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Channel: マドモアゼル・愛 オフィシャルブログ「水瓶座時代」Powered by Ameba
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食物以外からエネルギーを得る方法

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北挑戦からのミサイル攻撃があったら地下に逃げろ、、などと政府は発表しましたが、本当にお騒がせ政権です。

民衆を怖がらせておかなければ、政権が維持できない情けない情況が見えてきます。

ご自身は北のミサイルの危機を語る一方で、芸能人に取り囲まれて花見で浮かれる、、、整合性もない感じですね。

安心な絵を見せたり怖がらせたり、、、政府は何も考えていないと思えば、なるほどと理解できることばかりです。

トランプ氏がこれまで語ってきたことと、シリア攻撃とは、相いれないため、もしやトランプ氏はネオコンに負けたのではないか、、、の憶測が優勢ですが、そうではないと思います。

戦争屋のやり方はもうどこでもわかってしまっていますので、イザという事態をつくられても、現場は動かず、むしろ戦争屋の思惑を浮かび上がらせることになるでしょう。

まだまだトランプ氏の戦いは続くでしょうが、中国、ロシアとトランプ氏が組んで一定の方向性が出てきている印象があります。

世界はやはり危険ではあるものの、その先の平和を見越して動いていると思います。

日本の現政権はそれとはやはり多少違い、、北の危険がむしろ政権を支えているという構図ですから、現政権は実際の危機は困るものの、ある程度は北に脅してもらい、日本人がアジアの危機を感じてもらった方が安定する政権なのです。

それがこれまではうまく行ったのかもしれませんが、いずれ近いうちに北の脅威は違ったものになると感じます。

北は文化立国で、韓国は経済立国で、私が20年以上前に韓国の大学教授に語ったことがある絵で本当に収まる可能性を感じています。

北は映画や踊り、文化芸術を愛している一面がありますので、北の代表者は独裁から文化芸術の父となり、経済の韓国と融和するとうまくいくのではないでしょうか。

北には資源がたくさんありますから、韓国の経済と組めば両者にとって非常に有効です。日本にとってもそれは良いことなのです。

まだどういう方向に行くかはわかりませんが、今年は大きなエポックになるはずです。

詳しくは月末にお届けするマドモアゼル・愛が2017年を占う、春分レポートをお待ちください。本当に遅れて申し訳ありませんでした。

さて、本日は夏の美脚づくりのために「おしゃれゲートル」のご紹介をさせていただきます。

一日2時間ほどゲートルを巻いて一週間ほどたった、脚の変化を実感してください。夏に向けての美脚づくり、、、楽しい夏になるでしょう。


美脚用おしゃれゲートルのお求めは
マドモアゼル・愛 公式SHOP


連休のお知らせ
尾山台のSHOPマドモアゼル・愛は、連休は通常営業をしています。狭いお店の中は、まるでリーフレタスの畑みたいになってます。アガリスクよりも何十倍も癌予防に良いといわれるブロッコリースプラウトも食べごろになっていますので、ぜひお立ち寄りください。
日月以外は通常通りのオープンです。

連休特別セミナー開催
連休まっさかりの5月3,4,5日の三日間、午後4時から特別セミナーを開催します。尾山台のSHOPで開催。

誰にでもできる長寿と真健康のセミナー「食物以外からエネルギーを得る方法」2500円

5月3日、4日、5日、毎日午後4時から6時まで。同じ内容のセミナーになります。同じことをやりますが、視点が色々ありますので、複数回のご参加も可能です。ただし、セミナー料金は一回に付きとなります。

お申込み
マドモアゼル・愛 公式SHOP




 

副作用と冥王星バイアス

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占星術では冥王星という惑星を重視します。冥王星は太陽系のもっとも遠い惑星で、天文学的には数年前に小惑星に格下げされました。

とはいえ、占星術的には今でも重要な惑星です。大変強い力を持っている星で、潜在的な影響力は最大。

この星を上手に使えれば、それこそ歴史に名を残すような人になれたりします。そこに実は問題もあるのです。

この星は、自分が特別な人間であるという無意識を強烈に刺激します。自分は何か他の人間と違うものがあり、特別な存在という思いを、実は誰にでも投げかけるのです。

ですから、多かれ少なかれ、人間には誰にも、自分の特別観がどこかしらにあるともいえるでしょう。

そして人はその特別観に従って、自身を認識し、特別な存在であり続けたいと願うようになります。

それはエリート意識を生み出し、特別な物を求めて高価なマーケットができたりもするわけです。

そんなことは自分には関係ない、、、と思われる人は多いでしょうが、自分が特別という意識は何もエリートや高価な物ばかりに出るわけではありません。

負けず嫌いという意識も、人よりも良いものを持ちたいと願う心理も、自分だけが苦しいという気持ちや思いなど。またなんで自分だけ不幸なの、という思いも、自分だけが幸福になりたいという裏表の心理であり、冥王星バイアスがもたらすものです。

さらに、この食べ物は体に良い、、、ならばたくさん、大量に食べよう、、、、この薬はよく効く、、、ならばどんなに高くても買わねば、、、この運動は体に良い、、ならばどんどんやらねば、、、

こうして一つの事柄が、あたかも自身を根本から救ってくれるかのように誤解し、ただそのことだけに集中していく姿も、実は冥王星バイアスです。

そして人は、こうして、何か凄いもの、、、凄い何かを探し、それを自分だけはたくさん享受したい、、、との思いによって動き出すことがあります。

そうした行動や行為のもとにあるのも、自分が特別という思いです。

特別な物に出会いたい、、、特別な存在でありたい、、、特別なもので満たされたい、、、特別なもので健康になりたい、、、特別なもので長生きしたい、、、、

しかし、こうした特別なものは、一時は確かに気持ちを高ぶらせ、自信を持たせ、健康にさせることがあるでしょう。

しかし、その態度を続けるうちに、人は何等かの副作用によって衰え、体や心を痛め、そして死んでいくのです。

人は副作用によって体や心を痛め、死ぬのです。

長寿の末、老衰で眠るように死んでいくことができた人は、冥王星バイアスが少なかった人でしょう。しかし今では少なくなっています。人が自然でも、社会が不自然なので、悲劇が多くなってしまうのです。

多くの人は、何等かの冥王星バイアスにかかるか、バイアスにかかった社会からの副作用によって体を壊し、死に至るわけです。

政治家や官僚で出世できれば、冥王星の力を使ったことは間違いありまんせん。しかし、政治や官僚で最後まで平穏に暮らせるかどうかは、一般人と何も違うことはないのです。

むしろ冥王星バイアスが強いため、色々な副作用にであう機会が多くなる不幸が予測されます。

昔、バブルのころ、住宅投資で失敗し、大きな借金を背負ったのは、実はエリートに多かったのです。

彼らは、特別な地位の人には、特別な融資があります、、、という銀行の触れ込みにまるで簡単に引かれ、そして莫大な借金を背負ってしまいました。

今の政権を見ていると、なぜかバブルのやり直しがしたかった政権という印象を受けますが、おそらく、バブルにはめられたくやしさが何等かのバネになっているのかもしれません。

しかしそうならば、彼らはまた再びやられます。二回目はさらに大きな損失をもたらすことになるはずです。

自分が特別、、という意識こそ、実は私たちを副作用による死に追いやるものなのです。

経済も金融も政治も、実は自分は特別、、、あなたは特別な存在、、、とのスタンスの上に展開しています。なので、今の経済も金融も政治も、潰れることになります。

平家、ナチス、わずか二十年の短い夢でした。時の権力者のほとんどは冥王星バイアスにより滅んで行ったのです。

副作用とは自然でない事柄に伴う現象を言います。不自然な現象や行動には副作用が伴うのです。

ケミカルの良い面と副作用の面は、最後は副作用が勝ちます。例外はありません。

自然にまさる意識はありませんので、不自然なものは必ず自然に負けるのです。

今の時代はケミカルのように、不自然なものに満ちています。なので、副作用に負ける死が蔓延しています。

副作用のないエネルギー供給が実はすべての鍵になります。そしてそれは決して難しいことではないのです。

5月から私はそれを体現する仕事にしていくつもりです。チューナーはもちろん続けます。なぜなら、チューナーはまさに副作用のないエネルギー供給の王道だからです。

そしてチューナー以外にも、副作用のないエネルギー供給の方法はたくさんあります。しかし、多くの人は、その本当の原理を知らないため、誰もそれを信じることもしないし、まして、実践しようともしないと思います。

懐中電灯と懐中電灯で一カ所に照射してエネルギーが得られるなど、多くの人が信じられないでしょう。

扇風機を二台用意して風が両者で干渉しあうように置けば、部屋が生き返ることを、確かに誰も信じようとはしないでしょう。

ケミカル信仰、、、冥王星バイアスは最強のものですから、私たちがその罠から抜け出すことは容易ではないのです。

しかし、原理は原理であり、法則はひとつしかありません。

作用に対して反作用があり、反作用にエネルギーがあるということです。

ケミカルではこの事実は捕まえられません。科学でも同じです。物理の世界では、ようやく無にしか力がないということが、わかってきています。

それが本当なのです。そしてその法則はいとも簡単に応用できるのです。ただ、冥王星バイアスにかかっているために、それが理解できずにいるのです。

エネルギーは無尽蔵です。それにアクセスするには、ケミカルでも権威でも政治でも科学でも医学でもダメで、素直で疑いない赤子のような態度でなければ捕まえられないのです。

方法は色々あります。極めて簡単です。そして効果もすぐにわかります。しかし、バイアスが強い現代人はすぐに、もっともっとと求めて、量的物量的なこの世的発想となり、再び、副作用によって滅んでいくのです。

連休の3.4.5のミニセミナーでは、こうした話しと実践の会にする予定です。ほとんど定員になってしまいましたが、こうした機会と場は、これからたくさん用意していきたいと思います。

下記の動画は、SHOPマドモアゼル・愛で現在栽培している野菜です。副作用の少ない育て方で健康に育っています。

太陽もない、水も循環する同じ水、肥料もほとんどいらない、、、というある意味、極めて不自然に見えるかもしれませんが、自然な原理に従っているので、自然に見える農薬だらけの土からできる野菜より、かなり良いものに育っています。

連休にぜひ食べにいらしてください。SHOPマドモアゼル・愛は東急大井町線の尾山台駅下車、ハッピーロードド商店街にあります。

マドモアゼル・愛 公式SHOP

 

連休もあと少しでおしまい  本日レポートを送付いたしました

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大変お待たせいたしました2017年の春分レポートを本日お送りいたしました。一斉送信のやり方に不慣れなため、間違って二回送ってしまいました。同じものが二度届いていると思いますが、大変申し訳ありません。こちらサイドのミスです。ダブル登録とは違いますのでよろしくお願い致します。

連休も明日でおしまい。3.4.5と三日連続でミニセミナーを開きました。食事によらないでエネルギーを得る方法、、という題で開催。

フリーエネルギーの話し、どうすれば無から私達はエネルギーを得ることができるのかの、具体的な話しと実践で盛り上がりました。

生涯の宝になりました、、、と喜んで下さった方もいらして、やってよかったです。またこうしたミニセミナーの機会を今後も続けたいと思いました。

本日もお客様と話しあっているうちに、内容が段々とセミナー風になり、まるで「石膏セミナー」になったようです。

石膏はフリーエネルギーとは異なりますが、電子をおそらくたくさん発生させるのでしょうか。熱を取り去り、炎症を抑える働きがあると言われます。

温泉にはよく石膏泉がありますが、ぬるく感じるものの、出ると体が温まるようです。

電子をたくさん発生させれば、周辺から熱を奪うので、火も熱くなるなる現象が起こるはずです。太陽は熱くない、、、という人が結構いますが、おそらく本当だと思います。

まあ、実際のところはよくわかりませんが、少なくとも私達は常識の中で暮らしていますが、本当はかなり違っているということだけは想像できます。

私達の考えと実際には、大きな隔たりがあると思います。隔たりというよりも、真逆なのです。

物には何の力もなく、物は意識の結果としてそこに生じる、、、自分は意識であって、肉体ではない、、、という常識の逆転から考える時代がこれから訪れるのでしょう。こういうと、肉体も大切だ、、と考える人も多いですが、それは当然なのですが、視点の相違ということでお考えください。そして、物と霊との間には、順番があることも大切な要素です。まず、先に意識あり、です。

そのことを出口王仁三郎は霊主体従と言いましたが、体主霊従の時代は行き着くところまで来たのだと思います。

今回のセミナーでも、意識って、何ですか、、感情は意識なのですか、、、との質問がけっこう出ました。

意識は、物事や現象の見方を言うのです。自分が怒っていれば、自分は怒りに身を任せた場合もあるでしょうし、怒っている自分を知っている場合もあります。無意識な行動か意識的な行動か。

その違いは意識によるのです。常に何等かの意識をもって、私達は活動しています。活動を生むのは意識です。どうのような動機で物事を行うのかも意識が決めます。

いつもお金のことばかり考えていれば、絶対に損しない選択をその人はします。それでいて、そのことに気づきません。自分は本当に損することを絶対にやらないのだな、、、と意識されていれば、行動が選択できるようになるので、たまには、損してもいいやとの行動や選択ができるようになり、前よりも自由になれます。

表現されたものが意識ではないのです。それを生んだものが意識です。同じことをやっていても、意識が異なる場合は多いわけで、やっている事柄によって意識が決まるわけではありません。

自分をどの地点でどのレベルで認識しているかは、意識が決めています。自分を知るとは、意識が高まることです。

これには終わりや完成はありません。意識は常に高くなる方向に進みますので、喜びと似ています。

人を殺して喜んでいた人が、人を助けることに喜びを見出したら、もう以前の自分には戻れなくなります。

自分は日ごろ、どのような姿勢で仕事をし、どのような暮らしをし、どのように人と付き合っているのか、、、、そうしたことの理解は、意識によって違ってくるし、実際に違って見えるわけです。

すべては意識であって、意識されている事柄は、どんなことであっても私達を不幸にさせることはしません。

無意識に動かされて自分を失っているとき、私達は不幸なのです。リアルに触れることができないためです。

物には何の力もない、、、このことは、突き詰めれば、自分は意識であるということに他ならなくなります。

季節の良い連休の三日間、連続で皆と意識について話し合えたことは、本当に幸せでした。ありがとうございました。

SHOPマドモアゼル・愛は、日月お休みで、火曜から通常の営業です。

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真理は簡単、単純。

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世の中には色々な真理があると思いますが、真理なので、本当はひとつしかありえません。

この宗教が真理である、、この考えが真理であると、長い歴史の中で色々と語り継がれ、説かれ続けたことは事実でしょう。

真理を法則と言い換えることができたら、唯一の法則がもしかしたらあるかもしれません。

私はあると思っています。それは極めて単純なもので、その応用も極めて簡単です。

真理というとオーバーになるので誤解を招きますが、やはり真理としか言いようがありません。

私たちは誰もが、その唯一の真理によって実は存在し、生かされ、ここにいるのです。

私たちの体を動かしているのも、自動車を動かしているのも、電車やバスや新幹線や飛行機を動かしているのも、まったく同じ真理です。

私たちは食物からエネルギーを得ていると思っています。飛行機は燃料で飛んでいると思っています。

何か、外部にあるものからエネルギーを得て存在したり、運動を起こしていると、かたくなに信じ切っています。

本当にかたくななのです。物がある以上、その物が生じた原因があるはずです。その原因の方が真実だという単純な話しなのです。

真理や法則はひとつですが、現われは無数です。物や現象に真実を求めるから、大本のそれが分からなくなるのです。

物や現象からそれに近づこうとするのが、科学や知識や勉強や学問です。

反対に大本の働きを見つめようとするのが、宗教や形而上学やこの数十年流行の精神世界への追求でしょうか。

しかし、どちらも同根なのです。どちらの考えを取るかの姿勢を生じますので、どちらを取っても同じことになります。

宗教や形而上学や精神世界への関心があっても、物の世界を離れることはできませんし、実際に私たちは物の世界に存在しているのも事実です。

宇宙ですら、大きな物ですから、そこでどんなに不思議なことが起きていようとも、そこに神を求めるのはどこかおかしな気がします。

しかし、宇宙は本当に壮大ですから、イメージとしては神に近いものを感じるように、誰もが思うのも自然でしょう。

また、精神世界や見えない世界を追求した際に出会う、霊的な存在もあると思います。実際に体験された人も多いでしょう。

それこそ、お化けから神霊まで、様々あるのだと思います。

宗教家や芸術家、直観で仕事をする人などは、そうした世界に出会っているのかもしれませんね。

物の世界、霊や見えない世界は、確かにあると思います。

私自身はお化け程度は見たことがありますが、特別な体験をしたこともないし、霊的な世界に関して何も知らないと言ってもいいと思います。

しかし、物の世界がある以上、それを生み出した世界があることはその通りだと思います。

そして、大事なのは、真理や法則は、そのどちらの世界でも同じように働いていなければ、法則でもないし、真理とも言えません。

宗教家が、私だけが知っている、、、という世界がもしかしたらあるのかもしれませんが、真理や法則にかなっているかどうかで、それはすぐにでも判断できると思うのです。

真理や法則にかなっていないものは、真理や法則でないものが生み出した結果でしかありません。

あの世とこの世、霊と物質の世界の両方にすべてに、共通する真理と法則があるはずです。それは当然、地球人にも宇宙人にも共通する真理と法則のはずです。

それは、もっとも簡単で単純なものでなければ、共通因子とはなりません。

頭が良い人が絶対に到達できない単純なものなのです。学問を学べば学ぶほど、遠ざかる真理や法則ともなるでしょう。

何でお前がそんなに偉そうに言うのかと、いぶかる方もいらっしゃると思います。当然のことです。

私が発見したのではなく、私はこの真理と法則を飯島先生から感化されたにすぎません。

真理と法則はたったひとつなのです。それは、作用と反作用なのです。ただそれだけで、それ以外にないのです。

作用は物質的作用から心理的作用、意識作用まであります。それに対して、必ず、反作用が現れます。

これが法則です。因果によって、、と説いた釈迦ですが、その通りだと思います。因果の法則はその通りですが、あくまでそのことを私たちは善悪論として理解しているにすぎません。

