学ぶよりも私は体験だと思います。






 
 

 

道とエネルギー

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 人生や生き方にも出口があると思います。勝つとか負けるという出口。損得だけで終始人生を生きる人もいるでしょうし、享楽の追求で人生を生きる人もいます。その他、趣味の追求や信仰をよりどころに生きる人もいるでしょう。

 

人さまざまで、何が良いとか悪いとかは言えませんが、人の生き方をエネルギーから捉えたとき、古くから言われる「道」の存在が見えてきます。

 

エネルギーはすべてを生かす力であり、すべてを生み出す根源です。真実を追求する際、エネルギーを無視しては語れませんし、唯一の真実がエネルギーの法則です。それは物理的真実であると同時に心理的真実であり、意識であり霊界も幽界も現界も含むあらゆるものに共通します。

 

人間も霊人もお化けも神様も、すべてがエネルギーによって存在しています。

 

形や世界は異なるものの、共通の原理の前であらゆるものは存在しています。その存在のあり様には、主に二つの方向があります。ひとつは荒ぶる表現として存在するもの、、、もうひとつは発酵した無をよりどころにして存在するもの。

 

それは人間界であれ幽界であれ神霊界であれ、同じなのです。荒ぶる、むさぼるものは、どの世界の存在であれ、必ず消えていきます。荒ぶること自体に、むさぼること自体に力はなく、崩壊に進みます。

 

一方の発酵と無をよりどころにする存在は、反対物を受け入れることで無を作り、そこからエネルギーをもたらします。無からしかエネルギーは来ないためです。発酵をむねとする意識は相手が悪であろうがむさぼりであろうが、反対物や意識が存在するだけでうれしいのです。とくに著しい反対物がない場合は、無と直接かかわりあって自身の存在との一体化による発酵を目指します。これが「道」です。

 

無と関わり合うということは、発した声は消えていく、、、消していく無を意識しつつ声を出せば、それはエネルギーワークとなり、道となります。

 

柔道や剣道や合気道もおそらく相手の力と一体となって和すことで、次元を超えた境地に至ることを目的としているのだと思います。やはり道です。

 

道端のむくげは馬に喰われけり、、、という確か芭蕉の歌があります。道端の花を馬が食った、、、ただそれだけのことだと思っていましたが、無意識の中ではずっと気になっていました。

 

そしてある時、突然、馬に喰われたむくげの花が、そこに今はない道端の空間に見えた芭蕉。の思いが伝わってきました。ここにも道があると思います。

 

トンチのようになってしまいましたが、では道とは何かです。無の世界との連携プレイが道なのです。

 

出したものの、存在しているもの、発生したもの、あらゆるものすべては消えていきます。また、消えていく無の世界から訪れるエネルギーによる間は存在し続けていきます。

 

私たちの人生も無からエネルギーを受けている間は生きられます。無のエネルギーによって生かされている私たち。

 

あらゆる存在、存在足らしめている力、そのすべてがエネルギーです。私たちのあらゆる行為にも大元で関わるのは、このエネルギー以外にはありません。

 

有限に頼み、有限のみを見、有限のみしかないと思っている人は、道を作れません。道を歩むこともできません。

 

有限に作用する際に、常に無を意識することができれば、道としての人生がスタートできます。

 

昔の日本人は大変体が丈夫だったといいます。現代人の想像をはるかに超えるレベルでのそれは丈夫さだったようです。幕末に日本に来たドイツ人は、たった一人でほとんど休まずに箱根まで楽々と行ってしまう人力車の車夫の体力に驚いたといいます。

 

太平洋戦争で敗戦した日本でしたが、戦勝国のアメリカは今後日本が二度と欧米に立ち向かわないようにと、色々研究したといいます。その中でも、驚異に感じていたのが、日本人の体力と飛びぬけた丈夫さだったといいます。

 

今の私たちは残念ながら、世界の人の脅威になるほどの体力などありませんし、わずかに優れているのは、他の国の人達よりも多少長生きする程度のことぐらいです。と言っても、欧米に比べて寝た切り老人の数は比較にならないほど多い日本の現状。

 

それに比べて、幕末、明治、昭和の敗戦までの日本人の体力とその丈夫さは、異様なレベルにあったことは間違いなかったのです。欧米の食生活が日本人には無理があったと言われますが、原因はそれだけではありません。

