子供時代、何をして遊んでもそれなりに楽しかった、、そうした思いでがきっと誰にでもあると思う。
今、同じ校庭に行って、さあ、何かして遊ぼう、、、となっても、きっと子供時代のようには遊べない。
子供は遊びを作り出す達人だといわれるが、確かにそうなのでしょう。その原動力はどこにあるか。思いつきなんです。
思いつきから始まり、思いつきによってルールも内容も遊びも変わり、思いつきが尽きることなく夕方がやってくる。
また明日ね、、、と帰る子供たちは、まるで素晴らしい発明発見をした博士のようではなかっただろうか。
宝物って、思いつきにしかないのでは、、、子供時代を思うと、そんな気持ちになってくる。
思いつきは今という時点の出来事であり、今に根差した発想やアイデアだ。今だから、きっと何等かのリアリティにつながっている。
記憶のインチキさは、すべてが古く、命がないという点にある。素晴らしい記憶ももちろんあるが、今、再び新たな思いを満たす力がある記憶は、作品という意味で貴重ではあるだろう。
しかし多くの記憶は大体は自己防衛に結びつき、その時の感情反応が強化されてしまう。
一度怖い目に合うと、それと似た状況が訪れた際に、世の中を怖く感じ、見えるもの、さわるもの、聞くもの、すべてが怖くなる。そのときの感情を思い出すからだ。
正確に言うと、その時の記憶が防衛的な感情を引出し、現実と関係なく観念上での恐怖を体験する形になる。
それがひどくなるとパニック発作である。
これは観念上の恐怖なのだから、それを本当の恐怖として体験させれば、パニック障害は一発で治る原理である。
実際にそうです。それをうまくまとめたのが、やはり森田生馬博士の森田療法なのだが、あまり人気がないようなのが気になります。
本当に良いものを葬り去るのがこの数十年の文明ですね。悪くなるのも当然です。
パニック障害についてはまた別の機会に譲るとして、ただ、そんなに怖いものではない、、、ということだけは言っておきたいと思います。
ともかく良いものがなくなり、悪いものばかりが推薦される。一番良いものが本当は思いつきなのに。
再現性のある金太郎飴がもてはやされるさびしい文明。
思いつきは意識圧の高まりの結果、わいてくるものだから、必ず、高い意識とつながっている。
そこからしか、何もやってきません。どこかに答えを探ろうとする姿勢や、すでにあるものを引っ張り出す形では、本当の壁を突破することはできません。
いま、私たちがぶつかっているのは、時代の壁ですから、これは突破する以外にない。
その時、頼りになるのは、常識でも権威でも宗教でもないと思う。本当に頼りになるのは、思いつきなんです。
思いつきだけでは働きになりませんから、思いつきを形にし、現実にしようとすること以外には、本当は何の意味もない。
常にそうなのですが、時代が切迫してくると余裕がないので、こうしたことがとくに重要になってくる。
私たちを本当に救ってくれるのは、貯金でも保険でも国でもない、思いつきなんです。そう、皆が一番信用していないものです。
皆が一番信用している、そうですね、お金、貯金、仕事、国、銀続きをみる
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