作用と反作用が物質界、精神界、霊的世界に至る、原理であり、すべてに共通する真理です。

作用がないものが、勝手に反作用としてあらわれることなどありません。物質でいえば、それをあらわしめた原因、すなわち作用があった結果として存在しているのです。

物質に限った話しではありません。あらゆる現象も同様です。犬も歩けば棒に当たる、、と同じで、何かをすれば、何かを得るのです。例外はありません。

何かをするとは、物質を通してする作用もあれば、精神的、意識的作用もあります。

物質は粗い組成ですから、物質的作用の度合いが高ければ、すぐにわかりやすい反作用が出てきます。物質的作用の度合いが低くなるほど、時間や場所の制限がなくなりますので、一見、反作用の出方が遅いとか、よくわからない、、と思うケースはあるものの、結果規模は増大するのです。

物を動かして得る反作用より、意識的作用の方が大きな反作用をもたらすことになります。

海の砂の色をペンキをまいて変えるには、膨大な作用が必要ですが、砂粒の一つ一つが、みずから色を変えたくなったら一瞬で海の砂の色は変わります。

小さな作用が大きな結果を生むのです。トラクターで物質的作用を起こしても、それに対する反対の意識が増えたなら、絶対にそれはうまくいかなくなります。物質がつくる作用よりも意識作用の方が強いからです。本質的なのです。物質は意識に従う順番があるからです。

何で偉そうにお前がそんなことを決められるのか、、、と思われるでしょうが、私が偉そうに言っているわけではありません。

食事をするのも、会社に行くのも、映画館に行くのも、行こうか、、、生きたくないけど、仕方なく行こうか、、、の意識があるからそうなっているわけで、私たちを動かしているのは、意識です。

肉体はそれに従っているだけです。世界も同じです。宇宙も同じです。見えない小さな本質的作用に世界は従います。

しかし、何であれ、作用に対して、反作用が法則なのです。

作用が起きれば、何が生じるでしょうか。ギャップです。もともとあったところに、何等かの作用があれば、もともとあった平穏なものとの間にギャップが生じます。

ギャップがしょうじれば、宇宙は反作用を始めます。元に戻そうとする力が、反作用の力です。

この世で出した作用は、それが物資的な作用であれ、意識的な作用であれ、必ず、反作用をもたらします。すべてを元に戻そうとする反作用は、すべてはもともと一つであるというところから来ていますが、それは自他のない、とらえどころのない大きすぎる愛と言ってもいいかもしれません。とうてい名付けられるようなものとは違います。

一体、、一つ、、、だから反作用が必ず起こるのです。

作用は誰もができることです。その作用によって私たちは宇宙を動かしさえしているのです。

作用すればギャップが生じます。ギャップを元に戻そうとして反作用の力が訪れます。それが本当のエネルギーです。

甲州街道のケヤキの並木の話しを以前にしたと思います。甲州街道を通るたびに、ああ、これが土の道で、馬車だったら、どんなに幸福だろう、、と毎回思うのですが、あの大きなケヤキは、どこからエネルギーを得て成長したのか、、、の不思議。

周囲はすべてアスファルト。水は地下水としても、どこからも栄養素が得られない場所で、ケヤキは成長しています。

その理由は、無数の葉がつくるギャップです。風が吹くたびに無数の葉が揺れ、周辺の葉もゆれ、葉と葉、葉と周辺空気、葉と周辺の音との間に、複雑なギャップを常に作り続けます。

ギャプができれば、そこに反作用によるエネルギーがもたらされますので、ケヤキはそのエネルギーを得て成長しているのです。

葉が冬になって落ちれば、木には、夏の間に得た葉からの残存振動のイメージが残り、木自体も計測できない微振動を発します。

物理現象が少ない方が偉大な反作用をもたらしますので、木は冬場に微振動ギャップによって得た膨大なエネルギーを蓄え、春になると一斉に無数の葉を出し、一瞬にして青々とした葉へと成長させるのです。

そう、真理は簡単です。そして単純です。あなたも、手を振動させ、体を振動させ、腕を振動させ、腹を振動させる、、、たったそれだけのことで、無限のエネルギーを反作用として肉体に呼び込めるのです。

嘘だと思うのなら、それをやってご覧なさい。文句はそれからにしてくださいね。

ただし、運動よりも意識は優先します。それでも揺らせば必ずギャップが生じますので、疑いつつでもいいから、やはりやってみてください。

揺らせば、血行が良くなるとか、筋肉がやわらぐから、当然いい、、と頭が良い人は考えることでしょう。

それが実は無知なのです。それだと、何かが起きた時にすぐに化学や科学や学問を優先させ、結局は人並みな結論に達して、真理から遠ざかります。

法則を理解しているかどうかです。法則を理解した上で、行うことには、意識圧がかかりますので、驚くほどその法則への信頼を増すでしょう。

血行が良くなるのも、筋肉が柔らかくなるのも、結果なのです。本当の原因は、エネルギーを取り込めたからです。

ギャップを解消するために、反作用が訪れ、それがエネルギーを得る唯一の方法になっているのです。

エンジンが動くのも、最初のスターターの作用が連続してギャップを作るからです。このことがわかれば、本当はガソリンは不要になるはずです。

エンジンのことは素人なのでよくわかりませんが、作用に対する反作用によってしかエネルギーは訪れません。

UFOを見る場合でも、それが燃料や物質的な作用によって飛ぶ面が大きなものは、そんなには優れていないはずです。物質的な作用から遠ざかるほど、良い飛行機になっていきます。

飯島先生が作った模型飛行機は、操縦が困難になると、操縦装置から手を離します。すると飛行機は勝手に体制を立て直して困難な状態から脱出します。

法則にかなったものは、勝手にエネルギーを得て、勝手にうまくやるのです。

簡単で単純なものにしか真理はありません。

体を揺らすだけで、エネルギーが入るのです。しかし、このことを本当に理解しておかないと、必ず副作用でやられます。

健康とは、副作用を伴うことなくエネルギーを得ることで達成するのです。

揺らせばエネルギーが入るのは事実ですが、それをやれば、効果を焦ったり期待し過ぎるため、揺れを大きくし過ぎるなどの、冥王星バイアスに私たちはとらえられます。

そして揺らし過ぎ、、、力の入れすぎ、、、副作用で体を壊すのです。高齢者の方がヨガをされて体に負担をかける姿を見て、心配になることがありますが、副作用に負けてしまう心配があるからです。

太ったいかにも成人病体質の方が、赤ら顔して連休などには、公園でマラソンしたりしています。必ず、副作用でやられます。

スーパーマン願望による、冥王星バイアスで私たちは副作用を招くのです。ひとつなんです。すべてはひとつなんです。偉い人も偉くない人もないのです。

すべては一つなのです。その原理が反作用の出どころとなる愛なのです。しかし、作用に力が入りすぎると、個や特別感が優先されてしまうのです。それがあらゆるものに終焉をもたらす本当の原因なのです。

反作用を得るとは、ひとつである大きなものの受容に他なりません。それによって、私たちも宇宙人も聖人も俗人も、皆生かされているのです。この真理以外に真理はないと思うのです。

ふるべ、、ゆらゆらとふるべ、、、

古神道の呪文ですが、真理を物理的にも霊的にも語る言葉です。だから死人すら生き返ったというのでしょう。

ゆらゆら、、ですから、副作用のない揺れ方が連想できます。

永遠のエネルギーを得る方法になっているのです。


ふるべ会のご案内

ふるべ会を開きたいと思います。実際に体を振動させ、その原理を学び、実践することで、普遍意識を体現する会合です。

毎月 第二、第四金曜日の午後6時から8時ごろまで。6月から開始する予定です。6月の9日、23日となります。以降、第二第四金と続きます。

日時 初回は6月9日 午後6時から
場所 SHOPマドモアゼル・愛 人数が多い場合はアトリエで
会費 1500円 軽食準備あり 当日徴収
持参 チューナーをお持ちの方は一本お持ちください。なくても問題ありません。
お申込み SHOPマドモアゼル・愛まで、当日の午後3時までにお電話にてお申込みください。1名以上で開催します。

ふるべ会についてはカートでのお申込みはありませんので、直接お電話にてお申込みください。



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祈りは作用

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先日のブログで、法則や真理はひとつで、それが作用と反作用であると語りました。

作用と反作用は物理的な世界においてはもちろん、精神世界はじめ、霊的世界にも至る、共通の唯一の法則であり、宇宙にどんな宇宙人がいたとしても、どんな世界で生きている動植物であっても、この作用と反作用の法則の元に存在しています。

地中深い世界であれ、海底深い世界であれ、地上であれ、上空であれ、宇宙空間であれ、木星の上でも、太陽の上でも、スピカでも、そこがペテルギウスの上でも、変わることのない唯一の法則なのです。

この世において、いえ、あの世においても、現象が勝手に起こることはないのです。あらゆる現象には、それを生じさせたところの作用があるのです。作用と反作用、これが唯一の法則です。

そのうち、物理的な作用は目に見えますが、物理的な面が小さければ小さいほど、潜在的な作用となり、もたらす反作用の力は大きくなるのです。

しかし、私たちは目に見える世界の存在を大きく感じるため、物理的で巨大で力ある作用が大きいと勘違いするのです。

10キロの力をどこかに加えれば、10キロの力で押し返します。10キロの力を加えるのが作用であり、10キロの力を押し返すのが反作用です。そして10キロが拮抗している地点ではエネルギーが発生しています。

人間も体重をささえてくれる反作用によってエネルギーを得ているわけです。歩けば各関節で重力が拮抗し、ギャップがたくさん作れます。ですから、歩くから疲れるというのは嘘で歩かないから疲れるのです。エネルギーを得る作用が少ないためです。

このように重力による作用はわかりやすいのですが、さらに風による作用があり、水流による作用があり、磁力による作用があり、光による作用があり、音による作用があります。重力、風、水、音、磁力、光、どれを使っても作用を起こすことができます。作用が起きれば、必ず反作用が出てきます。

火を使ったギャップづくりで私はローソクストーブを作りましたが、たった2つか3つの小さなローソクで、30坪程度の家一軒を快適でエネルギーが満ちた空間に変えることができます。

物理的な現象面が小さいほど、潜在的な作用となりますので、重力によるギャップよりも風によるギャップの方が、さらに光によるギャップの方が、さらに音によるギャップの方が、潜在的に大きな作用であり、大きな反作用を起こす力があります。

重力の作用を使っての癒しには、肩をもんだり、叩いたりすることがありますが、その場合でも軽くたたいた方が肌は無理ない反作用が可能となりますので、副作用のないエネルギーが補給されることになります。

強く押したり、強く叩くような作用だと、肌や人体は反作用が自然にできず、体を硬化させて守るしかなくなります。強いマッサージに慣れた人の体が硬いのはそのためです。

静かに押したり、揺らしたりしていれば、副作用を伴うことなくエネルギーが得られるのです。

作用自体の質も問われます。強いマッサージよりも弱い刺激が上ですし、さらには、重力による作用よりも光による作用を肌に送れば、よりエネルギー補給が可能となります。

私が開発した懐中電灯による光エネルギーの得方がそれです。光教則本でこうした原理について語っています。さらに音による作用は高度です。チューナーは1秒間に528回の振動作用をもたらすもので、極めて高度なのです。その振動を止めようと反作用が開始します。

そしてついに物質的な作用を超えた意識の作用があります。物質的な作用も元には意識があるのですが、物を通さない意識作用の大きさについて語りたいと思います。

古くから私たちが行っている意識による作用のひとつに祈りがあります。

祈りは、意識そのものです。意識の作用は高度な反作用の世界からの反応をもたらしますので、物理的なものよりもずっと大きな反作用が与えられます。

ただし、意識の質が問われることも事実です。その意識がどこのどういうところに向いて発せられたのかによって、帰ってくる反作用が違うのです。

悪いことを考えれば悪いことが起こり、良いことを考えれば良いことが起こる、とよく言われますが、構造としては確かにその通りだと思います。

しかし、この考えの限界は、すでに良いものを自身の意識が決めている点です。この世的なのです。物の安定や物の増加や物の永続を願う構造が先に価値観としてあるのです。
良いことを考えれば、、、の次に来るのは、大体はこの世的な願望です。その意識は自分は物であるとの大元の意識を増長させますので、祈りとは違うのです。物質的な願いの世界です。

もちろんそれが悪いのではありません。ただ構造がそうであるということです。願いはその動機に沿った反作用が与えられるのです。なので、必ずしも幸運が訪れるかどうかはわかりません。

では、祈りとは何でしょう。作用としての祈りは、自分を超えたところにあります。それは私たちであり、この世であり、この世界であり、この宇宙であり、真理であり、、、要するに一体の世界へ向けられたものが祈りです。

祈りの基礎には、すべてはひとつです、、、の絶対信仰のような姿勢があるのです。少なくとも、祈りの守護は私ではないのです。私たち、、、もしくは誰かであったり、自分のこととは違うのです。

この作用は偉大です。自分を忘れ、自分は他と一体であるとの中から出る祈り、、、このもたらす反作用は大きいのです。

現在の地球も人間も悲惨な状態にあるのは、この視点からの、この姿勢からの、この意識からの祈りが不足しているからなのです。願いは無数にありますが、祈りが足りないのです。祈りの作用が足りないので、地球はエネルギー不足に陥ってしまっているのです。

私たちが未熟でなかなか成長しないことが、現代の大きな問題の根底にあります。それも祈りの視点から見れば、わかりやすいことです。なぜ、私たちは成長できないのでしょう。いつも自分のことで苦しみ、不安がり、うまく行かないと思って、自分のことばかりで悩むのでしょう。

人は何か大きな存在に依存できている時、安心感が訪れるようになっています。最初は両親への依存です。これはとても自然なことです。依存を悪く言う人がいますが、依存自体は自然なものです。しかし、依存してはならない状況や、依存だけでは成長しきれない面が成長とともに出てきます。

私たちがあるものからの依存から抜けるには、さらに大きなものへの依存が必要です。

これが、本当の意味での親離れとなります。具体的に言いましょう。

自分のことばかりを悩んだり悔やんでいて、幸福でない状況にいる人は、依存できるものがないためです。依存してはならない状況の中でも、今なを依存対象を求め、母や父に文句を言っている状況と似ています。

具体的な依存という場合もあれば、心理的な依存もあります。

私たちが幸福になるためには、この依存の心理を克服することがどうしても欠かせません。
それが祈りになのです。

誰でも子供時代は自分のことしか考えません。しかし、ある程度成長していく中で、自分にも心理的な力量がでてくるのが実は自然です。

その際に、親が大変であったり、親が心配であったりして、切なる思いで、親のために祈ることを体験した人は、依存という大きな問題をクリアしているのです。

いくつになっても、親への不満と自身の不幸にさいなまされているひとは、本当の意味で、親のために祈ったことが一度もなかったのです。ただ自身の不満が関心事だったのです。