 

道が無くなりつつあるためです。道は無と共に歩む姿勢ですので、エネルギーの宝庫となる生き方なのです。道を追求すればいやでも丈夫で長生きするケースが多くなるのが自然です。無からしかエネルギーは来ませんので、道の追求=健康で丈夫で長生きとなるわけです。

 

寿命は戦後の方が飛躍的に伸びているので何とも言えませんが、赤ちゃんの死亡率や衛生問題などを考えたら、戦前と戦後の日本人の寿命の変化も喜んでばかりもいられないと思います。まして健康で丈夫、、となれば、これはあきらかに戦前に軍配が上がります。

 

昔の日本にはかろうじて道が残されていました。日頃の立ち振る舞いにおいて、静けさ、こじんまりした境界感、四季を愛でる態度と習慣、不要に声を出さない、食べ方の繊細さ、けじめ、執着しない態度、、、、まだまだ色々あると思います。

 

日々の生活の仕方にうるさい、とも言えますが、無と一体となった姿勢を生活の態度の中に求めたことが、日本人の長い歴史の中にあります。無駄のない美しい立ち振る舞いで、日々を暮らすことができれば、そこには、無数のエネルギーワークが存在します。

 

お茶を入れる、出す、そのしぐさの一つ一つが無と一体となるセンスは、エネルギーワークなのです。何も茶道のことを言っているのではなく、日々の家庭でのお茶入れの際、思いを入れてお茶を入れる、、、心を込めてお茶を出す、静かに茶碗を置く、、、それだけで、お茶を受けた人もいれた人も満たされるのです。

 

無と一体となったもてなしだからであり、お茶を何グラム入れるとおいしいか、、、お湯の熱さは何度か、、、という現実的でケミカルな世界とは異なる幸福があるのです。

 

黒板に先生がチョークで昔は書きましたが、先生が一心に無心で黒板に書くチョークの音は、教室に響き、幸福感やエネルギーを子供たちに与えたのです。先生のご機嫌が悪く、無と一体となれない日の先生のチョークの音は、子供の心に痛い感じで突き刺さったはずです。私たちは、常に、本当はそうしたエネルギーによって生かされもし、元気を奪われもしていたのです。

 

日本人の脳の構造は左脳で母音を聞き取りますので、虫の音や風の音、自然界の音を声のメッセージとして聞くようになります。その結果、繊細で自然に沿ったきめ細かな文化が生まれたのですが、それは同時に無に通じる高度なエネルギーワークとしての道を生んだと言えるでしょう。

 

ならば私たちの生きる意味も、日々の立ち振る舞いや存在のありように、無と一体となったものがあるかどうか、、、「道」の存在は省いてはおけないものになると思います。

 

人にはそれぞれの道があると思うのです。エネルギーがすべてなら、エネルギーとの関わりを解く道の存在なくして、私たちの人生は考えることはできません。

 

あなたが出した声はそれを止めようとする無と一体化する道があります。

あなたが食べる食事には、その食べ方において無と一体化する道があります。

 

あなたがご主人に出すお茶のいっぱいには、ご主人を不快にも幸福にもさせる力があります。あなたが子どもに声をかけるその声は、自我なのか、無と一体となる響きなのか、、、それを子供のセンサーは見抜きます。

 

いま、日本人が成さねばならないものに、道の復活があるように思うのです。それは私たち日本人以外ではできにくいものであり、その責任が日本人にはあると思います。人種問題で捉えないでください。特殊性とその責任の観点から言っているのです。欧米は産業革命で世界の役にたってくれたので、これだけの科学的発展を世界は得ることができました。

 

それは本当に素晴らしいことです。そして、今はそれだけではもう世界は幸福になれないことがわかってきました。次は道を知る人の存在、その働きがやがて必要になってくることは確かだと思うのです。優劣の問題ではないのです。役割の問題として、欧米には欧米の、アジアにはアジアの、日本には日本の、役割があると思うのです。共通するものについては、すでにほぼ共通項は満たされていますので、あとはそれぞれの特殊性をもって、世界に貢献しなければならない地点に来ていると思います。

 

日本には、無のエネルギーである「道」の存在が昔からあり、フリーエネルギー時代が到来したなら、「道」が復活することは間違いありません。「道」こそがフリーエネルギーそのものだからです。

