今年も残すところあと一日となりました。一昨日には飯島先生のテネモスさんへお邪魔して昼食会を開催。わずか15名ほどの人数でしたが、その分、ひとりづつお話ししができてよかったです。飯島先生のお話しは酸素、微生物、振動、無、神がその時々で違って使われるため、わかりずらくまた誤解されたりするのですが、要は同じことなのです。この世にあるものはすべてが生き物であり、最小単位の波動自体も生き物なのです。命そのものが宇宙でありあらゆる構造物でありあらゆる元素でありあらゆる思念でもあります。この中で命令系統の順に強いのが、意識なのです。これは一般物理現象を超える力として働きます。確かに、意識されないものがこの世に存在することはありません。電車もビルも道路もそれを作ろうとする意思が最初にあればこそ実現したわけですから、意識が先なのです。意識が無であり神であり微細振動であり微細生物であり、、、となります。そしてそれは平板になることを常にしています。ある刺激に対して、それを押しとどめようとする動きが始まります。作用に対して反作用です。作用は意図的な動作であり、放出型の行為です。あらゆる行為は放出型であり、人が行う行為はすべて無に帰すようになっています。それは歴史を見ればわかるように、人がなしたことで残っているものはわずか数千年程度の遺跡くらいしかありません。なぜ意図的な動作が放出型で終えるのかというと、それを押しとどめる力、すなわち反作用が必ず、始まり、それを平板化しようとするのが宇宙の性格なのです。音叉はそれを最もわかりやすくすっきりと見せてくれます。音を出す、、叩く、、これは放出型の行為にあたります。(行為はすべて放出型です)すると音叉から音が出だします。その音を押しとどめようとする反作用の力が宇宙からやってきます。放出型の人のあらゆる行為が宇宙の力を反作用として呼び込む原因になっているのです。ある周波数をたたけば、ある周波数を押しとどめようとする力にのってやってくるものがあります。それは放出型の叩くという行為以上の大きな存在となる反作用として作用するのです。エビで鯛を釣るようなもので、放出型の動作がそれ以上の力を呼び込むことがこれからの宇宙力学であり宇宙科学です。それはすべてが音叉現象であると知ることがカギを握っています。あらゆるものは作用と反作用とで個と全体が、有と無が、物と精神が、体と魂とがつながっているともいえます。しかし私たちの世界では、有への理解しかありませんから、有に働きかけることで有を得ます。一は一以外になく、二は二以外にないため、争い合いとなります。しかし、世界を動かしている原理はそれとは実は違います。病気の体を治しているのが、はたして、本当に病院でもらった薬でしょうか。医師の手術のおかげでしょうか。有をどんなに変えても有です。無から有を生む以外、新たな展開はないのではないでしょうか。病気を治すのも、この薬を飲めば治るという意識だとしたら、、、この手術を受ければ治るという意識だとしたら、、、だから薬を飲み、手術を受けたにも関わらず、治ってしまうケースが出てくるのかもしれませんね。有と無との関係性を知る時代がやってきます。そうでなければUFOも以心伝心もありません。いずれにせよ、すべては作用反作用であり、宇宙は平らになることがその性格の特徴なのです。平成とはよく言ったものだと思います。それは意外にも宇宙の意思そのものを語っています。偶然なのだと思いますが、宇宙は平らになることを目指します。経済や金融が行き詰るのも、それが平らでなく一方に偏ってしまうからです。貧乏人対一部の金持ちの構図は宇宙にあっていないので、必ず滅びます。しかし、宇宙の力を呼び込むのは段差です。段差、すなわち作用があるから、その修復のために、平らかになろうとする力がやってきます。それが大きな大きな力なのです。これを使うことができます。地球がおかし続きをみる
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