親のために祈れなければ、その後の出会いでも同様のはずですので、この構図は長引きます。親に限らず、何か自分自身以外のために、切に祈るという経験をしたことない人は今なを不幸なのです。

祈りという小さな作用がもたらす反作用のエネルギーは大きいのです。自身を忘れて相手を思うことは、命の一体との作用となるので、とても大きいのです。

反作用の大きなエネルギーによって、私たちは本当に成長し、悩むことがあってもそれに負けない人として育っていくようになっています。

自分と他が一体であるとの視点から出た作用のみが、この世を楽園に変えてくれるのです。

そのことが自然ということなのです。不自然に生きれば、つらく苦しくなります。自他をことさら分ける生き方や意識が不自然なのです。

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5月26日 女楽 紀尾井小ホール

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今週の金曜の夕、紀尾井小ホールにて「女楽」という催しがあります。内容は「六条院の薫物合せ」で、源氏物語の梅枝という巻をもじった内容です。

舞台の内容は三部になっていて、第二部は管弦を楽しむ内容です。酒を飲みながら、管弦を聞き、歌を歌う、、、光源氏、蛍兵部卿宮、柏木、夕霧、弁少将の5人が即興で歌を作り、それを詠み上げ、披講するのですが、そこに私も参加します。

雅やかな源氏物語の世界が出せるかどうか、、、私は柏木の役ですが、源氏の君の隣ということもあって、緊張しながら歌うことになるのでしょう。

梅枝の巻きの時期を尋ねたら、女三宮の不貞事件よりも前だということでしたので、多少安心しました。

まあ、そこまでの演技は求められませんが、披講には一応責任があるので、今週も練習に励みます。

金曜日の夕、チケットに余裕がありますので、源氏物語やもしくは和歌の披講、管弦に興味がある方はぜひいらしてください。

明日、カートでチケットご予約ができるようにいたします。ご予約いただけましたら、当日、受付にてチケットをお渡しする形となります。前売り価格4000円です。(当日券5000円)

場所はニュー大谷前にある紀尾井ホールの小ホールの方で、午後6時開演です。

ところで今日はオークスでしたが、オークス出走を夢見た馬が一頭。残念なことに出走条件の抽選に漏れてオークス出走はかないませんでした。

でも、昨日の京都のレースに出走して優勝した、アルメリアブルーム、、、良かったですね。MIチューナーを聞いてくれているお馬です。優勝おめでとうございます。

私の夢のひとつに、日本のどこかに馬の町や村があり、そこに行けば、車の往来はなく、町はすべて馬車や馬の電車が走っている、、

その町に暮す人は、すべて交通機関は馬で、きれいな馬車もあれば、郵便配達の馬、幼稚園生をたくさん乗せた馬車、乗馬で散歩の女性はとてもきれい、男性はたくましい、、二人乗りの小さな馬車には、ご老人の夫妻が楽しそうに乗っている、、、

そんな町だから、アスファルトではなく、土が見える、、、石畳が見える、、道のサイドは花や緑でおおわれている、、、

商店の前にはゆったりイスがあり、人々はいつでもそこで談笑している、、、馬車の駅前には、芸術学校の生徒たちが日本中から集まって、演奏をしたり、歌を歌っている、、

楽しい発表の場であり、喜びを共有する場ともなっている、、、

町に住む中高生はゲームに熱中するよりも、町に出た方がずっと楽しいのか、いつしか町にも道にもおおぜい出てきて、大昔のシャッター街もいつの間にか息を吹き返している、、、

店には、どこでも売っているような物ではつまらないと、どこもそこにしかないようなものばかりが置かれている、、、手作りの物も多い、、すべてが一点物のセンス良い服装店、手作りの甘味屋では、フランチャイズの味や雰囲気に嫌気がさした人で埋まっている、、

夜になればローソクシャンデリアなどが店頭に灯され、ロマンティックな光があふれる、、、仕事帰りの男女は自然とお酒など飲みたくなり、男女の出会いが自然と広がる、、

明日もあの人は来るかな、、、来てくれるかな、、、と、日々の楽しみが、仕事の労苦しかなかった昔とあまりに違って、若者は笑いだす、、、

家に閉じこもる老人はいなくなり、誰もが、いくつになっても、ときめくことを知る、、、

馬、、、馬、、、動物の力。それをいかに私たちは経済でしか考えて来なかったか、、、その上、経済でも失敗するかもしれないという現代の矛盾。

幸福なイメージが足りないのです。不安を付かれ、それについ騙されて現状を肯定してしまう私たち、、、、そして段々と悪くなっていく時代。

無にしか現実を作る力はありません。私たちの思い、、意識がすべてを生みだすのです。

だから、楽しい生き方、、幸福な生き方のプランを、町づくり、村づくり、国づくりに、生かすイメージが必要です。

このままでいいのですか、、、あまりに悲惨ではありませんか、、
本当にお金だけで人は幸福に生きられますか?

教わってきたことは、もしかしたら、すべて嘘だったのかもしれません。だまされたまま、癌病棟で死んでいくことを当たり前の人生にされてはかないません。もっと違った生き方があると思います。

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どこへ行こうか

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大したことをしているわけでもないのに、何だか異様に忙しくてブログも書けませんでした。

その間に社会では色々なことが起きているようです。日本の政治にも世界の経済にも赤信号が灯ってきたようです。

明治以降の日本、世界でも、国家というものの幻想が剥げ落ちています。このタガが崩れ出したら、行くところまで行くと思いますので、今後は平穏な時代とはならないでしょう。

平穏でない時代は良くないかもしれませんが、悪いものが壊れていく混乱でもあるので、悪いばかりとは言えません。

大きな近代国家の仕組みや、金融経済の仕組み、人心掌握の仕組みなどが壊れますので、逆に言うと、私たちはこれまで何に縛られ、どのように存在していたのかの、その実態が段々とわかってくることになるわけです。

本当の悲劇というのは、終わってみなければ、それが過去になってみなければわかりません。その中にいる間は、それしかないので、私たちを取り囲む本当の不幸になかなか気づけないのです。

昔よりも今の方がずっと良い、、、という感じ方が多いので、一見現代はそんなに悪いばかりでもない、、、と私たちは思いますが、果たしてそうでしょうか。

確かに、文明の進歩に浴した面は大きく、生活も豊かになり、暮らしも楽になり、移動も可能で、民主主義は最低の生活と人権を守ってくれたことは事実です。

見える面では確かに良くなったのです。今さら明治や大正や昭和初期の日本に戻りたいと、真剣に思う人は少ないでしょうし、私もまだ今の時代の方がずっと良いと思います。

ただ、それは見える面での話しなのです。見えない面が時代にはあり、そこに恐ろしいような犠牲を強いているのが現代です。

見えないものが、ブラックホールのように、少しづつ人を不幸な世界に吸い込んでいく、、、そうした構造をしているのが今の時代です。

目に見える世界、公けの世界、マスコミを通して見る世界、学校などの義務教育を通して見る世界、通常の家庭から見る世界、、、、それとは別の世界があり、人は隠れた裏の世界を見ようとはしませんし、ついそこに蓋をかぶせます。

なので、通常の見える世界しかみていなければ、今の時代はそんなに悪い時代に見えない、、ということになるのです。

しかし、感受性が強い人、同情心が強い人、創造性がある程度ある人なら、見えない世界の恐怖に気づいていくはずです。

おいしいお肉、、、確かにおいしいですが、表から見えるおいしそうなお肉の裏の見えない部分は、かなり悲惨です。

牛はどのように生まれ、どのように扱われ、どのような思いで殺されるのか、、、こうした話しをすると嫌がる人も多いですが、事実は事実として知っておいたほうがよいかもしれません。

それは、牛やお肉だけの問題とは違うからです。裏の世界は現代の本質をむしろもっており、その本質に従って私たちの人生とも共通しているからです。

かわいそうな牛の運命は私たち人間の運命と同じなのです。ただ、すぐには見えないから気づかないだけ。わかっても、イヤなものは見たくないとの思いから、知ろうとしないだけ。

しかし、それは危険なのです。なぜなら、現代の本質は、見えない世界の犠牲によって表面的な平穏が築かれていますので、見えない不幸を要求されているのです。ブラックホールに落ち続ける人が一定範囲いないと、維持できなシステムなのです。

今はまだ、その要求が自分に来ていないだけの、単なる執行猶予期間における平穏の中で、私たちは日々を暮らしているだけなのです。

肉牛として育てられた牛はやがてひどい扱いを受けて殺されます。そこには一遍の愛もやさしさもない、ひどい世界です。

そうした牛の運命と私たちの運命が同じとは、どういうことでしょう。残念なことに本当のその通りなのです。

テレビを見れば、そこには、人生の楽しみがたくさん紹介され、楽しみながら暮らす人が当たり前のように登場します。

おいしいものを食べる人、、、運動を楽しむ人、、、スポーツで活躍するスター、、、得する情報、、、お金の増やし方、、、将来の設計、、、一見すると夢のような暮らしが私たちの生活であるかのような印象です。

執行猶予期間はそうなのかもしれません。

しかし、そんな執行猶予期間は、やがて終えていきます。少しづつ終えていく人がいるだけなので、目立たないのです。なので、大勢は常に今、幸福な人に注がれます。しかし、いずれはほとんどの人が、お風呂の排水同様、下水に飲み込まれるようにして終えていくのです。

色々な終わり方があります。

癌の宣告、、、どんなにショックでしょう。どんな治療を受けるのでしょう、、、化学療法でしょうか、、、死よりもつらい治療もあると聞きます。しかし、家族はそれが良いとばかり、治療を受けさせます。

いくら本人がつらい、苦しいと言っても、それが正しいと思う以外にない選択の中で、病人は置いてきぼりにされます。

それまで普通の家族であった人が癌になり、、その治療の過酷さを見て、通常の生活との断絶があまりに大きすぎるため、愛する家族との心理的な切り離しが進む場合もあるでしょう。

患者はそうした家族との切り離しを、自分が病気だから仕方ないとばかり、孤独の中で受け取るのです。

病気によって幸福な執行猶予期間がこうして終えて行きます。

そんな形で今後3割の人間がいずれ癌で死んで行くそうです。おかしくありませんか。この一例だけとっても、時代は間違っています。
 
ベルトコンベアーに乗せられて殺される牛と大差があるのでしょうか。殺された牛は食べられますが、そこにはてんこ盛りの薬品やホルモンが注入され、人の病気を長期間にわたって巧妙に作るのです。
 
同様にお菓子で、見た目おいしそうな食べ物で、巧妙に病気を作ることが、日々まじめに行われるのです。健康的と思える野菜にも、農薬がまみれます。そんなこと言っていたら何も食べられなくなる、、、との批判はもっともかもしれませんが、それがシステムだとしたら、そこから降りてもいいのではないでしょうか。

癌ばかりではありません。

欲しいものを人は買いたくなります。でもお金がなければ買えません。ローンという借金で買おうとするのも、今では一般的です。

返せるローンなら問題もありません。大体は健全に考えた末にローンを組むでしょうから、問題なしでいいのですが、慣れてくれば、当たり前のようにローンを組むようになるかもしれません。

運悪く、働けなくなる、、、会社を首になる、、、給料が下がった、、、会社が潰れてしまった、、、、離婚して収入の見込みが狂った、、、病気になってお金が得られなくなった、、、ローンの担保価値が下がってしまった、、、

いつもは何の問題もなかったローンなのに、たまたま一回だけでもこうした状況の変化に会えば、それに捕まってしまう、、、一回でアウトになるのです。

お金を返せない、、、そして色々な地獄が始まる。お金の問題で人生の執行猶予を終えて行った人は決して少なくありません。

年間3万人の自殺と、ローン破産やお金の問題はほとんでのケースでリンクしていることでしょう。

病気、借金、こうして執行猶予期間を終えていく人がいます。

その人達の苦しみは、明るい表だけを見ている人や社会からは決して伝わってきません。

自分の借金ではなく、保証人となって地獄を見る人もいますし、盗まれて人生に失望する人もいることでしょう。

そんなのは、一部の問題と、執行猶予期間中の人は思いますが、けっこう多いのです。私も仕事をして40年以上なりますが、知り合いの中には、こうした形で苦しい人生になった人をずいぶん見ています。

こう話すと、人は自分にはそんなことは無いから、、、と他人事のように思い、、今のままでいいと思いこむからわからないだけで、誰もがいつか何等かの網にかかり、執行猶予期間を終えていくことを知らないのです。

私などはボーっとした面があるので、けっこう大きな損をしてきました。泥棒に入られたこともありますし、お金を騙されたことも何度もあります。

でも騙されるのはまだいいのです。だましたことさえわからせないのが本当の詐欺的手法です。

私は損してもあまり気にしない性格だったので、良かったのですが、せっかく貯めたお金を騙されて奪われたら、おかしくなる人も多いかもしれません。人はそうした被害にあったとき、損得もそうですが、そうした出来事に悪意を感じて傷つくのです。そのこともよくわかりました。

また、どんなに損しても、それを心理的に受け入れれば、損した以上の良いことが起こるのも事実です。本当はどんなに損しても、損ということは無いのですが、そこまで理解するのは当事者には難しいと思います。

こうして、お金の問題で執行猶予を終えていく人がいるのです。

執行猶予の終わり方にはもっとたくさんあります。スポーツ万能と言われた人が、脚を悪くする、、、体を悪くする、、、

ブラック企業でこき使われる、、、ブラックだと誰もが思えるならまだしも、一般の優良な会社と思われる中でのブラック化により、人生を絶望する人もいることでしょう。

辞めたくても辞めれらぬ事情があれば、幸福の執行猶予期間はすぐに終えて私たちはお金の奴隷、会社の奴隷になってしまいます。

愛情問題で執行機関を終える人もいれば、いじめで、暴力で、悪意で。

こうしてまともでやさしい人が、真っ先にやり玉にあがるこの世の仕組みがあるのです。

要するに、今の私たちの社会の正当性と見える明るさは、見えない大きすぎる不幸によって運営され、維持されているところに、問題があるのです。

なので、本当は決して良い時代であるわけがありません。泣く人を犠牲にして繁栄する時代。自分は勝ち組なので問題ないと健康な時や自信があるときにはそう思うし、そう思いたくなるでしょうが、みんながターゲットなのです。

悪い時代は、誰一人も幸福にしないシステムなのです。

今は時代の寵児でも、執行猶予期間の終了がいずれ告げられることでしょう。それがいつ、何で来るかは知りません。

タイガーウッズが昨日、酩酊運転で逮捕されたようですが、誰もが、同様の薄氷の上を幸福だと思って生きているのです。

運よく氷が割れないだけ。何かの拍子で氷はすぐに割れます。その時には、自分は冷たい海中で不幸のドン底となりますが、薄い氷の上では、そんなことには目もくれない大勢の人々が、今は幸福とばかりに踊っているのです。海中に落ちた人のことは忘れて。

なぜこうなるのかは、簡単です。不幸本位制によって経済が運営されているからです。人を不幸にさせるだけ、経済活動が大きくなるのです。

これを幸福本位制に変えなくてはいけません。人が幸福になればなるだけみんなが儲かる仕組みをつくればいいのです。

割と簡単にできます。人は不幸よりも幸福に慣れますので、本質は幸福が当たり前なのです。不自然な不幸力を本位にしているからよくないだけで、幸福本位で経済や社会を運営することはできます。

医者は病人が出るから儲かりますが、これを病人が出ないときに儲かるシステムにすれば、エブリバディハッピイです。簡単にできることです。

金を奪いあうからおかしくなるのですから、最初は与えればいいのです。最初に借金から始めさせるシステムが金融経済だから行き詰るのです。

人は裸で生まれてきて、最初はすべてをもらうところから出発するのが当たり前です。金融も同じ。毎月、お金を上げればすぐにうまく行き出します。景気も驚くほど豊かになります。すべての人が金持ちになり、しかも運営維持できる経済が起こります。

要するに、この世のシステムの悪いところは、自分だけが儲かって、あとの人は不幸であるということを目指すからです。

大本には、神経症的な不安があるのです。みんなで豊かになることは実は簡単なのです。しかし、それでは自分の存在を肯定できないコンプレックス的存在が上に立ち、自分以外の他の人は不幸であることを求めるからです。