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ふたつの音楽

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ふたつの音楽

 

先日、尾山台のSHOPのちょうど前で、近くの中学生のブラスバンドの演奏デモンストレーションがありました。

 

中学生なので演奏は未熟でしたが、純粋な音に不思議な感動がありました。店長などは泣きながら聞いていました。

 

音楽にははっきりした二つのありようがあります。一つは生演奏です。そしてもう一つは、電子信号に変えた形で音を再生する演奏です。

 

生演奏はわかりやすいと思いますが、CDや音楽コンテンツのほとんどは電子信号が音に切り替わった形です。

 

生演奏でもマイクやアンプ、拡声器を通せばそれは純粋な生演奏とは違ってきます。どちらが良いというのは野暮な話しで意味はありませんが、あえて誤解を覚悟でいうなら、私は生演奏と何等かの電子信号が付帯してくる音楽では、厳密な違いがあると思っています。

 

しかし、この区分けはほとんど最近ではなくなり、生演奏でもマイクを通しますし、生演奏でも結果的にはCD音楽との区別がほとんどなくなるケースが多いと思います。スタジオでは生演奏とはいうものの口パクでも通用するケースが多いと思います。

 

となると、二つの音楽とは、完全な生演奏とそうでない、何等かの電気信号化した音楽の二つになります。

 

この違いは私にとってはとんでもなく大きな隔たりです。しかし、通常ではあまり問題にされません。大きな会場でたくさんの人数に音楽を聞かせるケースが多いのですから、それは当然ではあります。

 

しかし、この二つの音楽の違いは、実は皆が思っている以上に決定的に重要なことではないでしょうか。私はまったく音楽が異なったものになると思うのです。

 

アンプ操作でマイクで音量を増した音は、作られた音であり、本来の音と違ったものなのです。あくまで私の勝手な思いですので、それが正しいなどとは言いませんが、私自身はかたくなにそう思っている、、、その視点から話しをしているわけで、正しいと言っているわけではありません。あくまで私個人の考えと思いを語らせていただきますので、かなり勝手なことを言うことをお許しください。

 

必ず、ご不快に思われる方が多い話しとなりますので、あらかじめお許しを得てからすすめたいと思います。いやな方はぜひ今の時点で、お聞きにならないでください。きっと不快になると思いますので。

 

私は音楽は生演奏しかないと思っています。他の音楽は音楽でないと思っています。これは考えというのではなく、アンプやマイクを通して出た音、また、CDや映像から出た音と、本当の音には、明らかな違いがあると思います。

 

ただ、電子音は非常に便利ですし、便宜上、もちろん必要なものです。なので、社会にはこれは絶対に必要不可欠であり、それを非難する気など毛頭ありません。ただ、それでは魂にはいる音楽にはならないと思っているのです。

 

それはエネルギーを人に与える音ではなく、エネルギーを奪う音だと確信しているからです。ただし、あえて好きな曲を聞く、、、という前向きな思いで電子音を聞いたなら問題はありませんし、そこに自主性があれば問題にはなりません。

 

逆にボーっと電子音を聞いていると、それがテレビでもラジオでもそこに聞く、見るという自主性がないと、本当は極めて危険です。エネルギーを奪われる形になるためです。それについてはまたの機会に話すとして、今回は音楽とは何か、、、の観点から、あくまで私個人の勝手な考えと思いを語っております。

 

実は私に限らず、誰でも本当は生の音と電子音が異なることくらい、実は感じていると思います。しかし、誰もそれを言わないし、マイクなどは便利なので、知らぬ間に受け入れているのでしょう。ふたつの音の違いなどほとんどの人があまり気にしてないように見えます。しかしそう思わされているだけなのです。

 

生の音も電子音も大差ないという、おそらくたくらみが世界的にあったのだと思います。生と電子音の違いは、即興と目的化した音の違いでもあります。

 

現在のアーティストはすべて電子音の世界で作曲し歌い、表現していますので、その方向は即興ではなく、完成形を目指す音楽になりがちです。アルバムづくり、、、デモ映像づくり、、、すべて基本にあるのは目的化したイメージづくりです。要するに宣伝です。電子音の音楽会でも即興はありますが、すでに何度も実験した音効果を使う即興となりがちです。