それは悪魔的というよりも、神経症的なのです。なので、決して本人も幸福にはなれません。誰一人も幸福にしないのが今のシステムです。これは替えるしかありません。

原理がフリーエネルギーの宇宙原理から外れていますので、今のシステムはもうすぐ、壊れます。行き着くところまで行ったからです。

それは近いはずです。その際に、大事なことは、あなたが、次にどこに行こうとしているのかの、そのビジョンです。

無からしかエネルギーは訪れません。次の時代は、今あるもののやり取りから始まるのではなく、今はない、あなたの中に眠る次なるイメージによってなされるのです。

これからどう生きようか、、、そのイメージはどんなものだろうか、、、すべてはそこから始まります。

つまらないシステムに捕まる必要はありません。騙されないでください。自分の未来をつくるのは自分にしかできません。誰かにすがれば作れるというものではないのです。

医者にすがれば、、、金にすがれば、、、国にすがれば、、、会社にすがれば、、、家族にすがれば、、、


それらはすべて違います。そうした意識は執行猶予までの見せかけの幸福をあなたにもたらすだけ。

何もない、素の、裸の自分が、これから、どう暮らしたいのか、、どう生きたいのか、、、次の時代をイメージすること。

イメージは無です。質量的な無の作用からしか、この世はつくれません。あなたの未来も同じで前途洋々としたものなのです。不安のベルトコンベアーに乗ってはいけないのです。それが現代の罠であることに気づいてください。


お知らせ

マドモアゼル・愛の春分レポート(2017年春から2018年春分までの一年間) 2000円 

 このレポートは春分レポートとして、登録いただいている方に無料でお送りしたものです。5月までの無料期間を終えましたので、6月より有料ダウンロード商品となっています。


奇跡の三日間が生涯を変える「ふるべ合宿」 56000円
6月30日―7月2日  二泊三日の合宿です。 湯河原の温泉での合宿です。揺れるだけでエネルギーを得る原理とその実践を三日行うことで、変化を体験し、その方法を伝授する内容です。
残り四名様で締め切り。


健康と長寿の原理&実践セミナー  7月23日 12000円
上記のふるべ合宿の内容を一日で伝えるものです。

詳しくは下記をご覧ください。
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毒麦の刈り取り

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聖書の中に出てくる話しに、良い種の中に毒麦の種が混じってしまった、、、というものがあります。

農主は、気にせずに、そのままにしておこう、、、と。

そして良き麦の種も毒麦の種も、同時に畑にまくことになります。

どちらの麦も大きく育ち、それぞれに実をつける時期となりました。

農主は、刈り取りの際、皆に命じて、毒麦は毒麦で集め、良い麦は良い麦で集めるように伝えます。

集められた良い麦は倉の中へ。集められた毒麦は、火で燃やしてしまいました。

私は昨年のアメリカ大統領選挙でも、また、現在の日本の政治においても、同じようなことが行われつつあるのではないかと感じます。

今の政権ができた時の、ちょうちん行列を見て、異様なものを感じましたが、それが種まきだとしたら、今、進展していることは、毒麦の収穫のように思えてなりません。

本当に日本的なるものとは何か、、、私は今の政権に日本的なものを感じたことがなく、極めて反日的なものを感じ取っていました。

人を脅したり、ごまかしたり、強弁をはいたり、目先を誤魔化して言い逃れするのは、日本的なものではないと思うのです。

この日本的でないものが、この二十年、本当に大きくなった気がします。学校でいじめがあっても、学校は絶対に認めようとしない、、、

従業員の給与を下げて上の一部が儲かるシステムにする、、そうしたシステムで儲けて、価値あるものを生みだそうとはしない、、

派遣社員であふれる体制にして、会社だけが儲ける、、

利益だけが唯一の価値であるとの姿勢、、、

病院では、良心的な医師や看護師がいることは事実ですが、そうした人の良さは発揮しにくい体質があり、冷たく人の命を何とも思わない医者の方が悩まずに済む、、、

憧れの芸能界にも、手放しでは憧れることができない何かを感じる、、、暴力や政治家との影まで、、、

スポーツマンシップとは言うものの、どの試合を見ても、勝つことばかりを優先させる、こすっからさすら感じるスポーツ界、、

それにしては、やけに肥大し、スポーツの価値が他の芸術や文化に比べてあまりに高すぎはしないかの疑問、、、、

変なオリンピックにいくらかけるの、、、、

成功したスポーツ選手に共通している人間性のつまらなさ、、

マスコミの顔、有力スポーツ選手、政治家、企業家、文化人、芸能人、、、いわるゆ有名人に共通している特別意識、、、自分は一般人とは違う世界で生きているといううぬぼれ、、、、

昔はおまわりさんを見たら、町を守ってくれている、、、と感じたのに、今は私たちが監視されている、、、という気持ちを起こさせる、、、何も悪いことしていないのに、、、

いつしか時代は変わってしまい、本当は日本的でない、むしろ反日的なものが力を持ちだしているように感じるのは私だけでしょうか。

ここでいう日本的、反日的とは、人種や思想でないことをまず、ハッキリさせておきます。体質や思いや態度での、日本的、反日の意味です。誤解なさらないようにお願いします。

とにかく窮屈な時代になっていると思います。この上、さらに、色々な法案が決められ、憲法も変わるとなると、一体、この国はどうなるのかと、多くの人が心の奥底で本当は不安であると思っているのではないでしょうか。

私は今、起きていることは、前述した、毒麦の刈り取りだという気がします。

起きていることが、あまりに日本的でないのです。反日本的なるものが、どの立場でも上に立ち、物事を決めているように感じるのです。

多くの人は、日本的なるものと、反日的なるものを、誤解して逆に捉えているよう思います。

先の大戦なども、日本だけが優秀だとのうぬぼれが支えた面があり、本当は極めて日本的なものでなかったのです。日本を戦争に追い込み、国を焦土と化した勢力は、日本的なものでなく、本当は反日だったのです。

母音言語を話す日本人は、イノチと自然と一体となる方向を目指し、その思いが様々な文化を生み出すところで生きたいと願う、、、それが本当の日本的なものであり、生き方です。

日本は儒教や軍隊や帝国という反日的なものを身に付けた際に、ひどい決着となります。日本人にあっていないからです。

皆が思う日本的なものは、これまで籠池氏が思っていたようなものとは違うのです。目を覚ました今の籠池氏なら、そのことがわかるはずです。愛国のつもりで反日に走ってしまう人が多いのです。

日本的なるものは、和であり、イノチであり、自然です。人工的でからくりが多く、人を騙す構造をもつものは、反日なのです。

マスコミもですから、反日となります。だまして物を売り、儲けることが目的だからです。

芸能界も見た目の世界で、タレントの心を軽く扱いますから、反日です。

学校も子供たちを守ろうとしつつも、反日が忍び込んでいます。

多くの会社はほとんどが反日的です。

このように、日本的なものと反日的なものは、政治や運動とは異なるものであると私は思います。

自分だけが出世したい、、、自分だけが金持ちになりたい、、、自分だけが有名になって、、、自分だけが、、、というのは、誰にも十分に与える太陽の恩恵とは異なる、反日の姿勢なのです。

ですので、神国日本というような考え方は、もっとも反日と言っていいでしょう。自分だけ特別だとの意識が根底にあるから反日なのです。日の丸を振ることが日本的なのでは決してありません。

そして面白いように、この反日的なものは、必ず滅びることになるのです。

日本はこの二十年は、人の心を無視し、人間の命を無視した冷たさが覆う時代だったと思います。なので、極めて反日だったのです。

反日は太陽の心に反する態度と姿勢ですから、太陽から離れれば、人は生きられませんので、これは必ず滅びます。

悪い麦がついに育ち、すでに刈り取る時期となったのです。

上が反日的でしたので、日本中に今は反日のスタイルが覆っています。冷たい人間性の上司で苦しむ人達がいます、、本来、出世しては問題がある人達が、見事に上に立ったのです。

寄せ集めが行われています。悪い麦が集められているのです。あのまま、クリントン氏が勝ったら、悪の帝国が完成したという考えの人たちが、トランプを選びました。

日本では飴と鞭をちらつかせ、官僚を支配した現政権ですが、それに耐えられないと思う、自然な人情を持つ人たちが結集し出しています。

主義主張よりも人情と自然な思いをベースにしていれば、必ず大きな力になるでしょう。

先日、偶然、お店で前川前政務次官の話しをしていたら、今、何っていいましたか、、、とお客様がいうので、文部省を辞めた人ですよ、、、と応えると、個人的によくご存じのようでした。

私がどんな人でしょう、、、と尋ねたら、あの通りの人です、と。

まったくあの通りだとおっしゃっていました。飾り気がない人なんでしょうね。

つい応援したくなったのですが、人間性が違うのです。現在のトップたちと。

これからは、別に前川氏が、、、ということではなく、そうでもいいのですが、人間性が大事になると思います。

上に立つ人は、温かな人でないと、この国はうまくいかないのです。冷たい人が上に立つと、すべてを壊すのです。それが反日です。

今の政権はもう終えると思います。時期はわかりませんが、持ちこたえるべきものが何ひとつないからです。持ちこたえようとしているものは、自分らの手の内にあるものだけだということが、多くの国民に見えてしまっています。

今回の政権の変化は、多くの変化をもたらします。日本のこれまでの二十年の悪習慣が一掃されるはずですから、すべてが変わります。終戦後のような事態が訪れると思います。

現政権が終われば、日銀の政策も変わりますので、金融でも大混乱が起きるかもしれません。政策にあぐらをかいていた大企業では生き残れないところも出てきます。

大企業が潰れれば、派生する小企業の倒産などひどい事態も考えられます。

だから未来像がどうしても必要なのです。これまでの冷たい価値観に頼る人間関係は壊れるでしょう。残る、人情による人間関係は強化されるはずです。

自分の居場所をつくる、、、仲間を作ることの重要性については、以前から藤原直哉先生がおっしゃっています。私もそう思います。

藤原先生はかなり以前から、冷たい人間ではダメで、温かな人でないとリーダーになれないとおっしゃってこられました。

本当の反日と日本的という違いも、藤原先生から学んだことです。

これからは、本当の日本的な和を重視し、あらゆる民族とも調和し、心のある者が上に立つ、そうした時代が訪れて欲しいです。

そうでないと、宇宙の意識に反するので、危険でもあるのです。日本ではとくにそうで、反日的なものはうまく行きませんし、必ず滅びます。

現政権で、大企業で、色々な場所で、自分が優秀だと思い、下の人を軽く扱い、イノチと自然を軽く見なした人には、反作用が訪れます。

そういう人には、野田あすかさんのピアノなど聴いてもらい、心を入れ替えて、もう一度、人生をやり直して欲しいものです。

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お知らせ
尾山台にある SHOPマドモアゼル・愛では、ただいま、ポポちゃん人形が皆さまをお待ちしております。

私がお店にいるときは、来店された方にポポちゃん人形を抱いていただき、その後ろから、ゼロポイントタッチによる、エネルギーチャージを無料サービスします。

赤ちゃんの前世記憶で有名な池川先生は、赤ちゃんを数十分ですが抱いていると、抱いた人が妊娠するケースが多くなることを語られています。

私の場合は、実際の赤ちゃんはいないので、代わりにポポちゃん人形でそれをやります。お人形でもけっこういけるのではないか、、、と思っています。

場合によっては、より普遍的な母性を刺激する可能性もあるのではないかと思い、ポポちゃん人形での実験です。

子供が欲しい、、、という方だけではなく、母性が薄らいでいるような際には、かなり良いと思います。

ぜひ、ポポちゃん人形を抱きにいらしてください。飛び切りの癒し体験ができるはずです。

東急大井町線 尾山台駅下車 ハッピーロード沿い
火曜から土曜の毎日、午後1時から6時まで。
日月はお休みです。




 


巨人13連敗 最下位が示すもの

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野球にはほとんど興味がありませんが、巨人の13連敗と、その後も調子が出ず、ついに最下位ということだそうです。

昔は野球シーズンになれば決まってテレビが中継してましたが、最近ではほとんどやりません。ラジオでは今でも中継がありますが、人気はさほどでもないらしいです。

私が20年近く出演しているニッポン放送のラジオ人生相談は、ラジオの視聴率ナンバー1番組によくなるのですが、私が巨人戦よりもいいんですか、、、と質問すると、そうです、の返事を聞いて驚いたことがあります。

野球人気の衰えには驚くものがありますが、野球と言えば、昔は巨人でした。その巨人が13連敗で最下位。

巨人と言えば読売。読売と言えば、最近は首相が読売を読んでくれればよくわかる、、、などの発言や、前文部政務次官の前川氏の行動を邪推するなどで、評判悪化していました。

まさにそれに呼応するかのような歴史的惨敗。偶然とはどうしても思えません。

巨人、読売、自民党の時代に、何等かの影を感じさせる出来事に私の目には映ります。

私がプロ野球が嫌いだった原因の一つに、政治的な役割を野球が担っていることを感じたからです。

大事な案件や法案を国会で強行採決する、、、そんな日には、人気ある野球の試合をぶつける、、意図的にそうしていたかどうかはわかりませんが、きっとそうだったのだと思います。そうすれば国民の目を政治から背けることができます。

私の子供時代、青春時代は長嶋全盛期でしたので、長嶋選手の悪口は言いにくいものがありました。決して嫌いではありませんが、何かしら、長嶋選手に業のようなものを感じ取っていました。

長嶋野球、巨人野球は、スポーツというよりも、政治に見えていたのです。今思うと確かにそうした面があったように思えます。

安保条約が成立する際の国会前には、法案に反対するデモ隊がたくさん集まっていました。

それを見た当時の確か岸信介首相は、国会前にいる人よりプロ野球を見ている人の方が多い、、、というようなことを言ったように記憶しています。

図らずもプロ野球の存在意義を政治的に語っていたわけで、野球やスポーツに助けられている政治運営。

国民の目を政治から背けさせるには、確かに有効かもしれませんね。民主主義も地に落ちたというものです。

昨日は国会で朝の7時46分に共謀罪が成立。わずか一ヶ月程ですぐに施行されるという驚きのスピードです。

1960年代、70年代は、まだプロ野球の存在は大きく、政治運営を助けることができたでしょうが、今は、そうはいきません。

かつての雄、読売巨人軍は13連敗。そして最下位。その背景のまま、共謀罪は成立。

このままいくわけがないことを、背景は暗示しています。

国会の会期も明日で終え、逃げ延びたかに思われるかもしれませんが、むしろ、おかしいという印象は強化されて国民の中に残されます。

火事場や戦場、大変な修羅場では、人の心の小さな動きがむしろはっきりと、そこに居た人たちに印象付けられるのです。

戦場で、銃弾の中で、あいつは俺に助けを出してくれた、、しかしあいつは皆をおいてすぐに逃げた、、、そんな一部始終を人はいつにも増して修羅場では覚えているものなのです。

今回のテロ等準備罪にまつわる国会運営も、修羅場のようなものです。森友、加計問題の逃亡からの法案ごり押しの模様は、国民はもちろん、裏切られた文部省職員の中に根強く記憶されるはずです。

国会が終えるから忘れるだろう、、ではなく、かえって強化されて記憶に残るのです。怒りというよりも憎悪を伴って。

なので、現政権は信頼を失いましたので、もう何をしても結果は悪く出るでしょう。権力維持と権力の保持には優れた政権でしたが、それも信頼を失ったら無理です。

忖度できない官僚たちも、どうせ冷や飯を食わされるのなら次の政権に賭けた方が得だ、、、と思うようになりますし、損得抜きに、人間として許せない、、、という義侠心を掻き立てますから、何が飛び出してくるかわからない。

おそらくナンバー1という売れ行きの読売新聞も部数を相当落とすでしょう。利益あっての企業ですから、現政権と心中するところも出るでしょうが、このままではアウトとばかりに反旗をひるがえす新聞も出てくるはず。

何せ、天皇陛下のお考えと異なる政権ですから、民間がそれに続かない方がおかしいくらいです。

ともかく現政権には闇が多すぎます。なので、それを隠すために強い権力がどうしても必要なのです。

しかし巨人の連敗が示したように、あまりのシンクロ現象であり、先は短いように思えます。

私たちも次の時代の少なくともイメージだけでも持たなくては、力が出てこないと思います。

次の時代のイメージについて、私はかなり以前から、「森と平野に分化定住する時代」として、語ってきました。

著書はすでに完売してましたが、その後もお求めになろうとする方が多かったので、本日、ダウンロード版、及び、自社出版として再販いたしました。

時代は私は大きく変わると思います。次の時代は政府主導で作ることはできず、民間からのリーダーシップが時代を作っていくことになるはずです。

そんな中で、ひとつのイメージ提供を思っての再販です。

これからどうやって生きていこうか、、、これまでの生き方では力がわかない、、、今の生き方に限界を感じている、、、、そう思われるかたは、ぜひ「森と平野に分化定住する時代」をお読みいただけたらと思います。きっと元気を取り戻せると思います。

 

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感情は物質

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昨日、三日間にわたった、ふるべ合宿を終えて東京に戻りました。ひとつのテーマにじっくり三日間取り組めた成果はとても大きいものがありました。

ご参加された方々に改めてお礼申し上げます。合宿の内容は、すべてのイノチが振動していることの実践と体感ですが、そのためには、自身の体の位置づけがとても重要になります。

身体が自分なのか、意識が自分なのかの、究極の認識です。

私達は、多くの場合、身体が自分だと思って生活していますが、そのことでむしろ体を酷使し、壊したり、弱ったりしていきます。

身体が自分ならば、動かない身体へのいらだちや、老いていく体へのあきらめや憎悪から抜け出すことは容易とはなりません。

しかし、反対に肉体ではなく、意識が自分であるとの認識に立てば、肉体はその従属物にあたる認識が生じます。

身体に私達は命じることも、それを従属物として、いたわり、大切にする姿勢が反対に出て来ることになるわけです。

お腹が空いた、、、、それは確かに脅威かもしれません。
身体が痛い、、、、それは確かに脅威でしょう。
身体が思うように動かない、、、、それは確かに困ったことです。

しかし、意識が自分で身体がその従属物であるとの認識に立てたら、次のように問題が変化します。

私はお腹を空かすことはないが、私の身体はお腹を空かしている、、、
私は痛くはないが、私の体が痛がっている、、、
私は自由に動けるが、私の体は今動けないでいる、、、、

という認識の出現です。こうした認識のもとでは、身体が自身の隷属物であるため、むしろ、いたわり、大切に扱うことが容易となります。

身体が自身であるとしたら、動かないからだ、、疲れる体、、、老いる体に抵抗するすべがなくなります。

身体はあくまで意識に隷属する別物との認識がこれから重要になってくると思います。時代がそこまで要請しているのを感じます。

この認識はそんなに難しいものではありません。なぜなら、意識が自分で肉体が隷属する別物であることは事実だからです。

事実に基づく認識は容易に自身の中に根付きます。

今回の合宿では、身体を震わすことを徹底して行い、エネルギーをふるべによって得ることを体得しました。

その際、ふるべの性質から、より微細なふるべ、すなわち振動が小さい方がより大きく精密な情報をもたらすことを実感できたと思います。

その究極に、私は身体か、それとも意識か、、、があったわけです。

自身が肉体ではなく、意識であるとの地点に立たない限り、肉体や身体を扱えないことを実感できたはずで、より微細な振動は、まさに意識であることを実感されたと思います。

そのため、合宿を終えた皆さんは、全員体が軽くなり、まるで柔らかなマシュマロのような道を歩いているような体感になったのです。全員です。10名が全員、そのような体感を得ました。

それは方法論としての成果の面と、意識と肉体の違いをおぼろげながらでも認識できたからにほかなりません。

私は意識であり、苦しむのは肉体の自分で、私は苦しむことがないのです。

こうした意識に到達することは、一般に考えられているほど難しいものではありません。

合宿では、主に寝るスタイルでふるべ実践を行いましたが、寝ながら振動を与えると気持ち良くなり、終えたのちに立ち上がることに抵抗が出てきます。

しかし、身体が立つのではなく、意識が立つ、、、との考えによれば、簡単に立てるのです。

疲れるのは、私ではなく、私の肉体が疲れているだけなのです。

私の体さん、、、ごめんね、もう少し歩くのよ、、、がまんしてね、、、すぐにお水をあげるからね、、、、

このように、肉体を自身と思わず、自身の管理物であるとの態度でやさしく、いたわり、大切に扱うことで、容易に私達は奇跡的なことを起こせるのです。

合宿はふるべ理論の集大成として、私にとっても非常に意味のあるものとなりました。本当にありがとうございました。

その中で、陥りやすい間違いもわかってきました。感情の扱いです。感情と意識はもちろん異なります。感情を見ている意識は別にありますので、感情は肉体に近い反応です。

というよりも、感情は物質と思った方が分かりやすくなります。感情は物質なのです。食べ物に美味しいものがあったり、まずいものや苦いものがあって困るのと同様、感情にもまずいものや、苦しいものがあるわけです。

感情に従って選択していくと、必ず失敗するのは、おいしい食べ物を食べ過ぎると病気になるようなものです。

感情は物質ですから、それを扱う意識が伴わないと、問題が起きるわけです。

ただし、感情もどこに根差して現れたものであるかが重要で、一概にすべてが物質というわけでもありませんが、苦しい、つらい感情は間違いなく物質なのです。

高度の喜びは意識と同じ地点に立ちますので、主に苦しい感情は物質として扱えば、怖いものは基本的になくなります。

こうした基本的な事柄を、一度私達は整理して考えることが大切であると思います。

きょうからみなさんも、おなかがすいたら、ぜひ、私はお腹がすくことはないが、私の体はお腹が空いている、、、と考え、そのうえで食事されてみてはいかがでしょう。これを続けることで、色々な発見があると思います。

疲れた時も、つらい時も同じ、、、すべては共通した原理なんです。

昨日の選挙結果も出て、変動の予感があるのではないでしょうか。春分図での予想があったのであまり驚きませんでしたが、変化のピッチは早まることでしょう。

時局については、また改めて語らせていただきたいと思います。

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まだやるつもり

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現政権はかなり追い詰められていますが、それでもまだやるつもりのようです。

将棋で言えば、すでに勝負ありで詰んでいても、将棋盤を付け足してまで王様を逃がしているような状況でしょうか。

春分レポートで書きましたが、早ければ6月にも現政権は終わると思いましたが、どうやらもう少し伸びそうです。

しかしそうなるとさらに深い傷を負うことになるでしょう。この政権はできた時から、本当はあぶり出しの政権だと思っていました。

昔、日本の軍隊が力を持ち過ぎた際に、無謀な戦争に走り、結果として軍部をつぶすようなことが起きた、、それと同じに思えたのです。

なので、一見すると現政権は最強の政権に見えますが、それはこれまでの行き過ぎたものをすべてあぶり出し、根底から覆す機能となって働くことになったのです。

これで明治以降、日本の根底に巣食っていた反日的なものが終えて行くことになるはずです。日本的と思わされていたものが、本当は反日的なものだったのです。

日本は言霊幸はう和歌の国であり、中央集権的なものは、それに反します。軍隊や警察力強化だと、日本人の良さがどうしても生かせなくなるのです。

日本は日本人によって、勝手にやらせれば自然とうまくいきます。民生が自然と豊かな方向にゆく、日本の特徴です。

私が考える日本人は、日本語を話す人のことです。国籍はどこでもいいのです。日本語を話せば、和の芯が自然とできてきます。それが日本的なるもので、独善的な日本魂のイメージはむしろ反日なのです。

日本人の脳というベストセラーの本を書かれた角田博士と、私は個人的にお付き合いさせていただき、一緒に台湾大学の研修などに参加したことがありますが、博士は常々おっしゃっておりました。

日本人の言語は特徴があって、日本語を10歳ごろまでに第一言語として育った人は、独特な脳になっていくと。母音が大きく関係しているのです。

母音を右脳で処理するのが外国の人で、日本語を10歳までに語ると、それが左脳で聞くようになっていきます。例外はまずないそうです。

自然界や生きとし生ける者たちが発す音は大体は母音ですから、母音はイノチの音になります。各ランゲージを覚える前の赤ちゃんは、世界共通で母音の発声となり、本当の人類の、イノチの共通言語が母音発声であることが分かります。

これこそが、日本的なるものであり、中央集権的な意識とはまったく異なるのです。すべての和を重視する日本語を、私は角田博士と台湾で一週間共に行動することで、確かに学びました。

博士は日本人はそういうわけで特殊だから、日本人らしいやり方でやらないとダメなんです、、、とおっしゃっる。海外のマネをしたらよいものが出ないと。

世界も日本もこれまでのやり方に限界が来ており、このままを通すには、強権や支配による方法しかない状況に至っています。

クリントン氏や現政権がやりたかったことがそれですが、クリントン氏は負け、世界でも、現体制を強力に推し進めようとする勢力に限界が出ています。

やはり時代は変わったのです。

日本では現政権はそれでもまだやるつもりですが、そうなるとむしろ根底までそのおかしさを露呈する結果が待つでしょう。

私たちは次の時代の準備を始めなくてはなりません。放っておいても、時代は必ず変わってゆくからです。

安倍氏、麻生氏、甘利氏、、、奇しくも全員がおとめ座。正反対にあるうお座の海王星の影響が出始めています。

自分ではわからないのです。自分ではうまく行っているように思えて、その考えもやり方も、すべてを国民はお見通しで見ているのです。なので、やればやるだけボロが出てくるサイクルに入っていきます。

おとめ座の特徴はそれでも辞めない、、国民の思いとどんなに乖離があっても、そのことが手ごたえとしてわからないのです。おとめ座が周囲の批判にさらされると、これは徹底的にそうなります。批判の嵐が待つことになります。

現政権が何とかやれるのは、他の受け皿がないためです。この点の政治力は見事としか言いようがありません。

まず、政治不信を常態化させるわけです。選挙をダサい人が行くものにしてしまうのです。投票率の低下こそが、政権維持の重要課題です。

徹底的に政治不信を広め、投票率を下げる、、、一方で組織票を確実なものにしていく、、、そのための組織もあれば宗教もあり、何でもいいのです。組織票があれば。

一般人は選挙に行かず、組織票がデンと構えていれば、かなりの少数で政治を動かすことができます。

これが民主主義の操作の基本にあります。次に反対勢力の受け皿を作らせない。そうすれば、前記した成果が確実になります。

そのためには、反対勢力に見せて、本当は違う、、、というものをつくればいいのです。第二自民党という言葉がありますが、それは受け皿に見せて、実は政権のために働く結果となります。

受け皿を絶対につくらせない、、、そのために働く第二自民党、、、よくできたシステムです。

昔の民主党は受け皿として成功し、鳩山内閣ができましたが、すぐにマスコミ攻撃にあい、内部からの造反で失脚しました。次の民主党政権は実質第二自民党として機能しましたので、消費税を通して悪役まで買って出て、自滅解散して自民党に席を譲ったのです。

あまりにでたらめですが、その現状は今でも続いています。なので、本当の意味での受け皿を作れれば、あっという間に政治は変えられます。

受け皿を一本化させない力、、、それが、現政権と同じものであると思って間違いありません。結果として、分離分裂をもたらすやり方のお蔭で、悪政は安泰化するわけです。

しかし、このことを国民はすでに気づきだしていますので、改心した籠池氏が維新の会を恨むのも、理解できるというものです。もちろん維新に限ったことではありません。

都民ファーストもその点何が本音なのかと、今、国民は薄目を開けてみているところです。結果的に現政権を助ける働きの動きを見せたら、小池氏と言えども、すぐに人気を落とすところまで、国民の目はしっかりしてきています。

それほど、国民の生活が苦しいのです。国家の私物化を絶対に許せない気持ちなのです。

果たして、どこがどういう形で受け皿を作ることができるでしょう。それに成功すれば、一瞬で国も政治も変わるところまで来ました。

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善悪、吉凶、双頭作戦の終了

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日本が終戦を迎える前、まだアメリカとソ連が仲良く第二次大戦で協力し合っていたころ、ひふみに次ぎのような内容が筆としておろされました。

総大将は奥に隠れて、一の大将と二の大将が相争うにように見せて、世界をヤワにする仕組みすでにできているぞ。

うろ覚えですが、確か、そんな内容であったと記憶しています。総大将は誰なのかよくわかりませんが、一の大将とはアメリカ、二の大将とはソ連をさすことは間違いありません。

戦後、資本主義と共産主義は確かに相争うように見せて、世界を支配してきたことはご存じの通りです。

仲が悪いように見える二つの勢力ですが、実は常に協力し合っていたわけです。

資本主義がアメリカを中心にしてできると、次に取り掛かったことは、それに敵対する勢力としての共産主義でした。

ソ連ではレーニンが有名ですが、レーニンを財政的に支援したのが資本家であったというのは、知る人は知る有名な話しです。

レーニンの封印列車と呼ばれる列車に武器や金塊を運ばせて援助した話しを、以前、馬野周二博士から伺ったことがあります。

要するに共産主義も資本家によって作られたことになり、相対する二つの勢力を作って、全体を支配するやり方が現代まで続いていたわけです。

911後のアメリカでは、愛国者かテロリストかの、二つの見方で政策が取られ、人々は一定方向に強制的に向かわせられてしまい、イラク進行というおかしな方向に国は進みました。

その後そうした勢力のトップにあったとも思われるクリントン氏は、因縁でしょうか、昨年の911式典で倒れて運ばれました。

資本主義、すなわち自由主義か共産主義か、、、と人類に迫り、数多くの戦争が起こされ、多くの人が死に、殺されました。

人間の人格や個性など関係なく、どの思想を取るかで、人が殺され、拷問に合うような気が狂った時代が、今なを続いていると言ってもよいでしょう。

人間の命よりも考えの方が上に来る矛盾が、これまでの時代運営の流れの中にあったのです。

そうした時代を作ったのは、一部の金儲け勢力でした。金儲けの一番の方法は、人の地に入り込んで勝手に奪う、、こん棒で人を殴ってアフリカ大陸から連れてくる、、、確かにそれは儲かることでしょう。

蛮行を正当化するものは、野蛮人か文明人かであったり、キリスト教徒か異教徒かであったりと、常に分けられた価値観によって自分らは正当化されるシステムでした。

対立する二つの勢力をぶつけ合い、その対立によって、双方から儲けをいただく手法が地球をダメにしました。

残念なことにそれは今でも続いています。最終的には、優生学に至る考えがそれですが、生命に優勢も劣勢もへったくれもありません。

中東のあるところでは、昔は修派の異なる民族が仲良くくらしていたところが数多くありました。

その場所がたまたま、軍事的重要ポイントであったり、石油が埋蔵されていたりしたら、その地域を狙う悪者は、戦争を起こすことを考えます。

戦争を起こす方法は研究し尽くされており、例えば、一方の民族を殺して、隣の民族がやったように思わせる、、、逆でも同じことをする、、、マスコミを支配し、一方的に相手が悪いように双方のマスコミで掻き立てる、、、

さらに何度かのやらせ事件をつくれば、双方を憎ませ、戦争に持ち込むことができるわけです。

戦争になればしめたもので、双方に金を貸して武器を買わせる、、、戦争で家が焼け、町が無くなれば、その後の復興で大儲けできる、、、、戦争で疲弊した双方は、弱体化しているので、どちらが勝つにせよ、その土地を奪うことができる。

表だっては目立つので、どちらかが勝った場合でも、勝った方にも金などを貸しているわけで、重要なポジションを奪い、自分らの儲けられるように戦後運営を行う、、、

金融でも同様の方法で儲けることができるでしょう。安定した状況があれば、民は蓄財し、景気を良くし、バブルを作る、、、その後、はしごを外せば、民が作った資産はすべてはしごを外した人のところに行きます。バブルはそのために作られます。

こうした羊狩りを資本主義の中でも数十年に一度起こすことで、富が一方的に流れていき、一般人は常に貧乏ということになります。

働かせ、浮かれさせ、投資させる、、、それに乗る民衆。羊のように太らせた民からすべての羊毛を奪う1パーセントの人、、、という構図。

これも資本主義の中では当たり前の光景です。一方の共産主義の中でのヒエラルキーはさらに完璧で、民はもろに奴隷そのものであり、抵抗すれば迫害と死が訪れる完全なシステムです。

その実験がソ連で数十年、東ドイツで数十年、北朝鮮と中国でも数十年続いたとみることもできるわけです。

最終的には、双頭作戦は終了して全員奴隷システムを考えていたはずですが、ここに来て歴史の逆転が起こり出しています。

双頭作戦の破たんです。インターネットのおかげで人はその気になれば、正しい情報を手にすることができるようになりました。

すると今起きていることが、国と国との関係や、資本主義と共産主義との関係でもない、同じ国の中に、実は違う勢力があり、むしろ、そちらの方の争いを知るようになったのです。

中国が悪い、、アメリカが悪い、、と、簡単に言えない関係性が重要で、本当の民衆の敵は、どこかの国ではなく、自分らの国の中に、本気で日本のことを考える人と、そうでない人がいる、、、そちらの方が重要であることがわかってきたのです。