 

これに対して、比較的狭い空間で生演奏されるジャズでは、即興が命です。その即興はあえて練習して来た内容を披露するのではなく、「お前、そう弾くか、、、じゃ俺はこうだ、、、」とベースとピアノは張り合う、、、まさに即興の世界です。

 

アンプを通した生演奏も生演奏に違いはありませんが、表現をミスったら音量でごまかすなど、人為的な面がどうしても強くなるため、目的は聞く人がどうなるかという効果を狙う形になってしまう音楽なのです。

 

通常の音楽業界の人達は基本は純粋な人が多いとは思いますが、なぜか私は吸血鬼的なにおいを感じます。魅力的な作曲ができるアーティストを取り巻き、アーティストの曲に厚みを作り、演奏効果を加味してアーティストから結果的に音楽を奪っていく吸血鬼的存在。

 

音で、音楽で人の心を動かし、魂を取り込むことも可能ですので、この音楽という業界はもっとも時代性の方向を作れる最先端に位置し、世界をどう動かすかの本当のトップが君臨するエリアとも言えるでしょう。

 

この世が悪魔の時代であるなら、そこには最高の悪魔がいる可能性すらあるわけです。アーティストがアルバムづくりをするのは、最高の効果を考え、最高のイメージ、売れるイメージ、時代をリードするイメージに貢献するものとなります。天才的なアーティスは曲の主題とイメージの原型を提供し、それをスタッフが目的化していきます。

 

生演奏の即興には、こうした方向付けは無縁で、アーティスト、プレイヤーたちの個性と人間性と状態のぶつかり合うその場だけのたまものという本当の音楽になります。

 

これに対して、アルバムづくりという影響を目的化した音楽は、電子音というまやかしでしかでき得ないものなのです。

 

ハッと目が覚めるのは、生演奏以外にありません。アンプ、マイク、電子音により、私たちは仮想現実をあたかも現実のように思わせられていくのです。これがもっとも重要な時代原理の大元にあるはずですので、この世の支配者の直系の力が音楽業界にあることは確かでしょう。

アンプ、マイク、電子音こそ、うお座時代の集大成の姿です。嘘を信じ込ませ、幻想を現実と思わせる力でこの世は運営されています。

 

私たちが自身の声、生の音、生の音の繋がりとしての音楽と、通常私たちが聞いている音楽との違いをもっと意識できたとき、私たちは自身の出す生の声や音にある命を実感します。

 

母音トーニングを重視するのは、そのためなのですが、人口音の嘘を見抜くことでしか次の時代は訪れないかもしれません。そこが要なのです。

 

私たちがやられてしまったのは、人工音も電子音を含まない生演奏も、大差ないと思わせられていること。さらに人工音を自由に作るアーティストがもっとももてはやされる仕組みなど、真実から魂から遠ざけるためには、この分野がもっとも重要な働きをしていることに気づくことで、本当の音楽を取り戻すことが大切だと思っています。

 

実際に、謙虚に本気で、生の音と、人口音を比べてみてください。違いは決定的です。なのにそのことを誰も言わない、、、誰もそうだと思おうとしない、、、このマインドコントロールこそが最大のものであり、今の世界を維持する要になっているように思えます。

 

以上ですが、あくまで私個人の勝手な言い分であることを、改ためてお断りしておきます。もちろん、私自身はそうだと確信していますが、人様にそうだ、、、とは強弁したくはなく、あくまで私の言い分として書きました。


菌婚式と幼菌園  好菌生活と未来世界

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 子供時代に友達の家に遊びに行く、、、玄関を開けて友達の家に入る、、、真っ先に気づくのは、その家の匂いでした。

 

家によって全部違う匂い。同じ家はいつ行っても同じ匂いなので、いつしか、どの家の匂いがどうか覚えてしまったものです。不思議なのは、最初は気になった匂いも、20分もたつと分からなくなっていきます。

 

慣れたからわかなくなるのか、自分の体や服にも、その匂いがついたからなのかもしれません。

 

現代の若い女性は大変清潔好きです。清潔さは常に魅力の第一歩ですが、度が越えた清潔好きは、何か気になります。そこには、ケミカル主体の生活を目指す人特有の共通の雰囲気が出ています。

 