外に敵をつくれば、戦前の日本がそうでしたが、簡単に日本人全体を支配できます。なので、やすやすと戦争に進めたわけです。日本の将来をおもんばかって戦争に反対した人は、ひどい扱いを受けたことでしょう。

このように、双頭作戦は色々な形がありますが、二つの勢力や価値観でまとめさせられれば、どのような形であっても、利益をそこから引っ張ることができる人に利用されたのです。

なので、本当の問題は、どこかの国や政党でもない、そうした双頭作戦を使って自分らの立場を強化しようとしている人が問題なのだ、、、ということに、日本人もだんだんと気づいてきたのです。

自民党が良いでも悪いでもなく、民進党が良いでも悪いでもなく、大体は悪いと私は思いますが、その中にも、確かに裏切り者もいれば、民を思う人もいる、、、その争いが今後起きてくるわけです。

文部省が悪いのではなく、文部省の中に、本気で日本のことを考える人もいれば、出世だけを考える人もいる、、、その争いが起きてくる、、、と思えばわかりやすいかもしれません。

そこらへんを含んだ再編が今後起きてくるでしょう。民進党も割れる、、、自民党も割れる、、、思わぬ大きな再編となり、受け皿として、オリーブ連合のようなものとなるのか、どうなるかはわかりませんが、民は政党ではなく、人間そのものを見て判断するようになっていくことでしょう。

受け皿を割ることが従来勢力の考えですから、インチキ受け皿もかなり出てくるはずです。隠れ自民党にずいぶんやられた日本人でしたから、またやられるかもしれませんが、段々と学んで目が肥えてきてますので、何度かの再編の後には、民意を代表する政治の道がスタートするでしょう。

24日と25日に予算員会を閉会中でも開くことになったそうで、どうなるでしょうか。

加計学園問題が焦点のようですが、本当の大詰めは、森友の埋設物です。本当にゴミがあったのでしょうか。もしなかったことが判明したら、即刑事事件となる案件ですから、本当の天王山はゴミ問題なのです。

200トン程度しかゴミがなかった、、という資料が出ているそうですが、そのことを、野党が本気で追及するかどうかで、誰が本物か、私は判断しようと思っています。

ゴミ問題が嘘であったら、すべての論拠がくずれます。ここを本気で追求する人は、双頭作戦の人ではあり得ません。どうなることでしょう。

お知らせ
マドモアゼル・愛のカウンセリングセミナー8月28日(月)
相手の心に届くカウンセリング手法を学ぶ一日セミナー 

占星術の鑑定、及び、長年にわたる人生相談で得た私なりのカウンセリング手法があります。何をする場合でも、関係する人とのふれあいと理解が重要です。人を指導する立場の方、面談や人の相談に乗ることが多い方に、おすすめしたいセミナーです。午後1時から6時までの長時間セミナーです。
参加費 18000円  場所 尾山台のアトリエ
詳細は下記まで
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ふるべとクエーカー

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キリスト教派のひとつに、クエーカーがあります。

日本ではあまり知られていませんが、これまでにキリスト教の名の元に、一人も殺したことがない教派としても知られています。

神はすべての人に表れる、、、との確信の元に、内なる光を求める神秘宗教でもあります。暴力は常に謝りであるとの確信を持ち、多くの良心的兵役拒否をしたことでも有名な一派です。

日本でもクエーカーの教えを元にした、普連土学園が港区にありますが、今では他のキリスト教とそれほどの差異はあまり見られないかもしれません。

さて、このクエーカーのクエークは、揺れる、震えるから来ています。

創始者はジョージフォックスという人ですが、最初のころの信者は、祈る際に震えて入神の境地に至ったようです。

フリーエネルギー論では、振動しているものはエネルギーをもたらしますので、震えれば、振動していれば、必ずエネルギーを取り込んでいることになります。

日本の古神道の呪文として有名な「ふるべゆらゆらとふるべ」と唱えれば、死人も生き返った、、、と言われるあの言葉。

原始クエーカー教徒も祈りながら震えていたわけですが、ふるべゆらゆらと共通する点があると思います。

というのは、体を震わせるポイントがあり、それが祈りのスタイルでもあるのです。

両手の力を祈りの形で拮抗させて、左右に揺らせば、体全体を揺らすことができます。

横揺れと縦揺れ、、、すなわち十字架の形となる二種類の揺れ現象を作ることができます。

体を揺らせば、それだけで確実にエネルギーが取り込めますので、原理的にはどんな病気も治せるはずですし、若返りも可能なはずです。

はず、と言って断定しないのは、結果は人によって異なるでしょうし、科学的な根拠なしのため、判断は個々人にゆだねたいからです。

揺れる、、、振動する、、、ということは、ギャップを作ることです。揺れれば、筋肉や贅肉や血管、周辺の空気や音との間に複雑なギャップができます。

ギャップができれば、それを元に戻そうとする力が働きますので、それが反作用であり、反作用にエネルギーがあるという、私のフリーエネルギーの考えです。

ギャップは元にもどされ、常にゼロポイントを作り続けます。ギャップが続くあいだ、幾多のゼロポイントが贅肉や筋肉、骨、血液や血管、周辺の空気などとの間に形成され、ゼロポイントからエネルギーが入ります。

体を揺らせば、即エネルギーが入るわけです。ただし、無理な揺らし方や振動を与えると副作用が生じがちですから、筋肉や組織を痛めてしまう場合もあるでしょう。

その際、祈りの姿勢は無理ない振動の要となり得るのです。しかもそれは縦と横の十字架形となります。

昔、クエーカー教徒が真剣に祈るとき、体が揺れたと言います。祈る姿勢は体を揺らしやすくします。するとエネルギーが入りますので、法悦や無心、内的な光に出会ったのだと思われます。

現在のクエーカーではそうした体験的なものは昔よりは少なくなっていると思いますが、おそらく今でも続いていることでしょう。

一方、日本の古神道のふるべゆらゆら、、、の方は、すでに昔の話しとして片づけられ、今なを、ふるべゆらゆらが、真実であるとの考えはないと思われます。

ですが、クエーカーもふるべも私には同様の真理を物語っているように思えてなりません。しかも、それは今なを変わらぬ永遠の真実なのです。

お知らせ
9月23日と24日の二日間、ふるべ通い合宿を行います、上記した内容を実践的に行い、今なを生き続けている真実を知ることで、これからの生き方を根底から変えるセミナーになると思います。詳細は下記へ

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作用のない生き方

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人は誰でも生まれてきた以上、自分として生まれた意味があります。

きれいごとや理想でそう言うのではなく、法則が理解できたらそれが事実であることに気づきます。

なんで、顔がみんな違うのか、、、なんで声が違うのか、、、体形も違うのか、、人は誰でもその人特有の個別性をもっています。

その個別による作用は、その人にしかできないものです。そこに意味があります。

個別性は優劣とはまったく違います。私たちは自身を優劣の価値観でとらえて、落ち込んだりがっかりしたり、自分を卑下したりしがちです。

しかし、個別性にこそ意味があるとしたら、それは無意味な考えであり、害ですらあることがわかると思います。

作用に意味があるとなれば、個別性が大切であることがわかります。

作用にこそ意味があるとは、これがエネルギーの法則だからです。作用すれば、必ず反作用が戻ってきます。この反作用が宇宙の本当の力です。

作用の個別性があるため、宇宙ではまったく同じ作用は存在しません。そこに意味があります。

風に揺れる木々の葉を見ていると、いつも同じように揺れているように見えますが、実際はまったく同じに揺れることはありません。

1000年も生きながらえている大木の葉は、1000年の間、一度としてまったく同じ動きをしたことはないはずです。無数の葉が揺れる、、、その風の強さは異なり、温度は異なり、隣同士の葉の成長度合いも違う、葉擦れの音が織りなす変化もあり、葉が同じに動くことは絶対にありえないのです。

何十億人いる人の顔があきらかに全員違うように、葉の動きは二度と同じ再現をすることはありません。

優劣ではないのです。個別性が大事なのです。有志以来、葉の動きと同じく、地上に吹く風も湿度も似たようなケースはもちろんありますが、まったく同じということは絶対にないのです。

すべてが新たな作用として表現されているから、この地上も宇宙もその反作用が途絶えることなく、生き生きと生きていくわけです。

しかし、優劣の価値にそまってしまった人間の考えでは、誰かのようになろうとする、、、優位に立とうとする、、、最終的に金、地位、権力、美貌などを目指す、、、

優劣をつけようとすると同じ結果を求めることになります。

飯島先生は「間違わないようにでは練習しておかなくてちゃ」という人の言葉を聞いて、「人生に練習なんかあるんですか」とおっしゃったのを聞いたことがあります。

一時一時が真実であり、無駄な時間もなければ、特別に大事な時間ももしかしたらないのかもしれない。

すべての時、流れ、瞬間は一時だけのものであり、同じものはこれまでになく、これからもないのです。

作用、、、飯島先生は、チューナーを叩くのを見て、本当にいい音が出せたら、もう死んじゃってもいいよね、、、とおっしゃったので、私は驚いたことがあります。

良い音を出すという素晴らしい作用に対して、どんな反作用が戻るかを先生はご存じだったからです。

作用の中でも、命はひとつ、、、という視点に立った作用なら、宇宙全体を成長させる反作用が訪れることとなるわけです。

自分という枠内からの作用でも、もちろん反作用は戻りますが、限定された枠内でのものとなります。

広く深い意識が伴った作用には、宇宙大の反作用が訪れる、、そのために、私たちは自分でしかできない偉大な作用がなせるように個別性が与えられています。

病院で大勢の最後を看取った人が、いみじくもおっしゃるのは、死ぬ最後で後悔されるのでもっとも多いのは、挑戦しなかったことなんです、と。

安全神話、、、安心していきたい、、、冒険などしないで平穏に暮らしたい、、、、、人情としてはよくわかりますが、私たちに個別性が与えられている以上は、私にしかできな作用があり、、、自己保身から出た作用だけでは、死ぬ際に人は満足しない、、、ということでもあるのでしょう。

先が見通せない時代になっているため、多くの人が防衛的な生き方になっています。防衛して本当に自分を守れるならそれもいいのですが、防衛すればするだけ、むしろ自分も周囲も守れなくなることがあります。

 

みんなが自分の防衛だけからの作用しかしないので、地球や自然に戻る反作用が得られない、、、自然が疲弊していく、、、自然は大地寝返りをうてばすぐにでもエネルギーが補給できるのですが、それだと人類は終わってしまう。

 

大地の我慢、、、

先が見通せる時代なら防衛的な生き方でも利息がたまってきますので、安全神話もよくわかりますが、今はそういう時代ではないように思います。あまりにみんなが保身ばかりなので、作用の質が同じ。結果として地球規模での反作用がない。

いい子ちゃんでいると、見えない、、、社会の価値観を真に受けていると、きっと見間違う、、、自分の作用を信頼しなくちゃ道が開けない時代が始まっています。

凝り固まった価値観と、自分だけよければで進んでいた時代には、もうエネルギーがなくなっているのです。

なので、常識の船が一夜にして泥の船に化ける時代がもうすぐやってくる。

個別性で行けば、きっと抜けられる、、、この価値観の変化が必要になっていると思います。みんなが個別になれば、地球にもエネルギーが戻ってくる。そうすれば自然災害も収まる。自然災害はかけまわしてエネルギーを得るためのものだから。人間が汚した結果なんです。

自身の保身からの作用だけではもう先はない。つまらない価値に竿さす生き方、時代に竿さす作用でいいのでは。

その際に、作用を生む意識が有限のものか、無限のものかがポイントになります。

作用する意識が有限なら有限のものが戻り、作用する際の意識が無限に根差すものなら、宇宙は無限大の反作用で私たちを違った地平に連れていってくれる。

有限の意識で自分を守ろうとするのは、お金さえあればすべての問題が解決すると思っているようなものです。それはもうすぐ間違いであることがわかります。お金は人間が作ったものだからです。

あなたの中にある有限の意識と無限の意識、、、どちらを選択するかによる作用で、未来は変わるはずです。

おなかがすいた人が、あいつも腹が減っている、、、あいつも減っている、、、この子もだ、、、あの子もだ、、、みんな一緒だと、、。

そしてみんなが食えることを考えた作用をすれば、大きなものが戻る、、、本当の豊かさが戻る。

自分だけ私だけここだけ金だけ、、、その作用で行えば、周囲と人を滅ぼしていくことに気づかねばならない時代なのです。

理想論で言っているのではないのです。

何をもらえるかが大事なのではなく、何を出すのかが大切なのです。

出したものだけが戻ってくるのです。

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shopマドモアゼル・愛は8月17日から21日まで夏休みです。その他は通用営業しています。

現在shop内の野菜畑がいっぱいで食べきれません。来店された方には無農薬の栄養たっぷりの元気野菜をお出しいたします。
 

失われた20年と百武すい星

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失われた20年とは、バブル以降の日本の政策と方向に確たるものがないまま、目先の結果主義がはびこり、上に立つ能力のない人によって運営された日本の状況を言います。

ビジネスにおいても政治においても、これ以上下がない、、というレベルまで落ち込み、能力のある人、人間性の高い人は角に追いやられ、その総決算がこれから始まるところに来ています。

どの組織に置いても、実力のない人が上に立ち、その周りにはイエスマンが取り巻き、自動的に上がる利益を仲間内で分け合うだけの運営が続いた20年でもありました。

その間に日本では売れるものが作れなくなり、内需は低賃金に抑えられているために振るわず、能力のある者は煙たがられ、次なる物や、新しい物やサービスを作れぬまま、ここまで来たのです。

生活はつまらぬパターン化に陥り、民心の活気は消え、何とも言えぬ不満だけが渦巻くストレス社会を作りました。

上に立つものがおかしいと、すべてがうまくいかなくなります。その実験を日本は20年も続けたのです。

その間に日本は一流国どころか、二流国以下に落ち込む部分も多く、国力を失いつつあります。

これだけ働き、これだけ我慢しているにも関わらず、日本人は決して豊かになれない。一部の上の上だけが肥えて、他は皆ひもじい生活を段々と与儀亡くされて来ている。

このままでは将来の夢や計画すら立てることがかなわず、結婚して子供を産もうとの気持ちも絵空事となる。

意図的にこうしたとまでは言わないが、かなりの部分、国を売り渡すような気持ちがなければ、取りえなかった政策の結果であるともいえる。

自分だけが良ければ、、、の人間の弱さを巧みについたやり方であったが、その結果は誰一人得しない社会を作って行った。

20年前に実は、天の異変がありました。

おそらく皆さんはこんなことは信じようともしないでしょうが、私は星を読む仕事でもあって、20年前の天の異変に気付いていました。

気づいていた、というより、それは恐れに近い気持ちでした。

今から20年前、正確に言うと1996年、21年前の3月24日の晩、、、それは今世紀最大の彗星が上空を通過する日でした。

わずか数か月前に百武さんが発見した百武すい星の出現です。

この彗星はヨーロッパでも日本の都市部でもほとんど見られなかったため、あまり大きな現象だったとの印象がありません。

私は百武すい星を見に、長野県の山中に出かけ、彗星の出現を待ちました。夕方にぼんやりその姿を現した彗星は夜の深みと共に漆黒の中にはっきりと全貌を表したのです。

百武すい星を実際に見た人は、皆一様に、「あれは最高の彗星であんな彗星はこれまでに見たこともないし、これからも、おそらく見られるとも思えない」と、誰もが言います。

実際にその通りなのです。物凄い彗星でした。全天の半分ほどを占める巨大なとんでもない彗星の姿でした。

翌年に最大の彗星と言われたへーるポップ彗星を多くの人は言いますが、実際に観測した人に言わせれば、問題外で百武すい星が凄いといいます。

百武彗星の巨大さを別として、私がさらに驚いたのは、彗星の巨大な尾が、北斗七星のししゃくを貫いていたのです。

北斗のししゃくを貫く、、、天の水がこぼれる、、直観した私は時代が変わることを知りました。

天の異変が地上に影響を与えるなど、星読みにしか理解できないことですが、私の直観は疑いないものでした。

時代が変わる、、、しかも、天の水が漏れるように、、、すなわち、つまらぬ人為が大きな原理に勝つ、不毛の時代の到来を知った瞬間でした。

そして21年の月日がたち、私の予感はその通りとなりました。しかし、何であれ、時代にはいつでも天の時と地の時があります。

天の水が漏れ尽くし、枯れ果てた末の時代を私たちはこれから受け入れるしかありませんが、それだけではないのです。

これからもかなりの負担や不安を掻き立てる一面で、さらに大きな扉を開けられる機会ともなるのです。

次回のブログでは、天の水が枯れ果てた後の立て直しについて、語らせていただきたいと思います。

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十六代将軍を探す無意味

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時代が大きく変わる時期があります。通常、多くの人は5年同じ状況が続くと、それが永遠に続くと勘違いします。

失われた20年について前回のブログで話しましたが、現在の閉塞状況は20年以上続いていますので、人々の気持ちの上に一種のあきらめに似た感情が沸き起こるのも無理はありません。

不毛の時代でありながら、それを認めず、インチキなどうにでも取れる数字を都合良く見せてきた政府や大企業の罪は大きいと思います。

嘘をつくことで誤魔化し、すべてうまく行っていると言いながら、何ひとつうまく行ってなどなかった20年。

システムさえ壊さなければ、自分らは安泰でうまい利益が保証される、、、そのために、ちっともうまく行っていないシステムを嘘を突き通してうまく行っていると言い続ける。

腐った人にしかできないことでしたが、民衆操作が上手で、マスコミを巧みに使えたため、無茶が通りました。結果、世界でも日本でもどうにもならぬ貧困が覆い始めた始末です。

表面を泡立てたくない日本人の習性を質にとって、インチキと嘘を貫き通してきたやりかた。

しかしそのせいで、大きな嘘があるという直観が多くの国民の中に芽生えつつあるのも事実です。

それは確かにその通りなのですが、嘘があまりに大きいので、善良な人は、まさか、、、と思ってしまう。多くの人はまだそこまでは気づかない。

しかし考えてみれば、戦争も権力維持と金儲けのために起こしてきた事実があるわけで、民衆を誤魔化すことくらい、平気でやりそうなことだと思う方が自然。

歴史の嘘、科学の嘘、医療と医学の嘘、金融の嘘、、、すべての大本がほとんど嘘だと思ってもいいくらいだと、私は思います。

色々な考えがありますので、自分の考えが正しいとは言いませんが、戦争などは必ず嘘が混じっていますし、混じるどころか、根幹が嘘だと思います。

小学校時代、みなさんはクラスで大喧嘩をしたことがありますか。おそらく一二度はあるでしょう。そのうち、相手と殴り合いの大喧嘩になったことはありますか。

おそらく何人に一人くらいはそうした、殴り合いの大喧嘩を体験したことでしょう。

小学生と言えば、まだ幼く、自分を律することができない年齢です。でもその小学生ですら、殴り合いの大喧嘩など、めったに起きることはないのです。

ひるがえって、どの国もそれを運営するトップ連中や官僚たちは、それなりに理性的な人ばかりです。政府高官などと縁ある私ではありませんが、それでも歌を通して海外の政府高官とお会いし、一時期ですがおつきあいした人は何人かいました。

日本の官僚の上ともやはり歌を通したご縁で知り合いましたが、みな、人格者であり、とにかく理性的でした。殴り合いのけんかなど、決してしない人ばかりに見えました。

しかし、それが国という単位になると、戦争ばかりしているのです。小学生でもしない争いを平気で行う国とは、一体何なのでしょう。

国家もある意図によって作られたものであり、私らにはわからない大きな嘘や秘密がきっとある、そうした構造をしていると考える方が自然です。

この世には、その根本に大きな嘘やごまかしがある、、、と考えることができると思います。この世的な力を持つものは、その大本の嘘に自然とつながる構図となるでしょうから、この世は常に不幸で争いが絶えないと思うのです。

大本に嘘があるためです。これは何も国に限ったことではありません。個人の運命を知る意味でも、自身の大本が何かが大事になります。

大本が肉体なのか、大本が魂や意識なのか、、、すべての出発が実はそこにあるのです。

大本が本当は意識と魂であるのに、この世を支配する人にしてみれば、人間の大本は肉体であると思わせた方が有利なのです。

この世のあらゆる問題の根底には、人間は肉体がすべてだと思わせる嘘があるということになります。

肉体がすべてなら、損得や量的なものや時間的なもののみに意識が向きます。意識はすべての現実を生む唯一のエネルギーですから、物に向かった意識は物社会とそれを維持するための方法論の世界に行き着くことは明白です。

この点で私たちは大ウソをつかれたのです。そして悲しいことにその通りだと思っているのです。なので、この社会は嘘のまま維持できてしまっているのです。

しかし嘘には本当のエネルギーはありませんので、人身御供的な犠牲がなくなれば崩壊することになります。

大勢の善良な人がいたうちは嘘は善良な思いを食いつつ増大できますが、多くの人が疲弊し、自身の善良さにも自信を失いつつある現代では、嘘自体を継続させるエネルギーも不足してきます。

なので、ボロボロと嘘がバレていくわけです。この傾向は今後も増大することはあって元の嘘全盛の時代に戻ることにはなりませんので、結果は本当は見えているのです。

とりあえず、嘘の社会を維持させるためには、大嘘をさらに巨大にし、巨悪化する以外にありません。大衆が疲弊して善良さに限界が来ていますので、嘘が巨悪化してギャップを大きくする以外に嘘が生き延びる道はありません。

だから、どんどん悪くなっていくわけです。しかし、絶対マイナス温度は決まっているように、悪には限界があります。逆に上の温度は何万度でも何億度でも上がありますので、温度差によるギャップはひとつが上に行けばいくらでも作れます。

あくまで温度を例にした話しですが、なんでもギャップがあればそれを元に戻そうとする力が宇宙の本当の力なので、ギャップがあればエネルギーは訪れるのです。

善も悪も同じで、ギャップを形成させる一要素です。どちらも本当は有り難いものなのですが、全体が悪化しギャップがすくなくなっている現状。悪がさらに巨悪化してもエネルギー取得に今のままでは限界があります。

だから本当は上に伸びた方が有利なのです。人間は善意に戻り、みんなの幸福が自分の幸福であり、自分の幸福がみんなの幸福である地点に立った方がこれからは有利なのです。

社会が行き着くところまで行き着いているからです。ギャップが小さい社会になっていることが、私たちのエネルギー不足を起こしている本当の原因です。

みんなが悪人になってもたかが知れています。奪いあい、殺し合い、、そんなことはこれまでの歴史でもありましたが、今回みんなでそんなことをしても、すべてがエネルギー不足で全員ダメになります。

上に伸びた方が絶対に得なのです。

本日のタイトルである、十六代将軍を探す無意味さ、、、は、藤原直哉先生のお話しを伺ってヒントを得たものですが、現政権は今、しきりに次なる将軍を探している、、、ポスト安倍氏ですが、それは十六代将軍が誰かという、愚かな話しであるということです。

徳川はご存知、十五代将軍にてお仕舞い。十六代を決める意味はありませんでした。これと同じで、ポスト安倍氏、、、もうそんな時代ではない、というわけです。

大きな変化がやってくると思います。私たちが目指すものは、自分だけを守ろうとか、自分だけは得しようではなく、もっと大きなギャップを作る方が有利なのです。

せっかく世の中が悪くなってくれてますので、今語る理想や今示す理想との間に、これまでにない、大きなギャップが生じることになるのです。大きなギャップがあれば、反作用によって、大きなエネルギーがその人の元に訪れます。

これからどう生きるか、、、これから何をしようか、、、誰もが悩む時代ですが、その大本には絶対的に善意や愛ややさしさやぬくもりや、平安や同意や、平等を置かねばいけないのです。

いけないというよりも、そうしないことはまったくの損なのです。せっかく周りが悪くなってくれているのです。小さな光が大きな力をもたらすのは、闇夜にしかできないことなのです。

みなさんの小さなやさしい思い、、、小さな善意、、、小さな同意、、、小さな助け、、小さなまなざしが、、、もっとも大きなものをもたらしてくれる、まさに神の時代になっているのです。

このことが根幹にあり、その視点で次なる時代の立て直しを捉える必要があると思います。

また今回も具体的な話しにまでいけませんでしたが、次回はさらに具体的な形で、次の世の立て直しについて語らせていただけたらと思います。

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てんびん座木星と開戦状況

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戦争と平和のステージと言われるてんびん座に木星が運行中の今年。にわかに戦争ムードが高まりつつありますが、果たして本当のところは何なのか、誰もがつかみきれない状況にあると思います。

わかりにくい要因は、一方の側から見ていても判断が下せない状況があるためです。

星の話しですので、信じる信じないは自由にお聞きいただきたいのですが、ノストラダムスの言った1999年の夏のグランドクロス以降、世界を動かす勢力が単純に一方向にはいかない時代に入りました。

その結果911事件が起こり、戦争勢力への流れはできたものの、あまりに強引なやり方にアメリカではボロが出てきました。

頼みの金融はリーマンショックで崩壊しましたが、不良債権類を冷凍庫で凍り詰めにしたまま、政府は金を刷って金融市場に流し、補填プラス株価上昇を演出。

嘘の好景気ですので、お金が刷れない状況が訪れたらお仕舞いです。

ノストラダムスが描いた世界ジエンドの構図は、四つの力が拮抗して身動きが取れないことを意味していました。それがグランドクロスです。

ひとつの力は王権や政治の力。これがしし座に当たります。
次が軍事の力です。これがさそり座に当たります。
次が金融の力で、これがおうし座に当たります。
そして最後は民意の力。これがみずがめ座が当たります。

現代を動かす四つの力、政治、軍事、金融、民意の四つがスクラムを組んで自由に使えなくなった行き詰まりを1999年のグランドクロスは示していました。

それから18年の月日が流れ、この事態はまさにその通りに推移しています。

前述したように、すでに金融はリーマンショックで崩壊したのを隠しているにすぎません。冷凍庫の不良債権は腐りきって冷凍していても周囲に匂いを放つようになっています。
時間の問題です。

政府にはすでにお金はありません。冷凍庫の不良債権類を肩代わりしたことで、政府も疲弊しきっています。政府を使って助けてもらっていた財閥や王権にもほころびが出ています。

民意はマスコミによって抑えることができましたが、インターネットにより、情報がすぐさま伝わってしまいます。
そのため、民意は政治や金融、そして軍事に関わる情報を得ることができる位置におり、これまでのように力によって民意を抑え込むことはできにくい状況です。

最後は軍事力です。戦争が金儲けや権力奪取の方法であり、戦争自体が嘘だということが民意の中に芽生えています。

なので、これまでのように、簡単には戦争を起こせない状態です。

以上、四つすくみの力が拮抗してその力を発揮しにくくなっており、動きがないままエネルギー不足に陥っているのが現在の世界の姿です。

支配者層は最後に軍事を使って苦境の打開をもくろんでいるのが、今の姿であると考えていいでしょう。

そこで冷静に現在の星の運行から読み解いていきたいのですが、重要なことは戦争を起こすには土星と天王星の緊張が必要です。

しかし現在の土星はいて座の第三デークに、そして天王星はおひつじ座の第三デークにありトリンという平和な関係にあります。星の上からは、本当の戦争は起こしにくい状況です。

木星は安堵と保護、正義を重んじる星で、和のシンボルであるてんびん座にいます。

以上、要点をまとめますと、下記になります。
ノストラダムスの予言通り、四つの力が拮抗し、どれも主導を取りにくい状況に来ていること。これは世界の大きな変化なしでは次の時代に進めないことを意味しています。

次に今年現在の星を見てみると、戦争を起こす力となる土星と天王星は調和しているため、本格的な戦争を起こす力はありません。そして木星はてんびん座です。平和を求めています。

以上の三点から伺い知れることは、下記になります。ただしあくまで私の星の解釈であり、他の解釈もあると思いますが、基本解釈です。

てんびん座は平和を求める星座でそこに幸運の木星がある点、これを巧みに行います。木星は頭が良い星です。

1999年のノストラダムスの予言した通りに起きた天のグランドクロス以降、時代原理を作れぬまま四つの力はただ温存されてきました。

そのうち、すでに金融は崩壊していますが、それを隠している状況。次に王権はマスコミ力を失い支配力に限界が来ている状況。政治も同様です。

さらに民意だけはインターネットの情報力により高まっている状態。

支配層が最後に頼るものは、軍事しかありません。なので、そのステージに最後の望みを託したといえます。

第二次大戦後、火種として残した国が北朝鮮とイスラエルです。最後の軍事力を使うにはどちらかを使うしかありません。

中東も危険ですが、ここに来て急にイスラエルは周囲と調和路線を歩みだしています。もしかしたらイスラエルと周辺国はこの一年以内に和解の方向に向かう可能性があります。

残った火種は北朝鮮です。本気で戦争をしたい勢力がまず呼ばれます。次に危機を戦争勢力のあぶり出しとして使いたい勢力が一挙に型を付けようとして状況をシェアします。

アメリカのトランプ氏を見ていると、多くの駆け引きを行っている様子が伺えるように見えます。

さらに中国にとっては、北問題を上手に使い、極東の支配力を絶対化したいと願う勢力と、そんなことをしたら内部崩壊に至ると逡巡する勢力が争っているかもしれません。

なので、統一の方向性が出せず、中国上層図内でグランドクロスが存在しているようです。拮抗していて動けないのです。

インドとの関係など複雑に絡み合っていますが、北が攻められた際に何もしないでいれば、北方での内乱が起きないとも限りません。中国は本当に困っているはずです。

そして日本ですが、日本は現政権の行き詰まりを今回の北危機を使って奇跡の逆転を考えているでしょう。

言えることは、どの勢力も、この問題に何等かの形で組みしているという点です。

北問題はその解決の仕方により、今後の世界を変える可能性があるということです。

どういう結末になるかはわかりませんが、関係国全員登場の舞台になりますので、世界大戦をもくろむ勢力もあり、世界平和の達成を考える勢力もある、、という大きな地点に立ったわけです。

星を読んでのあくまで私の考えですが、星が戦争を拒否し平和を望んでいる以上、戦争勢力はおびき出されてはしごを外される形で終わると考えます。

驚くようなことは起こるかもしれませんが、戦争の拡大化は失敗し、平和が達成される最後の峠にかかっていると考えます。

最後は民意が決める時代になっていますので、戦争はいや、、、それを起こそうとする人はいや、、、という単純な思いを素直に表現していくことで、最後の力になるはず。

世界の歴史は偉い一部の人が作るのではなく、最後は私たちの自然な思い、イノチへの思いが作って行くのだと思います。

終戦の日に平和を皆で祈念したいと思います。



秋のセミナーのお知らせ

10月26日―27日 第六回披講セミナー 23000
二日にわたる本格的セミナーで、日本最古の文化である和歌の正式な歌い方をマスターします。

11月4日―5日 第十二回プロ養成施術セミナー 108000
チューナーの使い方のすべてとその原理を丸二日にわたって伝授します。

11月25日 第五回セクシャリティ解放セミナー 15000

セクシャリティの解放により生きることも仕事も人間関係も基本的に楽になります。

詳細は下記
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すべては思いから

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物が物を生み出すことはありません。

物は思いの、意識の結果として出来るものだからです。

物が物を生み出すように見えますが、物が物を作ることはないと、私は飯島先生から学びました。

誰でも母の胎内から私達は生まれます。母は、わが子は自分のお腹の中で、自分が子供を作った、、、と思います。それは自然な思いですが、本当は違うのです。

エネルギーの集積が母の胎内で起こり、子供は育ちます。肉体をこしらえるのも、肉体が維持できているのも、エネルギーが集まった結果です。

エネルギーが補給できなくなれば、肉体は崩壊に向かいます。肉体に限らず、あらゆるものは、エネルギーの補給が絶えた時点で崩壊の過程に入ります。

エネルギーは圧の高いところに集まります。体の圧力を高めれば、身体は強健でいられます。

圧には色々な物が作る圧ががあります。気圧があり、重圧があり、電圧があり、磁力の圧があり、風圧があり、温圧があり、光圧があり、音圧があり、そして意識圧があります。

物理的な現象から遠ざかるほど、圧は高くなります。重力圧よりも水圧、水圧よりも風圧、風圧よりも気圧、気圧よりも温圧、温圧よりも光圧、光圧よりも音圧、音圧よりも意識圧、意識圧の中でも無圧が最大のものです。

無圧とは無でない無の圧であり、これが不変であり普遍でありすべてに共通している、あらゆるものに共通している、ひとつのイノチの正体です。

母の胎内は圧力の窯です。腹圧が心地よい気圧をつくり、その中で水圧、温圧、音圧、そして何より、母の思いである意識圧、母が大きな運命に子の成長を託すイノチの圧、、、それらが赤ちゃんを作り大きく育てるのです。