ドラッグストアと女性の生活は切っても切れないものがあると思いますが、ことさらドラッグストアが好きな人は、度が越えた清潔好きなのでしょう。しかし不思議なもので、そうなるとあまり清潔に見えなくなる。本当の清潔さには、ケミカルとは別の健康美があってのことなのかもしれません。

 

夏にマスクしている女性がいくら清潔好きだと言っても、逆に清潔に見えない。夏にマスクしている人とは一緒に食事をしたくないと感じてしまう。もちろん、風邪をひいているとか、病気があるという理由がある場合は別ですが。

 

現代の無菌をすすめる風潮には、その土台に不自然さがあるように思えてなりません。

 

ひるがえって子供時代の話しに戻りますが、それぞれの家の匂いは、その家に住む菌と関係していた気がします。その家特有の菌が発酵し、その家特有の匂いを発している。

 

人間はお母さんのおなかの中にいるときには、無菌です。生まれてくる際の産道で、生まれた後は空気や抱っこされることで、すぐに様々な菌類の洗礼を受けることになります。以降、時間をかけて、様々な菌類を赤ちゃんや子供は身に受けていくわけで、成長とは、数多くの菌類を体に入れること、、、と言っても良い一面が出てくるわけです。

 

無菌がベストのような社会の風潮は、人間を発酵から遠ざけるためのケミカル信仰を助長するような異様さがあります。無菌状態で人間を育てるのと、有菌生活での成長と、どちらが健康に良いか、、、という調査もあるようです。結果は無菌の方が良いというのです。ただし、一定の条件の元でのもので、実際に無菌環境で生きる人間が幸福であるかどうかは別の話しになると思います。

 

現実の世界には様々な菌類があり、それによってあらゆる生命は成長し、変化し、適応してきていますので、無菌生活は絵空事の実験室での話しにすぎないと思うのです。

 

実際に無菌で生きられないのなら、菌とどのようにして付き合っていくのがいいか、、、と考える方が、無菌を目指すよりも自然です。

 

幼稚園に入園する目的も、社会生活に慣れるためというより、色々な菌類をもらったりあげたりするため、とも言えると思います。

それぞれの家にしかない菌が幼稚園で交わるのです。菌同士のふれあい、、、それが幼稚園、、、すなわち幼菌園です。

 

人は大人になると愛する異性に出会い、結婚する人も多くなります。そして菌から結婚を捉えることも可能です。その場合は、結婚式は菌婚式になるわけです。

 

二人の菌が密に出会う生活。まさに菌婚生活です。多少Hな話しになることをお許しください。好きな異性の体のどこに目指す菌が生息しているのか、、、の観点からセックスを捉えることもできると思います。説明は省きますので、取り急ぎ想像してみてください。

 

触る、、舐める、、体を密着させる、、の意味もなるほど、、、と思わざるを得ません。小説「雪国」には女性の足の指をなめる中年男性が主人公になっています。足の指に生息する特殊な菌がきっといてのことなんだと思います。

 

さらに菌の特殊性を考えると、インフルエンザの菌は宇宙からやってくるという説があり、私は有効な考え方だと思っています。地球の自転速度に比例してインフルエンザが発症していくケースが多いのです。宇宙から来た菌ならば、納得です。

さらに、隕石の中に潜んでいた菌類が地球衝突の際に飛び散り、一定の条件を得て活動し出す、、、胞子状の菌が宇宙から隕石に乗ってやってくるケースもあると思います。

 

こうなると、地球や生物の発展進化に宇宙の菌類が関係している可能性も出てきます。

 

また、地球の様々な奥地にしか生息していない菌があるはずですし、海底深くにしか住まない菌もいるようです。海底火山の噴火口の熱い水温にしかいない菌もあるとか。そんな菌なら隕石に乗っかって、加熱されてもビクともしないで地球にまで到達できたはず。そして今は噴火口の灼熱の環境に身を隠しているのかもしれません。

 

こうした菌類が私たちの生命と関係しないはずがありません。

 

昔の住居は何百年もの間、何世代もの人が暮らしていました。その軒や柱や天井には、その家にしかすまない菌がいたはず。何百年も進化しながら家に住み着く菌。新たな嫁が入ることで、さらに発酵し、独特の家の菌に育っていく。

 

そうした何百年もかけて育った家の菌も、都市化の嵐の前で、廃村となり、廃家となり、壊され、この世から菌ごと無くなっていく。

 

本当に貴重な菌が今後どうなっていくのかと考えると、心もとないものがあります。何百年もかけて家に生息し、発酵進化した菌を無くしてしまう都市化と廃村化は、人類の可能性の大ピンチなのです。

 

もしかしたら、あの村にあった菌が、あの病気を治してくれる菌だったかもしれないし、癌を治す菌だったかもしれない。都市化、現代化というワンパターンに陥りがちな菌類の粗末化が、人類の進化の足を引っ張っていた可能性があるわけです。

 

廃屋の菌類を集める、色々な人の菌類を薬に利用する、地球各地の点在する貴重な菌類を集める、、、壮大な菌の図書館が今後必要になってくることでしょう。そこには、すべての答えがあるはずで、答えとその運用を待つ間、人類は菌類を守っていく必要があると思うのです。菌のタイムキーパーにならなくてはいけません。

 

最後に菌に関した私の見解ですが、菌は微細な存在のため、デリケートな圧によって動くと思います。意識圧と菌の活動という分野がいずれ出来てくると思います。そこまで行けば、夢のような時代が到来していることでしょう。

 

亡くなった方の遺品。そこには条件が整えば、菌類が生き生きと動きだす息吹がきっとあります。死んだ人の遺体をどんな苦労をしても私たちは探そうとします。遺体や遺品には、その方の生前の息吹が残されているからでしょう。そしてそれは単なる思いだけの問題ではなく、いつになっても、ある一定の条件が整えば、かつてのその方の菌類がうごめきだし、そこに亡くなった方本人が復活して現れるようなエネルギー現象が起こると私は思うのです。

 

愛する人が亡くなり、生前の遺品を残された、、、その人の大好きだった音楽を奏でる、、、、大好きだった食べ物を作る、、、そこに思いを寄せ、遺品に触れれば、そこに生前のその人は必ずいるのです。そうしたコミュニケーションの方法も菌に寄れば可能となります。

 

菌と私たちの付き合いは、これから始まっていくのだと思います。意識圧と菌との関係性が分かって行けば、医学も科学も生命倫理もすべてが根底から変わっていくと思います。

 

 

夏休みのお知らせ  812日から20日までお休みします

尾山台にありますSHOPマドモアゼル・愛は812日から20日まで夏休み及び研修期間となり、お休みさせていただきます。821日からは平常通りの営業となります。

 

810日と11日の晩 「無と一体となるお盆の夕べ―二夜連続」で行います。両日とも午後6時半から8時頃まで。軽食付きで2000円。10日と11日と同じ内容で考えていますので、どちらかのご参加で大丈夫です。二日続けてのご参加でもまったく構いません。どうせ同じ内容でやるつもりでも、必ず、異なってくると思いますので、二夜連続でも楽しめると思います。ご案内は明日、お申込みフォームをブログに掲載しますのでご覧ください。

 

公式SHOPは年中無休です

マドモアゼル・愛 公式SHOP

 

タガが外れ出した世界と日本

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一部の情報のようですが、中国では習近平崇拝の動きに突然ストップが出ているとか。毛沢東の時でさえ、崇拝への限界が来ると、毛沢東の奥さんを含む5人組が捕まる流れになりました。

習近平氏の力量は毛沢東と比べるとやはり弱いので、かげりが出たとしたら変化の動きは早い可能性があります。

日本でも安倍氏の一強路線に陰りが出てきています。それでもまだ45パーセントの支持率があるとのことなので、一見安泰のように見えますが、いつどうなるのかわからないのが政治の世界。

小泉親子と一体となる小沢氏の采配が動き出している気配のようにも見えます。

政変の臭いがあるのも事実でしょう。天では私が心配したやぎ座での満月とかに座での新月でしたが、確かにその中間点において自然災害が襲いました。甚大な被害が出ており、復興の目途もたたない状況とも言えます。

その対応のまずさにより、安倍政権への批判が出ていますので、もしかしたら今回の災害は自然災害というより人災としての面がクローズアップされ、政権を覆すことにもなりかねません。

黒田日銀総裁もゼロ金利の限界を言い出すあたり、みな、それぞれがそれぞれの立場から逃げ出し体制に入ったのが見て取れます。こうなると中国も日本も変化がスピードアップすることになるでしょう。