母がこうした子が胎内で成長する過程で、大いなるものに頼り、安心して無になりきれば、子供は理想的に作られます。

なので、圧が不自然であれば、母も子も苦しみます。腹に不自然な重圧がかかれば、苦しい成長となり、寒さ、暑さなど、不自然な圧がかかれば、母も子も苦しみます。

さらに音圧に異常があれば、子は母の心臓の音へ不安を抱くでしょうし、母の不安や心配は両者を無に導くことをなくすため、大きなエネルギ―の訪れは阻害されます。

なので、妊娠中の母の思いは重要で、安心しきった無こそが、子を発育させる本当の力であることが、エネルギーからみればわかるのです。

これは何も胎内の子の成長に限った話しとは違います。どんな場合にも、安心しきった無がなければ、私たちはイノチの共通に気づけません。

イノチの共通意識があらゆるものをつくる最少元素のイノチを動かしますから、無になり切る安心感以外からは、本当は何ひとつ、私達は物を作ることも、物を維持することも、そして新たな物を生み出すこともかなわないのです。

寝ることで、誰もが無の領域に入れますが、起きている際に無に触れることができれば、それは容易となります。

しかし、学校でも社会でも組織でも教えることは、安心以外のことです。不安を教え、在ったものがなくなる意味での無を教え、有限を教え、個を教え、私達を不安にさせるのです。

今年のお盆も終わりです。死んだ人は肉体が無だから永遠にいるのです。ひとつのイノチに戻れる世界に永遠にいます。個の記憶がなくなり、個の意識がなくなれば、それは死ではなく、永遠の生の住人となります。すべてのイノチは一つです。

その一つのイノチは図ることも測ることも計ることもできない無の世界です。無の世界だからすべてを生み出せます。大きな袋でも袋に入ったものしか出すことはできません。

無の袋には限界がないのです。無限に生み出せる無の袋、、その住人が私達です。

現在、私達は肉体をもっています。何等かの圧をかけなければ崩壊する存在です。歩けば重力圧がかかり、骨や筋肉は丈夫になります。温圧があれば死んだ物体や食物もエネルギーを宿します。

物にはエネルギーはありませんが、その状態にはエネルギーが存在します。冷たい食べ物よりの暖かい食べ物の状態の方が大体は安全です。

冷たい食べ物でも温かい人が思いを寄せて出してくれたものには、エネルギーがあります。だから体にもエネルギーが入ります。

音にはさらにエネルギーが宿ります。良い音、、それはとても貴重です。

風は吹き抜けるだけで周辺にギャップをつくり、私達の身体にぶつかる際にエネルギーをもたらします。風に吹かれているだけで、気持ちがよくなるのはそうした時です。

夏休みに高原で休養されている方もいることでしょう。標高1000メートルは母の胎内と似ていると言います。

高原で私達は何か大きな安心を思い出しているのかもしれません。

森を歩けば、一足歩くたびに無数の落ち葉の集積の上を歩くわけで、葉やくだけ無数の葉との間に複雑な倍音のギャップを作ります。

森は無数の音の宝庫です。パソコンの前で何時間も座り続ける私したちは、神経が疲れてしまいますが、本当は逆なのです。

単純すぎるパソコンの刺激に脳が飽きてしまっているのです。もっと複雑な音などがないと、脳は単順すぎて疲れるのです。

現代の生活は複雑すぎて疲れるのではなく、実は単純すぎて脳が飽き飽きしているのです。

森の中にある何千種類の音、風、色を、脳は把握するためにフル回転し、新鮮な状態になるのです。

忙しくて、森に行けなかった人も多いでしょう。でも大丈夫です。すべては思いの圧が優先します。

今、自分が美しい森におり、踏みしめるたびになる音、、通り過ぎる風の音、頬に触れるその感触、、、森の甘い香り、、それらを思い出してみてください。

人はどこにいても本当は幸福なのです。すべては思いから、、、がわかればそうなるはずです。

しかし、私もまだそこまでは体感できませんし、多くの人はそうかもしれません。なので、せめて、人が自然を壊した分を人の力でもう一度、自然を復活させることが大事ですね。

その作業によって、どんなに私達は癒されることでしょう。そうした時代になっていくと思います。


お知らせ

明日の8月17日から21日まで、尾山台のshopマドモアゼル・愛はお休みです。22日の火曜日から通常通りの営業となります。

カートでのshop販売は通常通り行っています。秋のセミナーなど昨日アップしましたので、どうかよろしくお願いします。

また、家で野菜を作れる振動水栽培のMI野菜プラントの二種類もカートに掲載しています。

野菜や食物などの一次産品は環境の悪化に伴って今後安全なものを得ることは至難になりつつあります。
健康で安全な食べ物は日本でもそうですが、世界的に必需となることははっきりしています。

若い人が今後、どうやって生きていくか、、、色々ありますが、一次産品を自分で作り、必要としてくれる人に届けることで、経済的にも、成立する時代が近づいていると思います。

若い人に限らず、転職や自立を考える際にも、極めて有利な方向であると私は思います。

家の中でつくる安全で健康な野菜、またエビや魚を家でも山の中でも廃校になったプールなどを利用したりして、フリーエネルギーを使えば、安全で確実に作ることができます。

そうした一次産品の生産を今後の仕事にしていく道には可能性があると思います。健康野菜を日本よりもはるかに高い価格で買ってくれる国もたくさんあります。そんな夢の描き方もあるはずで、関心がある方は、ぜひご覧ください。

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感情は物質

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昨日、三日間にわたった、ふるべ合宿を終えて東京に戻りました。ひとつのテーマにじっくり三日間取り組めた成果はとても大きいものがありました。

ご参加された方々に改めてお礼申し上げます。合宿の内容は、すべてのイノチが振動していることの実践と体感ですが、そのためには、自身の体の位置づけがとても重要になります。

身体が自分なのか、意識が自分なのかの、究極の認識です。

私達は、多くの場合、身体が自分だと思って生活していますが、そのことでむしろ体を酷使し、壊したり、弱ったりしていきます。

身体が自分ならば、動かない身体へのいらだちや、老いていく体へのあきらめや憎悪から抜け出すことは容易とはなりません。

しかし、反対に肉体ではなく、意識が自分であるとの認識に立てば、肉体はその従属物にあたる認識が生じます。

身体に私達は命じることも、それを従属物として、いたわり、大切にする姿勢が反対に出て来ることになるわけです。

お腹が空いた、、、、それは確かに脅威かもしれません。
身体が痛い、、、、それは確かに脅威でしょう。
身体が思うように動かない、、、、それは確かに困ったことです。

しかし、意識が自分で身体がその従属物であるとの認識に立てたら、次のように問題が変化します。

私はお腹を空かすことはないが、私の身体はお腹を空かしている、、、
私は痛くはないが、私の体が痛がっている、、、
私は自由に動けるが、私の体は今動けないでいる、、、、

という認識の出現です。こうした認識のもとでは、身体が自身の隷属物であるため、むしろ、いたわり、大切に扱うことが容易となります。

身体が自身であるとしたら、動かないからだ、、疲れる体、、、老いる体に抵抗するすべがなくなります。

身体はあくまで意識に隷属する別物との認識がこれから重要になってくると思います。時代がそこまで要請しているのを感じます。

この認識はそんなに難しいものではありません。なぜなら、意識が自分で肉体が隷属する別物であることは事実だからです。

事実に基づく認識は容易に自身の中に根付きます。

今回の合宿では、身体を震わすことを徹底して行い、エネルギーをふるべによって得ることを体得しました。

その際、ふるべの性質から、より微細なふるべ、すなわち振動が小さい方がより大きく精密な情報をもたらすことを実感できたと思います。

その究極に、私は身体か、それとも意識か、、、があったわけです。

自身が肉体ではなく、意識であるとの地点に立たない限り、肉体や身体を扱えないことを実感できたはずで、より微細な振動は、まさに意識であることを実感されたと思います。

そのため、合宿を終えた皆さんは、全員体が軽くなり、まるで柔らかなマシュマロのような道を歩いているような体感になったのです。全員です。10名が全員、そのような体感を得ました。

それは方法論としての成果の面と、意識と肉体の違いをおぼろげながらでも認識できたからにほかなりません。

私は意識であり、苦しむのは肉体の自分で、私は苦しむことがないのです。

こうした意識に到達することは、一般に考えられているほど難しいものではありません。

合宿では、主に寝るスタイルでふるべ実践を行いましたが、寝ながら振動を与えると気持ち良くなり、終えたのちに立ち上がることに抵抗が出てきます。

しかし、身体が立つのではなく、意識が立つ、、、との考えによれば、簡単に立てるのです。

疲れるのは、私ではなく、私の肉体が疲れているだけなのです。

私の体さん、、、ごめんね、もう少し歩くのよ、、、がまんしてね、、、すぐにお水をあげるからね、、、、

このように、肉体を自身と思わず、自身の管理物であるとの態度でやさしく、いたわり、大切に扱うことで、容易に私達は奇跡的なことを起こせるのです。

合宿はふるべ理論の集大成として、私にとっても非常に意味のあるものとなりました。本当にありがとうございました。

その中で、陥りやすい間違いもわかってきました。感情の扱いです。感情と意識はもちろん異なります。感情を見ている意識は別にありますので、感情は肉体に近い反応です。

というよりも、感情は物質と思った方が分かりやすくなります。感情は物質なのです。食べ物に美味しいものがあったり、まずいものや苦いものがあって困るのと同様、感情にもまずいものや、苦しいものがあるわけです。

感情に従って選択していくと、必ず失敗するのは、おいしい食べ物を食べ過ぎると病気になるようなものです。

感情は物質ですから、それを扱う意識が伴わないと、問題が起きるわけです。

ただし、感情もどこに根差して現れたものであるかが重要で、一概にすべてが物質というわけでもありませんが、苦しい、つらい感情は間違いなく物質なのです。

高度の喜びは意識と同じ地点に立ちますので、主に苦しい感情は物質として扱えば、怖いものは基本的になくなります。

こうした基本的な事柄を、一度私達は整理して考えることが大切であると思います。

きょうからみなさんも、おなかがすいたら、ぜひ、私はお腹がすくことはないが、私の体はお腹が空いている、、、と考え、そのうえで食事されてみてはいかがでしょう。これを続けることで、色々な発見があると思います。

疲れた時も、つらい時も同じ、、、すべては共通した原理なんです。

昨日の選挙結果も出て、変動の予感があるのではないでしょうか。春分図での予想があったのであまり驚きませんでしたが、変化のピッチは早まることでしょう。

時局については、また改めて語らせていただきたいと思います。

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まだやるつもり

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現政権はかなり追い詰められていますが、それでもまだやるつもりのようです。

将棋で言えば、すでに勝負ありで詰んでいても、将棋盤を付け足してまで王様を逃がしているような状況でしょうか。

春分レポートで書きましたが、早ければ6月にも現政権は終わると思いましたが、どうやらもう少し伸びそうです。

しかしそうなるとさらに深い傷を負うことになるでしょう。この政権はできた時から、本当はあぶり出しの政権だと思っていました。

昔、日本の軍隊が力を持ち過ぎた際に、無謀な戦争に走り、結果として軍部をつぶすようなことが起きた、、それと同じに思えたのです。

なので、一見すると現政権は最強の政権に見えますが、それはこれまでの行き過ぎたものをすべてあぶり出し、根底から覆す機能となって働くことになったのです。

これで明治以降、日本の根底に巣食っていた反日的なものが終えて行くことになるはずです。日本的と思わされていたものが、本当は反日的なものだったのです。

日本は言霊幸はう和歌の国であり、中央集権的なものは、それに反します。軍隊や警察力強化だと、日本人の良さがどうしても生かせなくなるのです。

日本は日本人によって、勝手にやらせれば自然とうまくいきます。民生が自然と豊かな方向にゆく、日本の特徴です。

私が考える日本人は、日本語を話す人のことです。国籍はどこでもいいのです。日本語を話せば、和の芯が自然とできてきます。それが日本的なるもので、独善的な日本魂のイメージはむしろ反日なのです。

日本人の脳というベストセラーの本を書かれた角田博士と、私は個人的にお付き合いさせていただき、一緒に台湾大学の研修などに参加したことがありますが、博士は常々おっしゃっておりました。

日本人の言語は特徴があって、日本語を10歳ごろまでに第一言語として育った人は、独特な脳になっていくと。母音が大きく関係しているのです。

母音を右脳で処理するのが外国の人で、日本語を10歳までに語ると、それが左脳で聞くようになっていきます。例外はまずないそうです。

自然界や生きとし生ける者たちが発す音は大体は母音ですから、母音はイノチの音になります。各ランゲージを覚える前の赤ちゃんは、世界共通で母音の発声となり、本当の人類の、イノチの共通言語が母音発声であることが分かります。

これこそが、日本的なるものであり、中央集権的な意識とはまったく異なるのです。すべての和を重視する日本語を、私は角田博士と台湾で一週間共に行動することで、確かに学びました。

博士は日本人はそういうわけで特殊だから、日本人らしいやり方でやらないとダメなんです、、、とおっしゃっる。海外のマネをしたらよいものが出ないと。

世界も日本もこれまでのやり方に限界が来ており、このままを通すには、強権や支配による方法しかない状況に至っています。

クリントン氏や現政権がやりたかったことがそれですが、クリントン氏は負け、世界でも、現体制を強力に推し進めようとする勢力に限界が出ています。

やはり時代は変わったのです。

日本では現政権はそれでもまだやるつもりですが、そうなるとむしろ根底までそのおかしさを露呈する結果が待つでしょう。

私たちは次の時代の準備を始めなくてはなりません。放っておいても、時代は必ず変わってゆくからです。

安倍氏、麻生氏、甘利氏、、、奇しくも全員がおとめ座。正反対にあるうお座の海王星の影響が出始めています。

自分ではわからないのです。自分ではうまく行っているように思えて、その考えもやり方も、すべてを国民はお見通しで見ているのです。なので、やればやるだけボロが出てくるサイクルに入っていきます。

おとめ座の特徴はそれでも辞めない、、国民の思いとどんなに乖離があっても、そのことが手ごたえとしてわからないのです。おとめ座が周囲の批判にさらされると、これは徹底的にそうなります。批判の嵐が待つことになります。

現政権が何とかやれるのは、他の受け皿がないためです。この点の政治力は見事としか言いようがありません。

まず、政治不信を常態化させるわけです。選挙をダサい人が行くものにしてしまうのです。投票率の低下こそが、政権維持の重要課題です。

徹底的に政治不信を広め、投票率を下げる、、、一方で組織票を確実なものにしていく、、、そのための組織もあれば宗教もあり、何でもいいのです。組織票があれば。

一般人は選挙に行かず、組織票がデンと構えていれば、かなりの少数で政治を動かすことができます。

これが民主主義の操作の基本にあります。次に反対勢力の受け皿を作らせない。そうすれば、前記した成果が確実になります。

そのためには、反対勢力に見せて、本当は違う、、、というものをつくればいいのです。第二自民党という言葉がありますが、それは受け皿に見せて、実は政権のために働く結果となります。

受け皿を絶対につくらせない、、、そのために働く第二自民党、、、よくできたシステムです。

昔の民主党は受け皿として成功し、鳩山内閣ができましたが、すぐにマスコミ攻撃にあい、内部からの造反で失脚しました。次の民主党政権は実質第二自民党として機能しましたので、消費税を通して悪役まで買って出て、自滅解散して自民党に席を譲ったのです。

あまりにでたらめですが、その現状は今でも続いています。なので、本当の意味での受け皿を作れれば、あっという間に政治は変えられます。

受け皿を一本化させない力、、、それが、現政権と同じものであると思って間違いありません。結果として、分離分裂をもたらすやり方のお蔭で、悪政は安泰化するわけです。

しかし、このことを国民はすでに気づきだしていますので、改心した籠池氏が維新の会を恨むのも、理解できるというものです。もちろん維新に限ったことではありません。

都民ファーストもその点何が本音なのかと、今、国民は薄目を開けてみているところです。結果的に現政権を助ける働きの動きを見せたら、小池氏と言えども、すぐに人気を落とすところまで、国民の目はしっかりしてきています。

それほど、国民の生活が苦しいのです。国家の私物化を絶対に許せない気持ちなのです。

果たして、どこがどういう形で受け皿を作ることができるでしょう。それに成功すれば、一瞬で国も政治も変わるところまで来ました。

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