火星が大接近しているためか、世界的な酷暑です。10数年前の火星大接近の際は、ヨーロッパで異常な暑さとなりましたが今回も同様です。731日が最接近なので、その前後がどうしてもホット&ドライという火星の影響を受けることになります。


自然も人間の手によって不自然にさせられていますので、どうしても自然からのしっぺ返しがこれからも訪れます。今年はとくにそうした状況がありますので、注意は必要です。

安全な場所と暮らしを求めて、人類が大移動すると言ってもオーバーではない現象がスタートするかもしれません。

混乱の時代は、何が本当に価値あるものかを問われます。水道も電気もガスも外部からもらい受けている形ですが、こんな危険なことはありません。個々でエネルギーを生産し、消費できる体制があれば、生きていく上での不安はないのです。この観点からの生き方改革を目指す時代になっていくのではないでしょうか。

それがうまく行けば、人は何かに支配されずに済みます。支配しようとするものに力がなく、しかも不快ならば、個々で生きることを考えるしかないでしょう。そうしたムーブメントが起きてくれば、きっと楽しいと思います。

さて、728日の今度の土曜日の夜、私の432hzオルガニートの音楽会と音についての話しやエネルギーについての講演会があります。場所は早稲田駅すぐ近くの、マイバースデイという昔あった雑誌の編集をされていた説話社の施設で行います。

まだお席があるようですので、お時間がある方はぜひいらしてください。楽しい晩になると思います。参加費用は4320円です。下記フォーマットからお申込みをお願いします。


マドモアゼル・愛オルゴールの夕べ

 

 

オルゴールの夕べは台風接近のため延期となりました

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今週の土曜日夜に予定していました、432Hzオルガニートの夕べ、プラス私の色々な話しの会ですが、台風接近のために延期することになりました。予定は8月4日が濃厚ですが、また正式に決まり次第ご報告いたします。

 

御遠方よりいらっしゃってくださるかたも多かったと伺い、大変申し訳ない気持ちです。私個人は台風の中の演奏会など非常に魅力的なのですが、遠方よりいらっしゃる方などの脚の確保、安全の確保の点から延期することになったとの主催者の決定に、賛同する次第です。

 

残念ですが、どうかよろしくおねがいいたします。延期に際して、改めてご案内できると思いますので、その節はどうかよろしくお願いいたします。

 

 

311に際したローマ法王のメッセージ

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311が起きた際に世界各国の元首クラスの人から見舞いの言葉が届きました。その中で不思議で気になったのがローマ法王の言葉でした。

話しの前後は忘れましたが、次の一文ははっきり覚えています。「悲しいことですが、これで日本は貧しくなる」と。

原発事故が起きた国は三つあります。アメリカスリーマイルズ島。ソ連、チェルノブイリ。そして日本の福島です。

もっとも進んでいた先進国の三国で、原発事故が起きました。他の国でも小さな原発事故は起きていますが、大きなものは以上の三つ。それも大国ばかり。

確かにソ連はチェルノブイリで潰れ、アメリカもスリーマイルズ島の事故あたりから急に貧しくなった印象があります。そして日本ですが、あれから7年、見事に貧しい国になりました。子供の15パーセントが貧困で食べるものに苦労しているなど、あの日本が、、、と思わざるを得ません。

しかしなぜローマ法王はそのように予想できたのでしょう。原発事故の処理で莫大なお金が消えていくことがわかったのだと思います。

莫大なお金が消えることで、日本はいくら働いてもいくら稼いでもすべてが消えていく運命。そうした国の運営に切り替わったわけです。いくら金をかけても何も生まない構造。未来のない日本人。

かといって事故処理を止めるわけにもいかない、、、世界的な賠償が今後重なったら、日本はどうなってしまうのでしょう。

よくもまあ、ここまでやってくれたと思いますが、これでへこたれる日本と日本人ではありませんが、今は闇が一番深いところに来ているというだけです。

考え方さえ変えれば、、、やり方さえ変えれば、、、邪魔さえしてくれなければ、、、今の絶望も、あっという間に希望に変えることが本当はできます。どうにもならないことを、どうにもならないやり方でやって、未来がないと思っているだけ。

日本人の意識改革が必要になっています。ひとつひとつじっくりと意識的に対応すれば、絶望はすぐに晴れます。

除染はどうすれば本当は効果的か。お金がなくてもできるやり方は何か。医学は本当に人を幸福にしてきたのか。水道は使い捨てしかないのか。電気は本当に電線を通して遠くから持ってくるしかないのか。病気とは何か。自然界の動物に病気が少ないのはなぜか。クーラー以外で冷を取ることはできないのか。物には本当に力があるのか。カロリーは本当にエネルギーなのか。130は高血圧か。長生きできる家はあるのか。(早死にする家ならありそう)教育は人を利口にしてきたのか。本当はバカにしてきたのではないのか。マスコミは本当のことを言っているのか。全部嘘じゃないのか。本当のことを言う人を、おかしな人だと思わせているのは誰か。

まあ、色々な視点から、一つ一つの疑問をじっくり意識的に解いていけば、この世の薄暗いカーテンを取り払うことができると思います。

有史以来、人間は生きてきました。生きることが難しいわけがありません。発達した科学も医学も教育もあるのに、生きることはだんだんと難しくなってきています。嘘を突かれているからです。有史以来、もっとも生きることが難しくなりつつある矛盾。そろそろ、嘘にも力がなくなるころです。

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台風のため8月4日に延期された432Hzオルガニートの夕べですが、追加で参加募集をしています。4日の夕べ、早稲田です。会費は4320円。世界でひとつの432Hzオルゴールの演奏、また、音からエネルギーを得たり、思いを遠くの人に飛ばす実験も行います。詳細と参加ご希望の方は下記まで。

マドモアゼル・愛オルゴールの夕べ

 

 

エネルギー開眼ライフ

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人間は齢をとることは確かですが、動物は人間ほど年齢がわかりません。人間も年齢でくくるより、エネルギー状態で今の状態を捉えた方が合理的かもしれません。

歳とったな、、、と思っても、エネルギーが満たされていけば、あっという間に人は若返るはずです。加齢をそんなに恐れなくてもよくなるのです。

年齢や加齢でどうこうあがくのではなく、人間も動物と同じように常にエネルギーケアを行う方がベターです。

動物は何もしないでいる時は、毛づくろいなど、自身のケアに時間をさきます。人は髪をなでるだけで、動物は毛皮をなでるだけで、エネルギーを得られます。

エネルギーを得る方法が、食事や運動だと思っているから、私たちは加齢に立ち向かうすべを失ってしまうのです。


エネルギーを得る方法は、ゼロポイントを作ることであり、意識圧からとらえた方がベターです。

下記の動画では、肌のくすみやしみを取る方法を紹介していますが、それは最終的に、無がエネルギーを運ぶ方法の伝授でもあります。動物の毛ずくろいそのものに、無数のゼロポイントが発生しています。

とくにチューナーを使った場合は音が加わりますので、音が消えていく際のゼロポイントが加味され、影響が大きくなるわけです。

しかし、原理は何もチューナーにあるのではなく、なでるという物理的アクセスを元の状態に戻そうとする反作用の力以外にありません。

髪をなでる、体をなでる、、たったそれだけのことで、豊富なエネルギーを得られるのです。ゼロポイントの連続発生がなでることで起こるからです。

こうしたケアを二週間も続ければ、きっと驚くことにあなたは気づくと思います。たった一回のケアでもいいので、その前後を鏡で確認してみてください。髪の艶はどうでしょうか。髪の手触りはどうでしょうか。

私たちは常に何等かの方法でゼロポイントをつくり、他の動物たちと同じように自身のケアを、体にも心にも行うことが大切なのです。

最初の動画は、髪とお顔周辺に無数のゼロポイントをつくり、エネルギーを集める方法です。二つ目の動画では、お口の中にゼロポイントをつくることで、顎のラインをきれいにすっきりしようとしています。

お盆のお休み中、どうぞごゆっくりご覧いただき、ぜひ実際にケアしてみてください。

SHOPマドモアゼル・愛のお盆休みのお知らせ

8月12日から8月20日まで、お盆休み及びセミナーのため、お休みさせていただきます。8月21日の火曜日から通常に戻ります。よろしくお願いいたします。カートは年中無休です。(お休み中にご購入いただいた商品の発送は8月21日からとなります)

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